何となく泉のツイット見たら高市の話が一個もなくて「え?小西ひろゆきって立憲だよな!?」とバカみたいな確認作業をしてしまった。
時間の無駄であるよ泉の存在は(変な言い回しを敢えてする)
アフガンでもイランでもアメリカ(中絶禁止等)でも日本でも、起きているのは女性差別の復活。で、そのせいで全員が不幸になってゆくことに、それを主導している男たちは気づかない。
『アフガンの大学、男子のみで新学期スタート 女子学生が抗議』
https://www.cnn.co.jp/world/35200957.html
「国民の放送法が一部の権力者によって都合のいいような解釈に私物化されている」事実が明るみになったことは問題視せずに、権力者の悪巧みが表ざたになったことを問題視する国民民社のタマキン。こいつらが自公維と並ぶ人類の敵である事実は揺るがない。
「放送法めぐる「行政文書」流出が「政治的意図のもと行われたなら問題」 民社・玉木代表持論「背景も精査すべき」」
https://news.yahoo.co.jp/articles/04efaae45e96fe0e6d9b1c7076d10a1649587109
前BTより。
「精神科医にも拳銃持たせて」病院協会長が機関誌で引用2018/6/23『朝日新聞』https://www.asahi.com/articles/ASL6Q5KH0L6QUCLV00Y.html
こういう事を言う人が精神科のトップに立っている日本。
「精神科医に拳銃を持たせてくれ」で批判殺到のトンデモ精神科医は“アベ友”だった! 安倍首相とゴルフや会食、叙勲も2018.06.22『LITERA』https://lite-ra.com/2018/06/post-4083_2.html
ちなみにこの方、石原慎太郎氏とも交流がありました。
ANN動画ニュース「福島県で強盗事件が相次ぐ中、犯罪組織が悪用する“闇の個人情報リスト”。福島の被災者をターゲットにした“闇リスト”の実態が明らかになりました」
https://youtube.com/watch?v=i2cIIZD3xi8&si=EnSIkaIECMiOmarE
▽被災地で狙う「原発事故の賠償金など」
礒崎は14年11月23日の投稿で「日曜日恒例の不公平番組」に言及し「仲間内だけで勝手なことを言い、反論を許さない報道番組には、法律上も疑問がある」と指摘。24日には「放送法上許されるはずがない。黙って見過ごすわけにはいかない」と批判のトーンを強めた。具体名の言及はないものの、TBS番組「サンデーモーニング」を指すとみられる。
「政治的公平」巡る放送法解釈の「変更」 礒崎陽輔氏の問い合わせが契機 総務相認める 文書の真贋は答えず:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/234996
AIが人の仕事を奪う以上、適切な課税とベーシックインカムによる下支えは間違いなく必要になるんだろうが、それには公正な政府の存在が必要条件で、日本では悲惨なことにしかならんだろうな。
「幼児的全能感」それよ、それ。インセル、ネトウヨ、ミソジニー、DV、皆それ。その全能感と現実とのギャップが、被害者意識となって、abuseとなる。今の世界の暴力はほとんどこれで説明出来るのでは?
「どこにも居場所がない」(正)
また、この手の超高学歴ネトウヨ、「誰か」に女性、特に「知的女性」を代入することも多い。
そういう意味では東浩紀や呉座勇一、SF、ライトノベルといったサブカルチャー界隈の「ミソジニー」と共振している。
また在日コリアン、沖縄、はては韓国、中国、といった外国にまで「自分の人生」の失敗の責任を押しつけることもままある。
しかし、「マジョリティ」や「米国」に彼らの「誰か」が入ることはない。要するに、攻撃をしても「報復」がない「マイノリティ」を意識的・無意識的に選択している。
1930年代のドイツではその「誰か」が「ユダヤ人」であったわけだ。
先に挙げた、東、呉座、SF、,ライトノベル、それにアニメ。
母子癒着を前提とした「男の子」の「幼児的全能感」という共通した感性。
また現在日本の文化ヘゲモニーの中心にいるので、これの批判・解体は一苦労。
次号「現在思想」特集「カルトと教育」での教育社会学者大内裕和さんとの討議では、ハードな権力の新自由主義的再編とともに文化言説における「母子癒着」、「男の子」の「幼児的全能感」、そして「プチ・ゲッベルス」問題についても議論しました。
NPO法人「コラボ」への嫌がらせを続ける草加市議、「ジョーカー」河合ゆうすけは「法務博士」だった!
