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岡本亜美 さんがブースト

エトセトラブックスよりまもなく刊行『じぶんであるっていいかんじ:きみとジェンダーについての本』の見本が届きました✨ ページをめくるたび心おどる、華やかですてきな絵本です。
※訳者印税はすべて、LGBT(かもしれない人を含む)の子ども・若者の居場所「にじーず」に寄付しました。

半分ちょっと読み進めた
山内明美『痛みの〈東北〉論――記憶が歴史に変わるとき』
がとてもよくて、そういえば、と思った。
東日本大震災からまもなくの2011年5月、6月に出版されて私が読んだもの(下の写真)って本当に外側からの本だったなと思い出したのだ。
ひっぱりだしてみたら執筆陣がほぼ男であることにもきづいた。女の視点や言葉はこんなあからさまに求められていないのか。変な日本語だが。
山内明美さんは『こども東北学』(よりみちパン!セ)で知られているかもしれない。
今回の本は一冊の本というよりこれまでの書き物のまとめという感じらしくリフレインも多いしテーマも一見バラバラ。でも読み進めていけばすべて響きあって通じ合っていることも知る。最初は「あれ?私ここさっきも読んだ?」と思ったり不思議な気持ちになった。構成が少し変わった本なのかなと思ったりもしたが読みながら何度も津波がすべてを押し流していく映像を思い出しながらそこから再びなにかを立ち上げようとするプロセスはこういうものなのかもしれず、あえて、というわけでもなく、ただこういう形になった、ということなのかもしれないと思いなおした。seidosha.co.jp/book/index.php?

「昨日」について話す精神分析と「前回のあれ」について話す頻度の少ない心理療法とでは生じることが異なるのは当然だからこそどちらにも技法が必要。

岡本亜美 さんがブースト

カナダで増大しつつある反LGBTQ+法案に反対を表明する書簡に400人以上の著名なアーティストが署名しました。ニール・ヤング、アリソン・ラッセル、メイ・マーティン、エリオット・ペイジ、アラニス・モリセット、カーリー・レイ・ジェプセン、エルヴィス・コステロなど。「極右グループは恐怖を利用し、私たちを互いに争わせ、私たちが他者との違いを恐れる…そんなカナダを作り上げようとしている」と、声をあげています。 #LGBTQ
advocate.com/politics/celebrit

岡本亜美 さんがブースト

〈どなたかの参考に〉 
 様々な任期付きポストを小林旭並みに渡り鳥(古い)、3回目の任期切れにつき社会保障等の手続きに来ているが、書類の性別欄は別に書かなくてもしれっと出せることが多いことをお知らせしておきたい。
 そして保険証の性別記載を裏面にしてもらえるかときいたばかりに職員がウロウロしており、10分待たされるけどちゃんと書式は出てくるんだよ、制度はあるけど使う人がいないから把握してないだけで……。こういうときトランスはせいぜい0.5%前後ということをリアルに感じる、マジで「普通」に生きてたらトランスのこと考える機会はほんとに少なくて、ネットでトランスのことばっか考えて監視してる連中は本当に特殊だということがよくわかる。
 添付は裏面記載のためのしょーもないクソ書類である。基本的に診断書を出せと言われるが、私は基本的にこういう手続きで診断書を出さないようにしている。こちらばかりカネを払わされるのはおかしいし、ジェンダークリニックにアクセスできる人ばかりではないからだ。職員にもそれを説明し、性別載せるなとか違うことを書けと言ってるんじゃないのに、コストと見合わないよねと話した。
 実際に現場がこういう「トラブル」に直面して、考えることでしか変わっていかないのだ。

目の前のことに追われて精神分析学会のことをすっかり忘れていた。5月はアジアンパシフィックカンファレンス、6月は日本精神分析協会での発表が続くがつづきついで(?)に発表しようか。新しいアイデアは特にないけど自由連想を精神分析以外では導入しない、つまり精神分析をすぐには導入しない、ということについては実感を持って話すことができるような気がする。

雑誌『ウィニコット研究』用の原稿を出した。昨年のフォーラムを原稿化しただけとはいえ読み物にするため少し苦労した。ウィニコットは今後ももっとマニアックに読みたい。歴史とともに。今回はウィトゲンシュタインをいっぱい読んだ。引用は僅かだがだいぶ勉強になった。

