『ストラクチャーから書く小説再入門 個性は「型」にはめればより生きる』を読みました。うーんいい本! 今日は前半部(https://fedibird.com/web/statuses/112400260276835587)に引き続き、第二部「シーンの構成」第三部「文の構成」でした。
第一部「ストーリーの構成」の三幕構成は、おおむね理解できており、第三部もさらに詳しい類書が出ているので(文舵とか。とはいえ本著も簡潔に重要なことがまとまっていて良い。)、自分にとっては第二部が白眉でした。
第二部は、「シーン」をアクションを描く“シーン”とリアクションを描く“シークエル”に分割し、さらにそれぞれを「ゴール」「葛藤」「災難」と「リアクション」「ジレンマ」「決断」のブロックに分割し、それぞれの機能を解説していく、という構成です。自分にとって画期的だったのはこの“シークエル”でした。
特に心当たりがあったのは、“経験の浅い書き手の中には、リアクション描写が抜けていることに本人が気付いていないケースがよく見られます。(中略)人物の気持ちになりきって書いているうちに、読者も同じ気持ちだろうと思い込んでしまうのです。”という箇所。現在進行形で指摘されることが多いです。
ただ、正直言って途中までは、「シーン」を構成する6要素があり、それぞれにいくつかのパターンがあり、気をつけるところがあり……となると、結構しんどくなってきて、「向いてないかも……」と思っていました。
それが22章の「シーン構成のバリエーション」まで至ると、一気に展望が開けました。22章で語られるのは、これらのブロック、特にシークエル部分は極端に短かったり、省略したり、あるいは順番を入れ替えたりしてもよく、それによって要素(ブロック)が完全に揃った「シーン」とは異なる効果が狙える、ということでした。自由度が増す分さらに考えることが多くなりはするのですが、重要なのは、「要素を揃える」ことではなく、「(全要素の揃った完全な)「シーン」との距離を測る」ことなのではないか、という気づきがありました。
なので、いまの自分のスタンスは、「シーン」の要素は本著タイトルにおける「型」であり、それと比較することで、ぼんやりと思い浮かんでいる「シーン」を点検する、あるいは「シーン」が思いつかないときの取っかかりにする、という使い方をすべき、というものです。その意味ではタイトルの“「型」にはめれば”というのとはちょっと違いますね。