このマストドンへの投稿で、高学歴ネトウヨの「コア」として2004年から毎年千人単位で誕生している「法務博士」について何回か書きました。
この人たちは、30歳過ぎて司法試験に受からず、日本の雇用システムでは法律の知識と連動した「受け皿」がありません。
また多くの人は「立身出世」と「自己責任」を完全に内面化しているため、学部から数えると1000-2000万くらい投資して、30過ぎ、「どこに居場所がない」自分を直視するのは「つらすぎる」ので、「誰か」のせいにする選択を行うことが多い。
この河合ゆうすけという人、映画「ジョーカー」の扮装をしている、というからそのあたり確信犯なのだろう。
現在彼のように「リアル」な世界に突撃する「ネトウヨ」は多くないが、潜在的支持者は多数いるだろう。
しかし、実は、今度の「現代思想」討議で80年代からの芸能人のイデオローグ化と「笑い」の変質、法務博士に代表されるプチ・ゲッベルス問題について話したところ。
河合ゆうすけ氏、完全にこの例にあてはまるなー。
今はまだ「際物」だが、これから社会が崩壊していく際には、パワー・エリートが利用する可能性も高くなる。要注意です。
デーモン小暮、タモリ、ビートたけし、つまり80年代バラエティーくらいから、「笑い」の変質が始まり、芸能人の「イデオローグ化」が開始されたと思う。
つまり、かつての「芸能」の「笑い」は基本「権力」や「強者」に向けられたもの。これは中世の「狂言」でもそうだ。
ところが、80年代から戦後民主主義的な言説を「抑圧」と見做して、「マイノリティ」の人権という「タブー」を侵犯することがTVバラエティーで主流になり始める。
「ネクラ」・「ネアカ」という対語も「パラノ」・「スキゾ」という浅田彰の単純極まる二項対立とともにインテリ層でも浸透していた。
この場合、マイノリティーの人権・日本の植民地責任に拘る側が「ネクラ」・「パラノ」となる。
タモリの早稲田モダンジャズ研究会、赤塚不二夫への取り入りから始まった80年代の振る舞いは、まさに「全共闘」世代の消費社会への転向を凝縮するもの。
今頃になって「新しい戦前」などと口走って、一部では持て囃されているようだが、これも「戦後民主主義」批判で自閉していた全共闘世代の遅まきの「あせり」を象徴している。
90年代から21世紀にかけては吉本興業と維新の関係に象徴されるように、この流れの極右化が一気に前景化する。
大阪のメディアなどは吉本・維新の支配下にあると言っていい。
QT: https://social.vivaldi.net/@mamemumiko/109967589113269404 [参照]
じゃあ2類のままでいいんじゃないですかね……………………
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230303/k10013997831000.html
「コロナいままた落ち着いてきて良かったねー」とか、思うじゃん???
https://www.stopcovid19.jp/
ノーベル文学賞作家アレクシェービッチさん
「帝国(ソ連)の中で、どのようにロシアが分割されるかや、貧富の差の出現、残酷な原始資本主義など、不平等に対する、社会的な抗議が爆発するかもと思っていました。しかし、まさか、外部の、しかも捏造された敵と戦争するとは、まったく想像していませんでした。」
「プーチンの時代になって、プーチンが国民を鼓舞するプロパガンダのために作ったスローガンがあります。“ロシアは、こんなにも長い間、屈辱を味わってはいけない” “ロシアは、面子をつぶされてはいけない”つまり、“我々は再び偉大な大国になるべきだ”と説いたのです。
それは国民自身の思いでした。プーチンは、国民が聞きたがっている言葉を口にしたにすぎないのです」
※とても大事なインタビュー記事だと思う。
蔵前勝久氏(朝日新聞論説委員)のコメントは広く読まれるべきと思うので引用。
〝この記事を読んで、かつての取材を思い出しました。まさに14年のことです。安倍氏に近い首相官邸スタッフが「最近、テレビは政権批判をやらなくなっていいが、ラジオがひどいな」とし、具体的な番組名を羅列した上で「自民党もラジオまでは、チェックしきれないんだな」と語りました。その番組を放送する会社のトップの名を挙げ、「『何とかしろ』と言っておこう」と言うので、私が「そんなことをすると、安倍カラーの押し付けだ。放送への介入と批判される」と告げると、「バカ。表立って言うわけないだろ。こういうのは水面下で言うんだ」と返答されました。この記事に書かれているテレビの話とは違いますが、「水面下」の圧力とは、まさに、こういうことなんだろうと思いました。
この取材の少し後、官邸スタッフが先に挙げたラジオ番組で安倍政権を批判していた識者が降板しました。〟
重度知的障害のある子どもがいます。福祉(公助)が充実した国に日本がなることを切望しています。
右翼思想のコアに女性蔑視があることに気づいてから、女性差別が関心の中心です。