保守の人たちへの疑問は、保守系論壇や保守系世論が、なんといっても集中的に、一斉にテーマが統一されてでくるということ。
今は一斉に、LGBTQに関する差別的な批判。
皆、同じ論調で言い立てるから気味が悪い。
@Shima9393
Twitterがあんな調子だからかな(笑)
@sayuri_t_h わたしも昨今の日本で“お笑い”至上主義みたいな風潮が大嫌いです。誰かを傷つけようが何だろうが全て「ネタだった」「笑い取るためだった」で済ませて、それで全て正当化出来ると考えている異常さ。
ムラ社会内だけで通じる「共通言語」の一つとして身内受け笑いのツボを心得ているか測ったり、その身内受け笑いの度合いでムラ社会へのコミットメント度合いを試されるから他人を害するかもというボーダーが見えなくなって平気で度を越す感じ。そういう笑いを取るアクションがイニシエーションみたいに使われているのだと思うと吐き気がします。
有料記事で途中までしか読んでないけど、「笑いとるためだった」と無罪を主張できるとても無神経なメンタルは日本社会のいろんなところに蔓延していると思う。
政治家がウケを狙った大失言して撤回するのも「笑いとるためで悪意はない」ためで、それこそが無感覚の素の悪意であると理解できないんだろう。
バラエティやお笑い番組で一昔前は平気で若い芸人に暴力振るったりしてたのも、家族や親しい人間関係を修復できそうにないレベルのプライベートな内容を笑いとるために暴露するのも、笑いを提供する側もされる側も感覚が麻痺してはいないのか。
笑いを引き出すための代償が人を傷つけるという行為になっているのが抵抗なく当たり前になっている現状は不健康だと思う。
麻痺していない感覚を持ち傷つけられて痛みを感じ、さらに勇気も持ち合わせて声を上げた五ノ井さんに対し、被告側は笑いを取るためだったという理由で罪を逃れる事が許されてはならない。
「笑い取るためだった」 元自衛官ら無罪主張 五ノ井さん性被害事件
https://www.asahi.com/articles/ASR6Y6R06R6YOXIE012.html
「フクシマ」はもう終わったことにして、もろもろの支援を打ち切ってあとはもうシモジモの皆さんでご勝手にどうぞと言うための「除染」であり、「復興」であるというのは非常に強く感じる。汚染土の再利用とか意味の分からないことを言い出すのも、まあそこを踏まえておれば理解可能だよ。日本政府というのは、日本に住む一般人のために存在するのではなく、支配層、特権階級に奉仕するために存在しているからね。
隊員募集のため「自衛隊では365日3食ずっと無料」とアピールをする動画が昨年拡散され、「経済的徴兵制では?」との声があがりました。この「苦学生求む」は露骨ですが、米国のみならず、日本では経済的困窮がどのように結びついてきたのか。布施祐仁さんと考えました▶ https://youtube.com/watch?v=UybHnEppOAo #d4p
そもそも収容って何?どうして何度も難民申請する人がいるの?2021年に廃案になった入管法政府案は何が問題だったの?本当に必要な改正は?など「そもそも」の具体的なポイントをQ&Aで整理しました。ぜひ、ご一読下さい。これ以上絶望を増幅させないために。
https://d4p.world/news/19702/
日本で「難民」として生きていくリスク | | 稲葉剛 | 毎日新聞「政治プレミア」 https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230113/pol/00m/010/004000c
その家の母親は話していることがあまり理解できないようで、自分の持っていった知育玩具で遊んでいた。積み木を重ね、絵本をめくる。自分を営業だとはわからず「先生」と呼んだ。遊び方を教えたからだろう。発音がうまくできなくて「てんてぇ」と言って手を上げる。「てんてぇ、もっと」とおもちゃを欲しがる。30歳くらいだろうか。
このお母さんはどうやってこの家で暮らしてきたのだろう、結婚の意味を知っていたのか。子供を産ませるために連れてこられて、その行為をどうやって受け入れたのか。男を受け入れ、身体は受精し、妊娠し、出産し。だが、この人はその意味を理解していたのか。
おもちゃは売らなかった。欲しがってくれはしたが断った。
