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NPO法人「コラボ」への嫌がらせを続ける草加市議、「ジョーカー」河合ゆうすけは「法務博士」だった!

このマストドンへの投稿で、高学歴ネトウヨの「コア」として2004年から毎年千人単位で誕生している「法務博士」について何回か書きました。

この人たちは、30歳過ぎて司法試験に受からず、日本の雇用システムでは法律の知識と連動した「受け皿」がありません。

また多くの人は「立身出世」と「自己責任」を完全に内面化しているため、学部から数えると1000-2000万くらい投資して、30過ぎ、「どこに居場所がない」自分を直視するのは「つらすぎる」ので、「誰か」のせいにする選択を行うことが多い。

この河合ゆうすけという人、映画「ジョーカー」の扮装をしている、というからそのあたり確信犯なのだろう。

現在彼のように「リアル」な世界に突撃する「ネトウヨ」は多くないが、潜在的支持者は多数いるだろう。

しかし、実は、今度の「現代思想」討議で80年代からの芸能人のイデオローグ化と「笑い」の変質、法務博士に代表されるプチ・ゲッベルス問題について話したところ。

河合ゆうすけ氏、完全にこの例にあてはまるなー。

今はまだ「際物」だが、これから社会が崩壊していく際には、パワー・エリートが利用する可能性も高くなる。要注意です。

「どこにも居場所がない」(正)

また、この手の超高学歴ネトウヨ、「誰か」に女性、特に「知的女性」を代入することも多い。

そういう意味では東浩紀や呉座勇一、SF、ライトノベルといったサブカルチャー界隈の「ミソジニー」と共振している。

また在日コリアン、沖縄、はては韓国、中国、といった外国にまで「自分の人生」の失敗の責任を押しつけることもままある。

しかし、「マジョリティ」や「米国」に彼らの「誰か」が入ることはない。要するに、攻撃をしても「報復」がない「マイノリティ」を意識的・無意識的に選択している。

1930年代のドイツではその「誰か」が「ユダヤ人」であったわけだ。

先に挙げた、東、呉座、SF、,ライトノベル、それにアニメ。

母子癒着を前提とした「男の子」の「幼児的全能感」という共通した感性。

また現在日本の文化ヘゲモニーの中心にいるので、これの批判・解体は一苦労。

次号「現在思想」特集「カルトと教育」での教育社会学者大内裕和さんとの討議では、ハードな権力の新自由主義的再編とともに文化言説における「母子癒着」、「男の子」の「幼児的全能感」、そして「プチ・ゲッベルス」問題についても議論しました。

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