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はじまるまえにフリートークで瀬戸夏美さんが輪島の今の様子をお話してくれてるんだけどすごい大事なこと言ってる。

youtube.com/live/7kCcbfXWGCw?s

「傷つけられた側は、「誰が笑ってなかったか」をちゃんと見ているんですよ。」

って本当にそう。穏やかな顔で見て見ぬふりする人も「ケア」しあうことで加担している人のこともきちんと見ている。

『虎に翼』脚本家 吉田恵里香 さんインタビュー
woman-type.jp/wt/feature/34275

「力動系」とか「精神分析系」とかでくくる人ほどその相手は個人だし、その理論のことを印象で嫌っていたりするのを知っているので私は「~系」として区切ることに警戒する。が、今後、その相手を含んだその文化自体を問題にしていきたい場合は意識的に使う。少なくともそうやってわけて使っていきたい。

今日も今日とて哲学系ボーイズクラブの友情は麗しく男の力は女の心身を傷つけるだけでなくいつのまにかケアテーカーにするという事実をうそっぽい知性と穏やかな「対話」で否認する活動が行われているのだね。「大手」に守られてるとなにしてもなかったことにできていいよね。いや、よくないよね。

何年ぶりの海外だったのか、パスポートが失効して取り直したので10年以上行っていなかったらしい。前のパスポートを見ればわかるのか、と今思ったがミニマムな準備で精一杯だった。数年前、同じくAPCでシドニーに行くつもりでホテルも予約したがコロナでカンファレンス自体がキャンセルになった。今回ようやく行けた。世界、今回は主にアジアに向けて日本人として発表するというのは普段意識していないことをたくさん意識させられて大変とかいう以前にとにかく自分の実感と行動に基づく、という以外の何かは思いつかなかった。日本での発表もそういう態度でやるべきだと自分に対して思うがどこか気楽になってしまう。今回、思いがけず会長はじめ多くの分析家や候補生に褒めていただいたが評価というのはつくづくタイミングと用語の選択によるものと思った。ただ考えを正直に言葉にしてそれを受け入れてもらえたことにとても安心したので引き続き勇気を持って発信していこうと思った。日本では勇気とは別の力が必要だが日本人として発言するのは勇気と勉強がいる。精神分析家になる以上、こういうのはやり続ける必要がある。日本に精神分析が残っていくかどうか、カリスマが去っていくであろうこの10年が勝負だろう。真剣に自分の心と対峙することを必要とする人たちと協力していいきたい。

グリーンとオグデンの関連もみる。

(1999).The Dead Mother: The Work of André Green,36:131-150

Chapter 6 Analysing Forms of Aliveness and Deadness of the Transference—Countertransference
Thomas Ogden

pep-web.org/search/document/NL

『もの想いと解釈 人間的な何かを感じとること』第2章「生きていること」と「死んでいること」:その形を分析する
をチェック。

これはThomas H. Ogdenの5冊目の著作“Reverie and Interpretation: Sensing Something Human”(1997)の全訳。

iwasaki-ap.co.jp/book/b195644.

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ラカン派関連でメモ。アンドレ・グリーンが2004年に日仏医学コロックでした講演をチェック。「終わりなき喪」「心的装置と身体との境界」、心身症とうつ病を同じ枠組みで捉えるためのモデルになりうるか。フランス精神分析は病理の捉え方自体が英米圏とは異なるためそこから確認。常にフロイトとの関連。ラカンとグリーンの対立は情動をめぐる問題。1993年「ネガティブの働き」出版。ウィニコットとの接続を試みる。

あれこれ難しいこと考えて、これが今のところできることかなと思われる行動をした。疲れた。口先だけであれこれいうのは簡単だけど行動の選択はほんとうに難しい。窓からの緑がきれい。友よー。

明日は保育士さんたちへのコンサルテーションもある。立ち上げから関わってるけどもう名前も知らない先生ばかり。市にも信頼されて大きな園になってしまった。保育は難しい仕事だからこっちもがんばる。同じく園の立ち上げ前からの友だちとおしゃべりする時間もとれたからなおさらがんばる😊

一度力持っちゃうと心身傷つける人であることも周りが否定してくれる世界ができるからご本人は安全なところできれいごといえるってすごい。政治家みたい。

やりたいことだけやってあとはごめんねで乗り切りたい人は大切にしてたものも平気でだしにする。大切じゃないんだろうね。

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哲学者と名乗らず哲学を語り教える人の言葉が薄っぺらいのはしかたないかもしれないが、それでなにかがなかったことにはならないってことがわからない人が多分たくさんいる。
薄っぺらい僕でごめんね、そんなことないよ、そのままであなたはステキ、よしよし、みたいな気持ち悪い永遠ループで排除してくるわけだよね。すごい。

短期力動療法についてはオフィスのウェブサイトにもブログにもまとめたし妙木先生を講師に勉強会もしたしかなり勉強した分野だけど協会のセミナーにも出るので見直し。私も回数制限で短期はやってるからあくまで精神分析との対比でこの療法の意義を言葉にしたい。

新宿ワシントンホテルの「太陽のトマト麺」が閉店して「もつ次郎」&「ゆで太郎」になっていて驚いた。「ゆで太郎」久しぶりに見た。「もつ次郎」はじめまして。兄弟か。ワシントンホテルはつらい思い出があるけど通り道にしている。ミニストップも好き。

私は谷崎の書く女のあくどさにそんなに魅力を感じないが『陰翳礼讃」が好きすぎたせいかどの登場人物にも割と甘いのかもしれない、と話してて思った。

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谷崎潤一郎『痴人の愛』を読んでいるという人と話していた。その人が取り上げる場面は私も覚えていた。32と19という設定のリアルさはとてもいいし、バッドガールぶって男を振り回しているように見えて実は依存しているだけみたいな女ではないナオミは女の身体にやたら弱いおじさん(とはいえない年齢だけど、今だと。)の目を上手に利用する。好きでコントロールされた男の敗北感漂う満足を思うとナオミやっぱり可哀想だと思ったりするがなんでもやってみる年齢だろうと、という気もする。私も読み直すか。

この前、隣の席で私より高齢の方がかなり高齢の父親に母親のことで「お母さんはいつも~なんだから」と文句をいいつつ父親の返答にいちいちすごい勢いで怒っていた。ふたりともきちんと好きなものを頼んでそのときはニコニコしていた。これらはセットで成立している二人にはよくある場面なのかもしれないなと思った。

公私混同でいっぱいお世話しあっている業界の人たちのことはよくわからないけど色々美しいこと面白いことやさしげなことたくさんいって場所もお金ももらっているのだから人に怖い想いさせたり巧みな言葉遣いで加害性押し付けるのやめてほしい。言葉ってそういうためのものではない、って口ではいうのでしょうから。

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「対話」という言葉を使えばなんとかなると思っている知識人が多いせいか「対話」という言葉がえらくうすっぺらくきこえるようになってしまった。人をコントロールしたり搾取したりする人が「対話」とかいって人使って人集めしたりするのもおかしい。

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