何故こんなことを。そんな思いでその家を出た。こども。家。跡取り。そのためにあの女性は道具にされた。これが現代の日本で起こることなのか。
あの女性は本来なら支援を受けるべき人だ。生きていること、存在していること、それを社会が支援するべき人。何故そんな支援が届かないのか。
「嫁の親だって片付いて欲しいからね」あの祖母の言葉。
それからそんな母親を何人も見た。現代日本の話だ。
Twitterで"生涯子無し"がトレンド入りしててふと思い出した。自分が子供のおもちゃを扱う仕事をしてた時のこと。
おもちゃを見たい母がいるということで訪問した家。その家の母親は知的障害者だった。知育玩具云々は伝わらない。ただ単にかかってきた電話に「はい、はい」と答えた結果のアポだった。
お子さんは3人だった。上の子は小学生らしかった。が、トイレができなかった。言葉もなかなか出ない。下の子2人は保育園くらい。奇声を上げて暴れ回っていた。自分は詳しくないが、恐らく3人とも知的障害者ではないんじゃないかと思った。ただ、生育環境の問題で覚えることができなかったのだろう。
そこへ家事その他を受け持っているだろう祖母がやって来た。おもちゃの営業でしかない自分に愚痴を言う。「息子がなかなか嫁を貰わなかった。40過ぎても独り者。それじゃ世間体も悪いしこの家の跡取りもいなくなる。だから若い女で文句を言わないのを探して連れてきたんだ」と。よくあるんだそうだ。結婚しない中年の息子に知的障害を持った若い女性を娶せる。子を産ませれば世間的には妻子を持った一人前の男として認められる。
@meka_panda
数学や哲学の分野では、幼い頃からの環境(自然、建築物)などは天才的な感性が育つための要因として大きい、ということはよく語られますよね。
博物館や美術館、大きな図書館、コンサートホールや劇場などは、建築物としても優れたものが多く、周辺も大きな公園や文化的な街並みに恵まれていることが多いです。
例えば、うちの子は小学生の頃から上野の国立科学博物館が大好きでしたが、それは周囲の公園や池などの自然、美術館や資料館などの文化資産やアメ横などの街の雰囲気など全てを含めての「好き」であったと思います。
Amazonで欲しい本やソフトが手に入りサブスクで簡単に映画を見ることが出来ても、文化財になっているような建築物や美しく整備された庭園などにじかに触れる経験は得られない。
そして何より、実際にコンサートを聴いたりクラシックバレエなどを観る、あるいは博物館や美術館に行くという経験も大切だとは思いますが、普段からそういう経験をしていなくても、いざしようと思った時に「それらが気軽に出来るかどうか」という環境の違いからくる“心理的距離”の差こそが、文化的格差の肝なのではないかと思います。
選挙行かないとか言う人たちって、まぁいろいろな人がいるんでしょうけど、私が思うに半径2メートルくらいの世界に住んでいるんですよ、本当に。
で、そう言う人たちは、2年前のボリスジョンソンみたいに、「社会がある」ってこと知らないんだと思う。
半径2メートルの世界って、要は「自分の周りの人たちにどう思われるか。好かれるか。嫌われるか」がこの世のすべてなんだって。
だからそう言う人たちって、別に反マスクとかではなくても、マスクは同調圧力のためにしているのであって、それ以外の理由なんて思いつかないし、それ以外の理由があるなんて想像の外だし、考えたこともないのよ。
で、その人たちがコロナを怖がるのは、感染して自分が苦しんだり場合によっては死ぬかもしれないからではなくて、感染して職場の人から白い目で見られたり、仕事を休まざるを得なくなって仕事に穴を空けて周囲に迷惑をかけることなのよ。
とにかく彼らは周囲の人間が怖くて仕方なくて、全ての言動の動機付けは周囲の反応にあるんだって。私はいつも話聞いてるから良く知ってるのよ。そんな人たちが政治や社会のことに興味持ったり、たとえただ投票するだけでも自分の意志で自発的になどするわけがないのよ。
そう言う人が今の日本には溢れているんだってば。
Madsttm@fedibird.com
右でも左でも真ん中でも保守でもラディカルでもあるおかしな日本人です。
ひとつだけ心に決めていることは、反差別。
だってやっぱりよくないでしょ、差別なんてさ。
区別と差別は違うからね?
差別じゃなくて区別!なんて言っている奴はたいていレイシスト。