表面取り繕う知性が強い世の中で女が搾取されない社会が実現するはずない。そういう嘘つきの言葉を拡散してしまってる自分に気づくなんてされてない人には無理な話。

能登のことがずっと胸にある。被災地を何らかの形で体験した人は他の災害に対してもそうなりやすいのだと思う。この夏は羽咋まで行った。羽咋でも金沢でも被害の後を見た。その先の被害は映像で見ている。来年は輪島に行くと決めている。文化をなくしてはならない。その文化を育てた土地をなくしてはならない、と改めて思う出会いがたくさんあった。

自分もすっかり大人になり、若い頃みたいにいちいち自分を褒める暇もないが、家族をはじめ、自分の歴史において必然的に責任をおう必要があると感じている相手のことを存分に考えながら動けることはとても幸せなことなのだと思った。

私はほんとこの人最低、というか、よく平然とその立場を維持してるよね、と思ってしまうので寅ちゃん尊敬する。

夜のミーティングの後呑んできた。私は今回もひとり声をあげてきた。そう思っているならみんなも声にだして。自己責任というのは簡単だけど人を孤独に陥れるのは簡単だからその力を行使する以外の方法を試せるなら試して、ということが伝わったならいいな。

渡航費を援助してもらうための関係書類はこれが最後であってほしい。きちんと通ってほしい。
きょうの学び。みずほ銀行の外国送金のページからみつけた。

SWIFT=「国際銀行間通信協会」のシステムで、SWIFT codeとはそのシステム内で使われる銀行を識別するためのコード

IBAN(アイバン:International Bank Account Number)=銀行口座の「所在国、銀行名、支店名および口座番号」を特定するための国際規格コード

帯状疱疹ワクチン、公費負担になるのよかったね。私は区の助成ですでに受けたけど。私はコロナワクチンを6、7回受けたけど副反応はほとんどなかった。でも帯状疱疹ワクチンは結構体調崩して大変だった。それでも一日で治ったし帯状疱疹になるよりはいい。とにかく必要なものは誰もが受けられるようにしないとワクチンや病気への偏った理解も減らないと思うんだな。

こういうのも知らなかった。クリニックではつけるように言われていた。今はわからないけど。

名札の“フルネーム”必要?バスやタクシーは掲示義務廃止へ 検索され恐怖を感じたという看護師も… 背景にある「カスハラ」被害【news23】 | TBS NEWS DIG (2ページ) newsdig.tbs.co.jp/articles/-/4

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勉強になった。

2024年6月19日18時30分配信開始 お客様は神様じゃない!  防止の法制化を求めるシンポジウム
youtube.com/live/9aQ804d3XLM?f

人の身体を傷つける人に人徳??と思うけど傷つけられてない人からしたらそうなんだって。自分の知らないあるいは知ろうとしない世界でなら正義も対話も使い放題。「肯定」っってなに?

差別に敏感に繊細に対応する書店が女から搾取する人を頻繁に登場させるのは知らないからしかたないということ。知らせてもしかたないということ。人間関係ってそういうもの。

特別区民税・都民税・森林環境税、高すぎる。泣いている。

米田翼『生ける物質』
第4章イマージュとは何かのところの脚注大事。
「感覚質の主観的側面は記憶力の二つの機能、すなわち収縮と被覆によって構成される。「要するに、記憶力はこれら二つの形式のもとで、直接的知覚の土台を記憶(souvenirs)の布地で被覆する(recouvre)限りで、また多数の瞬間を縮約する(contracte)限りで、知覚における個人的意識の主な供給物、すなわち事物についての我々の認識の主観的側面を構成する」(Ibid., p. 31)。しかし、だからといって、感覚質が全面的に記憶力に由来するというわけではない。感覚質の素材それ自体は、「具体的延長、すなわち感覚質の多様」(MM, p. 244)として物質(イマージュの総体)に最初から与えられている。」

昔、週末に時間があった頃、B&Bによく泊まった。河口湖とか車山高原とか日光とか。当時は安かったけどなあ。

精神分析家候補生になるということはもう一度手厚いお世話を受けるということ。そのためにお金と時間を割くということ。お世話は組織に属する分析家に委託されるので個人的な契約とは異なる。お世話されると子供がえりしてあれが足りないこれが欲しいのにもらえないとか不満も出やすいけど精神分析家になるというのはそういう子供の自分が求めているものって本当は何なの?それは誰かが与えることができるものなの?それが手に入ったら本当に満足なの?足りないほしいもっともっとに応えてくれるかどうかを試してるだけじゃないの?自分がしたいことって本当は何?ということにぶち当たり続ける。そういう自分の相手をしてもらいつつ、自分も患者を持つことでこれからなるであろう精神分析家の体験もさせてもらえる、しかも個々のケースに別々のスーパーヴァイザーがつく。手厚い。システムとして非常に手厚い。分析家やスーパーヴァイジーにあれこれ思うのは自由だし相手を変えることはできるけれどシステムとしての保護機能を手厚いと思えるかどうかも需要なことだろう。

レベッカを歌いまくっていたら喉が痛い。馬鹿なんだと思う。喉弱いからな。もう何十年前のこと、SVで声が出ず「すいません、昨日TDLで遊びすぎて」とカスカスの声で話して苦笑されたことを思い出した。あの日、夕陽がきれいだったよね。

私は以前加工した形ではあるけどよくあるような虐待場面を用いて文章を書いたのだけどほぼ同じ場面が事件としてニュースになったことがある。そうしたら同職種の人が「信じられない!」と怒っていた。この場合、その人は母親を責めているのだろうか。私たちは虐待をそんなふうに安易に捉える仕事をしているだろうか。自分がされることに対してどんな言葉を使おうとどんな手段を使おうと構わわないかもしれない。でも私たちが仕事人として虐待とか戦争の言葉を使うとき、それは事実ありきだと私は思う。

愛するレベッカを歌いまくって「虎に翼」をみて大泣きして、挿入歌をみんな「とら、とら」で歌っていたのだが何の曲だかわかってもらえなかった。とらちゃん、優三さんは最後までとらちゃんのことを信頼しててこれからも何かあれば現れてくれるくらいに生きててくれるね。よかったね。

誰かに不快感や敵意を向けるのは自由だし声を上げることは必要なこともあるけど虐待とか暴力とか戦争で使う言葉をその事実がないにも関わらず簡単に使うべきではない。他に言い方なんていくらでもあるのに実際の虐待や戦争とは比較にならないことを同じ言葉で示すことは本当の虐待や戦争を曖昧にする行為だと思う。

輪島も原爆の図丸木美術館もどう守っていけるのかという話。学芸員の岡村幸宣さんのお話もいいなあ。

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