WEBマンガ。いまのところジャンププラスとコミックデイズは購読している。となりのヤングジャンプやガンガンオンラインもたまに見る。
コミックガルド、がうがうモンスターというWEBコミックマガジンを新しく知った。ぜんぜん聞いたことがなかった。いまってどれくらいあるんだろうと疑問をもってWEBコミックマガジン一覧を検索してみたけど、20~30は普通にありそうだった。どんだけマンガの量が増えてるんだとびっくりした。
調べてみたけど、コミック市場は過去最大になってるようだ。ジャンプ黄金期みたいなバブル時代すら超えて、最大を更新している。電子書籍の力がおおきい。すごい。
媒体としてのマンガのすごさは感じる。なんでもかんでも本当に読みやすくしてくれる(世代的にマンガリテラシーがあるおかげという説はある)。
できるだけ広い範囲を観測して、名作を取り逃さないようにしたいみたいな気持ちはあったけれど、WEB連載媒体だけで30もあるなら、ぜんぶ追うのは無理。逆に諦めがついた気持ちになった。
今日はインフルエンザワクチンを打ちに行った。例年、打たないことがおおかたのだけど、生後半年もたたんあい子がいる状態なので、それくらいはしておこうと思った。いろいろ怖い。
先月、新人の方の作品の書評を書いたのだけれど、とても怖かった。
ご本人の預かり知らぬところで、編集部が依頼し、誰か(この場合はわたし)が書くのだが。書き手が自分の柔らかくて無防備な内面を開示して、大切なことを伝えてくれている作品に、〝評する〟立場から、無断で土足で侵入して踏み荒らすような怖さがあった。
これまではそんなふうに思ったことがなく、書評や解説、読書日記を自由に書いてきた。もちろん、作品と作者への敬意があるかを自己確認しつつではあったけれど。
評する側の一方的な〝権力〟の勾配を初めて自覚したのかもしれない。
小説でしか触れられないだろう、誰かの本質的な美しい部分に踏みこんでから、悪意を持って相手の心を壊すようなアプローチも可能なのだろうと思った。多くの評者がそんな酷いことをしないのは、ただ個人の良識のみにかかっているように感じて怖かったのかな?
考えた末、冷静な分析で書き終えたところを幾度も直し、なんというか、著者の方とフラットに向き合い、素直に自己開示しつつ寄り添うような書き方に変えて入稿した。ともかく先月のわたしの判断ではそうなった。
難しい。
引き続き考え続けていきたい。
年始に少し休みを追加でとっているのでまだ仕事は始まっていない。年末年始に入る前に起こしたミスがあるのだけど、そのことについて関係者がまだ不機嫌さを見せたりしていそうでやや不安が残る。あれってミスというほどのことなのか?という疑問はかなりある。不機嫌な対応を取られそうだと感じる職場環境そのものがよくないのでは?(それが放置されるマネジメント環境がそもそもよくないのでは)という疑問も多少ある。実際じぶんはあんまり悪くないのではないか、という疑問、変な自己正当化してしまいそうで、思考を深めていきづらい。 それでもまあ、すこし落ち着いてはきて、心配しすぎてもしょうがないという気分にはなってきた。不機嫌をぶつけられるのが嫌なだけなんだなとわかってきて、気持ちの制御はややできるようになってきた(ここでこういうふうに書いているのもだいぶ気持ちの整理になっている)。
見たり聞いたりした作品をTwitterにメモ代りに記録していたのだけど、今後の不透明さと、一覧性的により便利だったので、Notionに「共有」でメモする形にしてみた。日付ごとにリスト化できて、見返せる、ことが、やはり重要だ。丁寧に手入れをしていけかなりよい感じにはなりそう。Notion便利だ。
全文検索ができないことがとてもよいと思っている派閥なので、Mastodonも全文検索ができるようになればな~という話を見かけると、いやいや~とは思ってしまう。
全部検索おもしろいし便利だし恩恵にもあずかっていたけど、ないほうが結果的には「すてきな場」になると想像している。
まあそれも、結局はいろいろな要素の噛み合わせなので、全文検索可能が輝く場ももちろんありうるのだろうけど。Twitterが「全文検索できることが輝く場」だったかは、ややあやしい、とも思っているしだいだ。
9巻から11巻で完結する「貧困ビジネス編」は、もはや現代社会をめぐる批評の域に達していると思う。それでいて、ストーリーもの漫画としてのおもしろさもしっかりと追求できている。
