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『ストラクチャーから書く小説再入門 個性は「型」にはめればより生きる』を読みました。うーんいい本! 今日は前半部(fedibird.com/web/statuses/1124
第一部「ストーリーの構成」の三幕構成は、おおむね理解できており、第三部もさらに詳しい類書が出ているので(文舵とか。とはいえ本著も簡潔に重要なことがまとまっていて良い。)、自分にとっては第二部が白眉でした。
第二部は、「シーン」をアクションを描く“シーン”とリアクションを描く“シークエル”に分割し、さらにそれぞれを「ゴール」「葛藤」「災難」と「リアクション」「ジレンマ」「決断」のブロックに分割し、それぞれの機能を解説していく、という構成です。自分にとって画期的だったのはこの“シークエル”でした。
特に心当たりがあったのは、“経験の浅い書き手の中には、リアクション描写が抜けていることに本人が気付いていないケースがよく見られます。(中略)人物の気持ちになりきって書いているうちに、読者も同じ気持ちだろうと思い込んでしまうのです。”という箇所。現在進行形で指摘されることが多いです。

ここでいう知人(と書いてしまったけど大事な友人です)は大学の同期なので、単純な受験勉強的学力だけでいっても人口の上位数%なわけですが、まあぜんぜんそういうこと(ルビが可読性をかなり上げる)がありうるんだな~と思わされたエピソードです。

ルビの存在って、読者にとっての障壁を下げる意味で、われわれ(日常的に本を読み、あまつさえ自ら積極的に文章を書くような人たち)の考えるよりもはるかに重要なんだよなあ、ということを思いました。
QT: fedibird.com/@abe_dragonslay/1
[参照]

とりゅう  
「日常的に小説を読みつけているわけではないが、おれの作品はだいたい読んでくれている」という都合が良すぎるので架空の存在っぽい知人(実在する)からもらった感想で、「とりゅう君のこれまでのやつ(同人誌などのこと)と比べると、振り仮名がたくさん付いていたので読みやすかった」というものがあり、自分には...

あたしゃ、最近は、実益とかぜんぜん関係なく、ハリウッド映画脚本における三幕構成の開発と受容と発展の歴史を読みたくなってきておりますからね。

あと良かったところとしては、「解決」と「エンディング」にしっかり筆を割いているところですね。映画脚本は小説よりもシンプルだし、尺が決まっているのと、近年はどんどん第三幕が短くなっているのもあってなのか、あまりクライマックス以降の第三幕について解説しないことが多い印象があるので。とはいえ、映画よりも複雑なプロットを持つことが多い小説にとっては、ここは肝だと思います。
PART2の「シーン」についてはざっと見た感じで未知の部分が多そうなので、今後も楽しみです。

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いただいておいて積んでいた(そういう本が沢山あり、申し訳ないと思っています)『ストラクチャーから書く小説再入門』をPART1の三幕構成解説まで読みました。
オタク的にはトリビアルな疑念が何点か浮かびましたが、非常に簡潔でわかりやすい三幕構成の解説書で嬉しいですね。当然と言えばそうでしょうが、小説用の調整が考えられているのも嬉しい。個人的には、これもトリビアルな話になりますが、インサイティング・インシデントとキイ・インシデントを明快に(分けた)解説が好ましいです。自分では長い間ぼんやりしていた部分だったので。
以下、トリビアルな疑念の具体例です。
・ターニングポイント(本著ではプロットポイント)の位置は各幕「中」ではなく「前」なのでは?(第1TPは第2幕前・第2TPは第3幕前)
・セントラル・クエスチョン(本著ではドラマチック・クエスチョン)の提示は原則キイ・インシデントにおいてじゃなかった? 文章構成の都合かもしれませんが、本著だとかなり前で提示するのを前提にして見えました。それとも事前に提示して「明確化」がキイ・インシデントという意図かな。
・「まとめ」の中にそこまでで出てない話が入っていることがあるような気が……。

発表済:イヌ、ネコ、ドラゴン×2、クマ、進行中:オオカミ、ウマという感じですな。
QT: fedibird.com/@abe_dragonslay/1
[参照]

とりゅう  
この感じだと、イヌ→ネコ→ドラゴン→ドラゴン→オオカミ→ウマ→クマということになりますね。
とりゅう さんがブースト

三幕構成解説パワポの初稿が完成しました。いろんな所から集めてきた秘伝のレシピになっていますが、いろんな所から“無断で”集めてきたせいで門外不出という感じです。

とりゅう さんがブースト

三幕構成を(無料で)「知る」だけなら、異常に熱心で詳細なwikipediaのページとカクヨムのフィルムアート社公式講座を読めばいいだけなので、今からわざわざ新しく三幕構成解説パワポを作成するなら当然何らかの差別化が必要になってきて、となると結局は「以下有料」になってしまうんですよね。

単に街に妖怪が出る、というだけでは「現代性」みたいなものが足りないんだろうな、とは思います。

妖怪ってそもそもかなりアーバンファンタジーという気がしますよね。あやかし系なんてそう呼ばれてないだけでどう見ても本邦におけるアーバンファンタジーじゃないですか。……と言い切れるほどどちらのジャンルにも知識がありませんが。

とりゅう さんがブースト

自分がアーバンファンタジーを書くとするならどうするかと考えて、河童とヒトの共生が成立している社会で河童の「細分化・再分化」が起こりそれまで一括りに共生できていた河童たちがメドチ・ワロドン・ヒョウズンボ……などに生態を回帰させていく中でどうにか社会を機能させようとあがく人間たちの話、というのがまず思いついた。また河童に頼ってる!!

最近のお気に入り登場人物名は、思川一縷(おもいがわ・いちる)です。次回作の主人公です。

アーバンファンタジーアンソロジーのあとがきに、近況として「好きな惣菜発表ドラゴンのことをライバル視している。」と書くの忘れていたので、かわりにここに書いておきます。

そして再来週の文フリの宿を取っていないことに、気付く……

温泉宿の予約をしましたが、ハイシーズンじゃないからなのかすごい安いな。

自分では長いこと、(登場人物を物語に従属する駒として見るような)箱庭での人形遊びが好きなのだと思っていたのですが、もしかすると実際はコミュニケーションのほうにこそ関心があるのかも(つまりごっこ遊びやおままごと)、とここ数年で感じてきたのは、いわゆる厨二病的なカッコつけの自意識がなくなってきた結果、このあたりの混乱が解消されてきたのかもしれないですね。セルフカウンセリング、完。

登場人物(あるいは「人間」)が特に理由がないかぎりだいたい女性になるのは、その影響といっていいのかもしれないか。

よしざきさんのブログを読んで、おれもレゴブロックキッズだったなあ(じゃないキッズも少ない気もするが)、と思いました。複数のテーマを混ぜてストーリーを作ったり、なんなら別のフィギュアを持ち込んでお人形遊び的にひとり遊びをしていました。ひとり遊びでなくとも、ごっこ遊びとか、おままごととかが自分の根底にあるような気がします。小学生くらいまで、親しい友人(幼馴染)に女の子の比率が極端に多く(10対1とか)、そういう遊びに(男子役として)頻繁に駆り出されていたんですよね。そういう体験が今に繋がっているかというと、よくわかりませんが。

おれってブンガクもまったく通っていないので(たとえば夏目漱石さえ一冊も読んだことがない)、めちゃくちゃ伸びしろがあると思うんですよね。自分、まだまだやれるっす!

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