あー。あれはなんだったんだろう…。

「あれはなんだったんだろう」をネタにするしかたも色々。

私は搾取された苦しみとしての「あれはなんだったんだろう」をいろんなところで聞いてるし体験してるし書いてきてる。

「私の気持ち、私たちだけの秘密、そういえばあのときのあの人とも。あれはなんだったんだろう、ぼんやり時間をかけていくことが別の地平を開いていく。その体験を知っていれば耐えうることはたくさんある。死なない程度には、ということかもしれないけど。この辺の基準は人それぞれだと思うが精神分析であえていうとしたら「今よりはまし」というものだろう。こういう現実的なところに私は助けられているし、これだったら役に立つ人もいるだろうと思っている。強い思いこみや空想で何かに到達したり切り拓いたりしていける人もいると思うが地道に今の自分を確かめることで、というのも悪くない。よって私は今日も悶々とする。あれはなんだったんだろう、と沈みこみながら。」

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私はこれはJPSの会員のあり方を問うものと捉えている。ここ数年、JPAでテーマに上がるようになった「週一回の精神分析的心理療法」という頻度をめぐる問題についても同様である。
JPAの中にはJPSの存在をほとんど認識していない人も多い。一方、JPSの会員や候補生たちはおそらく全員がJPAに属しているにもかかわらずJPAにおいてJPSとしてのアイデンティティを明確にした議論を展開する人はほとんどいなかった。JPSの会員はJPAにおいては大方のJPAのあり方に合わせ、JPSでは厳しい基準に充実であるという二重性をこなしているわけである。これは確かにダブルスタンダードではないが、アイデンティティの問題として考えた場合にどうだろうか、ということを考えながら文章を捻り出している。捻り出すたびに頭痛も襲ってくるのが辛い。

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日本の精神分析学会と協会の二重性について北山修は”100 Years of the IPA The Centenary History of the International Psychoanalytical Association 1910-2010のなかで次のように述べている。多分日本語の何かの文献にも書いている。

Needless to say, the duality of the two organizations –the JPS that actively adapts itself to demands imposed by the International Psychoanalytical Association (IPA), and the Japan Psychoanalytic Association (JPA) that does not –may represent "Japan's resistance" towards psychoanalysis. However, this situation is not something that should be simply criticized as being a "double standard

調子でないから再読ばかりしているのに昨日だかうっかり『他者といる技法』(奥村隆)の続きを読んでしまったらかなり読ませる本でしかも結構ヒリヒリする気持ちを起こさせる本で疲れてしまった。だめだ。奥村隆さん、意識するといろんなところに出てきていて知らなかった・・・となった。

臨床家と哲学者が異なるのは臨床家はあくまで人間を超えないと言うことだと思う。どこまでいっても相手にしているのは人間だから。

これが電話だけの時代だったら、これがコロナ禍ではなかったら、と常にそれがどんな時代の出来事だったかとセットで見ていかないと大変。今日そばのママ友グループらしきみなさんが「ふてほど」をとても楽しんでみていると話しているうちに自分が部活でされた仕打ちについて話していて「そういう時代だったのよ」と笑っていた。連帯責任の時代、時代というか確かにそういうのあった。

何をいっても構わない、何をいっても責任が問われない私的な場が必要。「何を言っても構わない」「責任が問われない」の意味が通じるくらい私的な。精神分析の場はそういうギリギリの場だと思う。

これは興味深い本。英語も平易だし精神分析の歴史に興味のある方が訳してくれたらいいな。精神分析はホロコーストと切り離せない。女性であることだけでなくユダヤ人であること、ユダヤ系であることの重みを感じざるを得ない一方、彼女たちの重要な仕事は語り継ぐべきだろう。twitter.com/amisoffice1/status

私もパネリストと一般演題で登壇します。
ぜひいらしてください。

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【拡散希望】
日本精神分析協会 第42回 学術大会のプログラムを公開しました!

jpas.jp/pdf/program.pdf

オープン化:一般の方(守秘義務を持つ臨床家)のご参加を歓迎しております。(定員100名)

申込期間:2024年3月1日~4月15日
jpas.jp/convention.html

道を聞かれるのはよくあるけど最近見ず知らずの人(さっき「ごめんね、見ず知らずの人に」と言われた)に話しかけられてそのまま移動しながらお話を聞くことが多い。私はただただ聞いてるだけ。今日は84歳の方。10分くらいだったけど結構な情報量だった。お話にでてきた娘とその方それぞれの今朝からの移動経路を私も頭の中で行ったり来たり。ご高齢の方は自分から年齢を教えてくれることが多い。いろんな生活。いろんな親子。

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