架空ストアが19時をお知らせいたします
孤伏澤つたゐさんがアルバトロスの語りの果てへなど2商品の販売を開始いたしました
動物の死体に湧いたウジを全部数える。死体を巡る生き物たちの意外な営みについて日本大学の橋詰茜さんに聞いた
https://hotozero.com/knowledge/nihon-u_scavenging/
“ウジは肉を食べながらどんどん成長していって、三齢幼虫(蛹になる前段階)になってから死体の表面にしばらくとどまって、あるタイミングでいっせいに蛹になるために死体から分散していくんです。で、鳥がウジを食べるとき、死体の上にうじゃうじゃいるウジには手をつけなくて、分散を始めてから死体の外に散り散りになっているのをちまちま食べているっていう、非効率なことをしていることがわかりました。
ウジは蛹になる前に食べた死肉を全部消化して排泄して消化管を空っぽにすることが知られていて、そういうクリーンになったタイミングで食べようとしてるんじゃないかと考えています。”
第45回日本SF大賞のエントリーが始まっています。
青島の作品では以下のものなどが選考対象です。
良かった作品があればぜひ応援ください。
『私は命の縷々々々々々』(星海社)
「標のない」(『零合 第2号』零合舎)
「エンジェル・メーター」(anon press)
「筒の脂」(FFEEN)
https://sfwj.jp/japan-sf-grand-prize/45th-japan-sf-grand-prize-guidelines/
とはいえ、それがわかっていても、当時の自分はああいう矛盾した感情を抱いていたわけで
それが二次創作者としての感覚だったのか、ファンとしての感覚だったのかは不明だけれど
なんらかの形で作品を「定義」「規定」なんでもいいが「定めたい」みたいな願望はあったと思う
これは別に、例えばキャラクターならそのキャラが実は嫌いだから、とか、何らかの感情の裏返しとして死を望むとかでも、例えば作品なら、作品への不満や、懐古主義からの「これ以上路線変更するぐらいなら終わってくれ」みたいな感覚ではないんだよね
強いて言うなら「作品やキャラクターが今後どうなるかわからないふわふわした状態であるのが恐ろしい」みたいな
やっぱり二次創作や考察がしたいファンとしての感覚なのかもしれないけれど…
以前読んだとある対談で、お気に入りのキャラクターに「死んで欲しい」と思う心理を聞いたことがある
共感できる人がどれだけいるかわからないが、自分がハマってる作品の放送中に抱いた「作品が末永く続いて欲しいけれど、終わって欲しい」気持ちに近いのかも
連載中の漫画や、シリーズものの小説にも当てはまるけれど、続いている作品って、続いている限り色んな理由で、何らかの認識の転換を迫られるのではないか、って恐怖を覚えることもあるんだよね
公式によるちゃぶ台返しや、公式との解釈違いの発生を恐れるというか
実際、自分がハマってた作品ではそれは起きたし、起きる前から、「ファンとして、ずっと続いて欲しい一方で、考察や二次創作をしたいファンとしては、お話が終わってこの話を『定義』させて欲しい」みたいな
うまく言えないけれど
理屈としておかしいのはわかっていて、例えばお話が終わって、これ以上未来が描かれない作品、あるいは、死んでしまってこれ以上登場しないキャラクターでも、過去に戻って新しい設定やお話を付け足すことはできるんだよね
だから、この恐怖を拭うことはできないし、逆に言えば心配する必要もない
ミズヒキイカ属の動画探してたらNOAAがいい動画上げてたので共有します
生きた個体は外套膜が透明なのね
https://oceanexplorer.noaa.gov/video_playlist/ex2107-bigfinsquid.html
I love biology(ichthyology etc.), aquarium, speculative evolution, science fiction and furry(kemono).
生物学(魚類学など)、水族館、思弁進化、SF、ケモノ(ファーリー)が好きです
ちょっと文章も書きます