“業績悪化で移転したオフィスのトイレが「男女共用」で耐えられないーー。弁護士ドットコムに、女性からこのような相談が寄せられている。相談者を含む女性社員は、わざわざオフィスを出て他のビル内の女性トイレに行くという。
職場のトイレにもルールがある。従来は男女別とされてきたが、2021年に労働安全衛生規則が見直され、従業員10人以内の事務所であれば共用トイレ1個を設置すればよいこととされた。”
法改正時に指摘、予測されていた話であった。市井で働いている人たちに対して、ほんの少しでも興味があれば理解できる話であった
QT: https://fedibird.com/@gaitifuji/111995371482793979 [参照]
こういう構造問題にスポットライトが当たる時、必ず個人の問題として帰結さたがる奴らがでてくる、「善きこと」を語る風情でやってくる。ここぞとばかりに「共感」を武器にした個人のナラティブを引っ張り出してくるやつには、気をつけろ、としか言いようがない
QT: https://fedibird.com/@gaitifuji/111995464755001676 [参照]
ヤングケアラーなる造語を作ってまでして児童労働の現実を覆い隠したい理由は、資本があるものはその労働には対価を払っているにもかかわらず、行政、資本家や一部知的階級の者たちが、介護や家事を「労働」とみなしたくないからだ。今まで女性がやってきたことを労働とみなしたくないからだ。それ以外に答えが見つからない。
この構図、私の目には男性の非正規雇用問題と同じに見える。今現在、非正規雇用になっている男性が置かれている社会経済状況は、長年多くの女性たちが置かれてきたものだ。国が貧しくなり社会からバッファが消えていく中で、この国の統治機構や持てる者たちは、それでも足りないと、その穴埋めとして技能実習制度という現代の奴隷制度を引っ張り出し、今は家庭の中で女性たちが担ってきた役割を子どもたちに分担させ、家庭の中にいた奴隷を社会に更に引きずりだそうとしている。当然ながら、より多くの負担が女子児童に向かうのは構造的に必然となる。その彼女たちの前にそびえ立つのがこの国の異様なる性搾取構造だ。貧困の無限連鎖講みたいな悲劇的状況が、我々の目の前に荒涼たる風景として広がっている。自己決定権の前に拒否権を。この状況を拒否できる権利を社会的弱者に与えよ。話はそれからだ。
こちらの、西ドイツの復興は中東戦争によるイスラエルの兵站を裏で支えたからだ、という藤原辰史氏の論考は実に興味深かった。個人的に、日本の戦後復興は、朝鮮戦争、ベトナム戦争という米軍の戦争の民生部門の兵站を担ったことが最大の要因であると思っているけど(そこへの目眩しとして「日本人の類を見ない勤勉さが高度経済成長を支えた」などと言うような様々な尤もらしいナラティブが作られた)ウクライナ、ガザの戦争、そして米国が主導する台湾有事という実際に起きた、そしてこれから起きそうだと仕掛けられている戦争によって日本とドイツ両国が第二次世界大戦後に辿った道のり、経緯が再検討されることになっているのは、決して偶然ではないんだろう。
QT: https://fedibird.com/@gaitifuji/111984890120865746 [参照]
ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 | 長周新聞 https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/29293
『ザリガニの鳴くところ』
ついに吹き替えに手を出してしまいました。ミステリ作品を見ていてトリックを見落としたり寝てしまったりするので日本語なら最後まで見られるだろうと吹き替えにしました。寝ませんでした。
沼地の花鳥風月と素朴な主人公がとても好ましかった。今年の夏はジーンズに淡い色のシャツを着て過ごしたいと思った。まさかあのかわいい服がちゃんとした服ではなかったとは60年代の服装規範はなかなか厳しい。
男二人が似た感じの人でちょっと見分けがつきにくい。と思ったら暗闇でその効果が出ていた。ミスキャストと思って済まない。私の見識が甘かった。
