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お話におけるキツネの対となる種族となると
ウサギ(ズートピアなど、捕食者と被食者という対比)
イヌ(きつねと猟犬など、野生動物と家畜・ペット)
オオカミ(狐物語など、ちょっとこれはコンセプトが思いつかない)
辺りができそうだ
キツネとウサギだったら、イヌとキツネの野生動物と家畜という組み合わせに近い組み合わせにもできるし
キツネとイヌだったら、イヌにオオカミ要素を加えることでキツネとオオカミの話もできそうな
あと「野生動物だがベリャーエフの実験のように家畜化の余地があるキツネ」と「家畜化しているが野生動物としての性質も残っている?イヌ」という対比ができるかもしれない

「繁殖の際の鳴き交わしに人の言葉を真似た鳴き声を発する(架空の)鳥類複数羽が、殺人事件の際の犯人と被害者のやり取りを覚えて真似たことが発覚する」ところから始まるサスペンスとか

そういえばこの前仕事中にVRケモノもの思いついたんだよな(仕事しろ)
「家畜を除く四足動物の絶滅が免れなくなった未来、人類は絶滅した・絶滅寸前の種を細胞の状態で保存し、生態保全として、脳機能を電子保存することに成功する
その副次的効果として、脳電子データ化した脳機能をベースに、動物たちを仮想空間内のAPC(アニマルプレイヤーキャラクター)として、獣人の姿で復活させることになり、人々は同じ獣人アバターで、彼らとの交流を開始する」
みたいなの

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

架空ストアが19時をお知らせいたします

孤伏澤つたゐさんがアルバトロスの語りの果てへなど2商品の販売を開始いたしました

store.retro-biz.com/list_d2024

#架空ストア販売開始

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

動物の死体に湧いたウジを全部数える。死体を巡る生き物たちの意外な営みについて日本大学の橋詰茜さんに聞いた
hotozero.com/knowledge/nihon-u

 “ウジは肉を食べながらどんどん成長していって、三齢幼虫(蛹になる前段階)になってから死体の表面にしばらくとどまって、あるタイミングでいっせいに蛹になるために死体から分散していくんです。で、鳥がウジを食べるとき、死体の上にうじゃうじゃいるウジには手をつけなくて、分散を始めてから死体の外に散り散りになっているのをちまちま食べているっていう、非効率なことをしていることがわかりました。

ウジは蛹になる前に食べた死肉を全部消化して排泄して消化管を空っぽにすることが知られていて、そういうクリーンになったタイミングで食べようとしてるんじゃないかと考えています。”

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

「スピン/spin」第9号が本日発売されました。
青島は短篇小説「うたうきかい」を寄せています。
祖母の肉声をボーカロイドに作りかえる孫のお話です。やさしい装置になりたいあなたのために書きました。
よろしくお願いいたします。

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

第45回日本SF大賞のエントリーが始まっています。
青島の作品では以下のものなどが選考対象です。
良かった作品があればぜひ応援ください。

『私は命の縷々々々々々』(星海社)
「標のない」(『零合 第2号』零合舎)
「エンジェル・メーター」(anon press)
「筒の脂」(FFEEN)

sfwj.jp/japan-sf-grand-prize/4

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

「生命はこのまま進化を続けると環境適応に必要な多様性を、個体差の揺らぎの低下によって失い、宇宙のビッグクランチの如く総絶滅するだろう」という予測から、マッドサイエンティストたちが生物の遺伝子をいじり回し始める「あの爆発をもう一度」とか

とはいえ、それがわかっていても、当時の自分はああいう矛盾した感情を抱いていたわけで
それが二次創作者としての感覚だったのか、ファンとしての感覚だったのかは不明だけれど
なんらかの形で作品を「定義」「規定」なんでもいいが「定めたい」みたいな願望はあったと思う
これは別に、例えばキャラクターならそのキャラが実は嫌いだから、とか、何らかの感情の裏返しとして死を望むとかでも、例えば作品なら、作品への不満や、懐古主義からの「これ以上路線変更するぐらいなら終わってくれ」みたいな感覚ではないんだよね
強いて言うなら「作品やキャラクターが今後どうなるかわからないふわふわした状態であるのが恐ろしい」みたいな
やっぱり二次創作や考察がしたいファンとしての感覚なのかもしれないけれど…

