半分ちょっと読み進めた
山内明美『痛みの〈東北〉論――記憶が歴史に変わるとき』
がとてもよくて、そういえば、と思った。
東日本大震災からまもなくの2011年5月、6月に出版されて私が読んだもの(下の写真)って本当に外側からの本だったなと思い出したのだ。
ひっぱりだしてみたら執筆陣がほぼ男であることにもきづいた。女の視点や言葉はこんなあからさまに求められていないのか。変な日本語だが。
山内明美さんは『こども東北学』(よりみちパン!セ)で知られているかもしれない。
今回の本は一冊の本というよりこれまでの書き物のまとめという感じらしくリフレインも多いしテーマも一見バラバラ。でも読み進めていけばすべて響きあって通じ合っていることも知る。最初は「あれ?私ここさっきも読んだ?」と思ったり不思議な気持ちになった。構成が少し変わった本なのかなと思ったりもしたが読みながら何度も津波がすべてを押し流していく映像を思い出しながらそこから再びなにかを立ち上げようとするプロセスはこういうものなのかもしれず、あえて、というわけでもなく、ただこういう形になった、ということなのかもしれないと思いなおした。seidosha.co.jp/book/index.php?

『フランス精神分析における境界性の問題
─フロイトのメタサイコロジーの再考を通して─』

・1996年11月〜1997年5月
・ジャック・アンドレ主催、サンタンヌ病院でのセミネール
・目次は講演順、演者による加筆修正あり

第一章 唯一の対象
──ジャック・アンドレ
第二章 境界例の生成と状況
──アンドレ・グリーン
第三章 境界例は精神分析家にとって夢の患者なのか
──ピエール・フェディダ
第四章 境界例における分裂(clivage)と幼児性欲
──ダニエル・ヴィドロシェ
第五章 境界性機能様式:いかなる境界か
──カトリーヌ・シャベール
第六章 境界性患者、境界性状況──ジャン=リュック・ドネ

昨年、北山先生がくださったCD『イムジン河』を開けて聴いている。この歌が辿った経緯、川の流れ、故郷や祖国を想うこころを想う。加藤和彦の自死を体験した北山先生のことも想った。

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