裁判シーンも人情派弁護士の腕の見せ所でリーガルドラマとしても楽しめた。街中で最初にあった時のこと、雑貨屋の黒人夫婦の気遣い。街の人もカイヤのことを知っているけど理解しようとしたなかったことと対比になっている。
エンドロールまで花鳥風月だから普段エンドロールを見ない人も最後まで見てほしい。
基本的な話として。抑圧される側、支配されている側、被差別対象層がこの社会において自分達だけの場所を獲得、保持することの重要性がわからぬ人たちが、差別がどうの、人権がどうのと、公の場で良くおしゃべりできるよなと思うんだよな。挙句に抑圧されている人たちに対して説諭とかし始めるからね。ほんとに真面目に考えてるのか怪しくなってくるんだよな、ああした言動見ているとね。止まってる時計の可能性(つまり、マーク・トウェイン言うところの、壊れた時計でも1日に2回は正しい時刻を指す)をそこに見るのよ。例えば従軍慰安婦問題追及している人が、女性の定義をぶち壊している様など見ているとね。時計としては壊れている可能性を見るのよ。だって、話聞いてると、机上の空論ですら成立していないでしょ、まともに取り合える気がしないもの。いや、ほんと、こんな話に延々と付き合わされている女性の皆さんにしたら、たまったもんじゃないとつくづく思う。しかしどこかで必ず、修正、方向転換のフェーズが来るわけだよね。その時、彼らはどうするのだろう。謝罪なり、訂正なりを自分の口で出来るのだろうか。それとも彼らがいつも批判している、ネットヤクザ的極右連中と同じく、ガン無視決め込むのだろうか?
▶ジェンダー平等への取り組みは評価できるし◀
https://www.tokyo-np.co.jp/article/308682
長々読まされたあげく、この一文で「はいアウトー」とトドメを刺される話だとわかるね。
ぼちぼち読み進めてた「未闘病記」がそろそろ読み終わるんだけども、これ読んじゃった後だと、「当事者」って言葉は気軽に使えなくなってしまうし、カジュアルに使ってる人のことはあまり信頼できなくなるな。ううむ。
「性は自由に選べる」「男女の性差はすべて社会的・文化的に構築される」というトランスジェンダー論は間違っている! https://bunshun.jp/articles/-/68787?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink #文春オンライン
そりゃ長谷川真理子ならそういうわね。ダーウィンやオルコックの翻訳やってる人なんだから。なんたって、あの社会生物学論争を生物学者としてど真ん中で経験してきた人なんだ。考えに揺らぎはないだろうさ。「まーた、始まったな」というくらいの感じじゃないのかな。
都電の三ノ輪橋近辺とか、えぐい地上げがあっても不思議はないよなあ。立石とかあっという間だったもんね。で、合わせて謎の都電推しキャンペーンとか仕掛けたりして。
QT: https://fedibird.com/@mannin/111883881435749368 [参照]
https://bunshun.jp/articles/-/68787
“「性は曖昧で連続性がある」と主張されますが、「性差」の大元である「配偶子」の次元では、「大きな卵」か「小さな精子」のどちらかしか存在しないのです。ここに「曖昧さ」や「連続性」や「中間系」は存在しません”
最後まで読めばわかるけど、「生物としての性差がある」ということは、別に「性自認はない」ということではないのよね。
生物としての性差を認めないと対応できない問題もあるし、高度に発達した社会で生きる人間には生物としての性差に注目してるだけでは対応できない問題もある、ってことで。
生物としての性差に着目すると「差別主義者」って言われるのは異常だし、社会的な性差を無視するのは怠惰だと思う。
@ftheminion なんか既視感あるなと思ったらあれだ、「慰安婦」に対する歴史修正でよく見かけるアプローチですわこれ
活字と映画の海に漕ぎだそうではないか。
@Petrol0110 で何やら小難しい話をしている。