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以前読んだとある対談で、お気に入りのキャラクターに「死んで欲しい」と思う心理を聞いたことがある
共感できる人がどれだけいるかわからないが、自分がハマってる作品の放送中に抱いた「作品が末永く続いて欲しいけれど、終わって欲しい」気持ちに近いのかも
連載中の漫画や、シリーズものの小説にも当てはまるけれど、続いている作品って、続いている限り色んな理由で、何らかの認識の転換を迫られるのではないか、って恐怖を覚えることもあるんだよね
公式によるちゃぶ台返しや、公式との解釈違いの発生を恐れるというか
実際、自分がハマってた作品ではそれは起きたし、起きる前から、「ファンとして、ずっと続いて欲しい一方で、考察や二次創作をしたいファンとしては、お話が終わってこの話を『定義』させて欲しい」みたいな
うまく言えないけれど
理屈としておかしいのはわかっていて、例えばお話が終わって、これ以上未来が描かれない作品、あるいは、死んでしまってこれ以上登場しないキャラクターでも、過去に戻って新しい設定やお話を付け足すことはできるんだよね
だから、この恐怖を拭うことはできないし、逆に言えば心配する必要もない

自分は擬人化大好きなのだが、一方で、人ではなく、自然に由来する超常の存在の本質が、人に似た姿をしていたら、「なんで?」と思ってしまったりすることはたまにある
ただ、それが「人が認識できる姿」とか「人の由来となった姿」とか「人に向けた姿」とかだったら納得がいったりする(割とめんどくさい)

神道や日本の民間信仰の神の概念が適用されるファンタジーで、神が人を由来とするモノであれば、忘れ去られ放置されていくことは神としての死を意味する一方で、神が自然を由来にした、例えば自然の存在を縛り付けて神にしたモノとかなら、自然に還ることは解放されることと同義ではないかと思ったり

生体形質転換技術によって、人体に動物の形態を取り入れた獣人と呼ばれる存在になる「獣化」が一般化した世界
獣化措置を受けた人々は、可動施術蛹、通称「キグルミ」にて、6日間のモラトリアム、ヒトでも獣人でもない状態を過ごす
一生に一度しか味わえない「キグルミ」の感覚に翻弄される人々
あるものは獣化後もキグルミの感覚の虜になり、あるものは一度だけの感覚を満喫する
キグルミに入って、獣人になるまで、それは6日間だけのケモ休み…

ふと思ったが、着ぐるみ着て獣化ってタイプの亜種として、「獣化装置が着ぐるみ型」というのはいいかもしれない
生活における支障を少なく、尚且つ体性感覚などを徐々に馴らしながら、ある程度ゆっくり獣化させていくみたいな

サメデターなる映画、試しに本編をちょっと見てみたら海中映像が
プロが撮った感じではないので実際に近隣で潜って撮ったものではなかろうか
夕日のグリーンフラッシュの後のシーンだけれど、砂地の上で魚が多少群れている
たぶん大西洋岸なので、魚を同定
映像が不鮮明な上に、変なエフェクトもかかっているので不明瞭だったが、尾鰭が二叉し、背中から尾鰭下葉にかけて1本の黒色帯が走るのが見えた
ちょっと時間がかかったが、バージャックCaranx ruberという大西洋産のアジ科魚類だった
数匹の群れを作るっぽい

ちょっと思ったけれど、動物向け再生医療と異種移植と、あと培養肉の需要増とかが組み合わされば、例えばブタの食肉目的の飼育が培養肉に置き換わってできなくなり、異種移植用のブタ細胞を残して、飼育されるブタが消える、みたいな現象も、創作の題材としてはできるのかもしれない
それこそ枕目さんの「フォルカスの倫理的な死」とか溝渕久美子先生の「神の豚」と似たシチュエーションではあるが

そういえばこの前行った葛西臨海水族園のカリブ海水槽
嬉しくも不服なことに何故かここの前だけガラガラだったので堪能してきた
ちょうど給餌の時間らしく、上からレタスが降ってきた
(藻類食の種も多いので、代替としてレタスやキャベツをあげることが多いらしい)
よく見たらハイハットまでいますね 最高ですね

ミズヒキイカ属の動画探してたらNOAAがいい動画上げてたので共有します
生きた個体は外套膜が透明なのね
oceanexplorer.noaa.gov/video_p

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