有料記事で途中までしか読んでないけど、「笑いとるためだった」と無罪を主張できるとても無神経なメンタルは日本社会のいろんなところに蔓延していると思う。

政治家がウケを狙った大失言して撤回するのも「笑いとるためで悪意はない」ためで、それこそが無感覚の素の悪意であると理解できないんだろう。
バラエティやお笑い番組で一昔前は平気で若い芸人に暴力振るったりしてたのも、家族や親しい人間関係を修復できそうにないレベルのプライベートな内容を笑いとるために暴露するのも、笑いを提供する側もされる側も感覚が麻痺してはいないのか。

笑いを引き出すための代償が人を傷つけるという行為になっているのが抵抗なく当たり前になっている現状は不健康だと思う。

麻痺していない感覚を持ち傷つけられて痛みを感じ、さらに勇気も持ち合わせて声を上げた五ノ井さんに対し、被告側は笑いを取るためだったという理由で罪を逃れる事が許されてはならない。

「笑い取るためだった」 元自衛官ら無罪主張 五ノ井さん性被害事件
asahi.com/articles/ASR6Y6R06R6

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@sayuri_t_h わたしも昨今の日本で“お笑い”至上主義みたいな風潮が大嫌いです。誰かを傷つけようが何だろうが全て「ネタだった」「笑い取るためだった」で済ませて、それで全て正当化出来ると考えている異常さ。
ムラ社会内だけで通じる「共通言語」の一つとして身内受け笑いのツボを心得ているか測ったり、その身内受け笑いの度合いでムラ社会へのコミットメント度合いを試されるから他人を害するかもというボーダーが見えなくなって平気で度を越す感じ。そういう笑いを取るアクションがイニシエーションみたいに使われているのだと思うと吐き気がします。

“ムラ社会内だけで通じる「共通言語」の一つとして身内受け笑いのツボを心得ているか測ったり、その身内受け笑いの度合いでムラ社会へのコミットメント度合いを試されるから他人を害するかもというボーダーが見えなくなって平気で度を越す感じ”の箇所、とても的確に表現されてて感服しました。
本当にその通りだと感じます。
これが職場や友人関係といった小さなコミュニティから社会全体という大きなコミュニティまでの感覚になっている中での多様性や平等の議論って出来るのかどうかと思うと道のりは長いですが少しずつ意識自体が変わると良いですね。

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