尊厳死をすすめる社会は「そういう選択肢もありますよ」から「それを選ばざるを得ない」に至るまでの距離は実に短かったりするのかも、とかく日本みたいな国では。みたいなことを以前見たPLAN75でなんとなく思ってた。アマプラネトフリどっちもあるみたいだしもう一度見返そうかな。
そもそも生きたいひとの生きる権利もそうだし、先の戦争でも「生き残った人には厳しい」「死んだ人は英霊」とか今を生きている人を蔑ろにしがちな国で、死ぬことに関しての法整備はやたら前向きに動いてる感じが気持ち悪い。安楽死じゃなく尊厳死と呼ぶのもそれが尊いものというイメージ戦略なのかと思ってしまうよね。
資本に人格を乗っ取られると、資本を増やすことを第一に思考して行動するようになる。資本てロイコクロリディウムみたいだな。
BTs、ヨーロッパにおける「合法的な安楽死」については、児玉真美さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んでから、イメージが全く変わってしまった。
「終末期の人が、救済策として望む選択」とはかけ離れた恐ろしい状況で。
◆「耐えがたい苦痛がある」という指標があったはずが、今では「生活の質(QOL)が低い」ことに拡大されてしまっていること。そのため、福祉制度や支援があれば生きられる人に対して、驚くほど簡単に安楽死の申請が受理される状況。
◆更には患者への治療が「無益な治療」と判断され、自分の意思を表明できない人たちが続々とドナーとされていること。安楽死後の臓器提供という「人体の資源化・有効活用」が起きている。
スイス、オランダ、ベルギー等の安楽死「先進国」をはじめ、カナダなど合法化された国での様々な実情が書かれています。
「尊厳死」が認められたら、瞬く間に「すべり坂」を転がり落ちてゆくとしか思えない。絶対に反対です。
豪快に寝坊しました。
日曜日ですね。ざべすがアフタヌーンティーを記録しました。
ざべすは牛乳と横浜とおしゃべりが大好き - プール雨
エンゲル係数28%、42年振りの水準のとのこと。
ざっくり言えば、ここの所の物価高で庶民の生活水準は42年前に(1982年)に戻ったとも言える。
しかし、1982年は非正規雇用はまだ法的に認められておらず、まだ次世代は、さらに「豊か」になるだろう、と言う、根拠はないが漠然とした希望があった時代である。
言説の世界でポストモダニズムが一世を風靡するのもここから10年である。
実際には、英国ではサッチャー、米国ではレーガンが当選し、世界的に新自由主義が本格的に始動し始めた時期でもあるのだが、日本ではまだこれから「バブル」へと突入していくタイミングになる。
それにしても未だに「インフレ」をなにやら「希望の星」を闇雲に信じる人達がいるのは驚く。
かつてインフレがポジティヴに解釈されたのは、実体経済への新規の設備投資を経て、短いタイムラグで賃上げが起こる、というWWII以後の「例外」的な時代の話。
現在のように、物価は急上昇、実質賃金は減少では、「不労所得」の億万長者以外の生活水準は下がり続けるだけ。その上、雇用は不安定、老後も保障されないとなるとなおさらである。
これを学問的に言えば、WWII以後の「新古典派総合」の前提は完全に崩れた、と私は考えている。
タイトルで内容がわかる
素晴らしいね
経団連の「9割の企業が原発再稼働必要」は、印象操作ではないか? 傘下1700社のうち回答わずか167社なのに
https://www.tokyo-np.co.jp/article/359912
通信制高3(卒業延期)息子と共に暮らす氷河期世代シングルマザー。司書資格持ち。心理学専攻だったのに建築の仕事してます。合気道とヨガにドはまっていて、常にアザと筋肉痛を抱えている。のし梅のシートの匂いが好き。