『健康で文化的な最低限度の生活(9) (ビッグコミックス)』(柏木ハルコ 著) https://a.co/irqZVZK
まんがの増え方が半端ない時代だなと思う。まんが好きとしてわりと生きていると思うけど(本全般好きだが)、現在、連載媒体がどれくらいあるのかぜんぜんわからない。集英社のジャンプと、講談社のコミックデイズ(読み放題)に加入していて、10冊以上は読んでいるはずだけど、小学館は読んでいないし、その他の細かい雑誌、WEB媒体は読めていない。
コミックガルドという掲載媒体を認識した日だった。面白い作品が多く見えたけどぜんぜん知らなかった。
知らなかった面白いマンガに出くわすことが多くなっていてビビる。広く把握したい欲があるけど無理だなあと思う。そして、本当に玉石混交だ。異世界転生とかも飽和状態なくらい量産されているけど、面白いのはちゃんと抜群に面白いし、つまらないのはつまらない。ジャンルだけではなにもわからないなと感じさせられる。
今日触れた作品は、芋くさ令嬢ですが悪役令息を助けたら気に入られました(◯)、シンプルイズベスト(△)、哲学入門/戸田山和久(◯)、悪役令嬢転生おじさん(◯)、GeoGuesser実況/西美濃八十八人衆(△)、ルーム/映画(◯)かな。
あと初夢の日だっけ。年末のミスを引きずった夢を見ていて、笑ったけど、よくなさもあるなあ。
#fedibird
24時を過ぎたところですが、明けましておめでとうございます。TwitterなりMastodonなり、おもしろそうなインターネット要素はあいかわらずいろいろあるので、今年も試行錯誤を重ねつつ楽しみたいなと思います。
好きなだけでただ続けていた人(その結果評価されるようになった人)に対して、すごい!どうやったらそんなふうになれるんですか?ぼくも頑張ればなれますか?って質問が投げかけられたとき、頑張るとかじゃなくて好きなだけなんだよ、って答えが返されることがあるなーと思う。
時に、切って捨てるように「頑張るって意識がそもそも違う」って言葉が出されることもある。この、「好きってことが重要なのであって、頑張るとかって話じゃない」って切り捨てかたが、好きじゃないな、って考えていた。
頑張ってそこに至りたいという人がいるならそれはそれで頑張ればいい話なのでは(好きという気持ちがないならだめ、そもそも目指そうとするのがおこがましいよー、みたいに言わなくていいじゃん)と思ったのだった。
むろん言いかたの問題ではある(そこまで言わない人もいる)。
いずれにしても、レイヤーを見誤った質問に対し、レイヤーが違うから「駄目だ」って答えは違うんじゃないかと思ったのだった。
なんか突発的に、あ、なんか好きじゃないぞって思ったので脳内分析をした日記になった。
今日出会った作品メモ。
まんが左道、ライフハックの道具箱、神さまSHOPでチートの香り、ジーサンズ、ぼっちざろっく。
2022年最後の日。微塵も症状はないけどコロナウイルス陽性反応はまだ出ていて、7日間の療養期間もギリギリ終わっていないので、今日も籠もっていた。平和といえば平和。暇といえば暇。
年末になってよく見かける「よかったもの」まとめ記事。読むのは好きだけど自分で書こうと思うと困る。ぜんぜんまとめてないのでいざリスト化しようとしてもできない。来年の目標としては、面白かったものまとめ記録くらいはしておけるようにしようと思った。せっかくここで日記を書くようにしたので、遭遇した作品やらを記録するようにしてよいなと思った。
すこしずつ地味に記録するというのが苦手だ。些細なことだと認識していると手を抜き始める癖がたぶんある。ここの弱点を再認識する2022年だった。新しい職についたので自分の波に気づいたという感じだ。
7日くらい非常にまったりした。休養になったと思うが、年末の仕事のミスのダメージみたいなものがぼんやり残っている。こういうのは消そうとするのではなく脇に置いておくのが大事みたいな話を見た。仕事、結果、成功、等々をこの世の正しさの「メイン」だと見なす目線、本当にこびりついてしまった。時代や文化から距離を置く精神を昔はもう少し持てていたと思うが…。
コロナったので休憩中
日記が二日空いた。睡眠時間を優先した。あと憂鬱がちょっと目立ったことも原因だ。憂鬱の理由は仕事だった。そのことも書きたいけど事情を分解するのが難かしい。家に帰って愚痴って、少しだけ整理はできた。家まではぐるぐる同じ所を彷徨っている感じだった。ミスはミスだった。本当にミスなのか、どういうミスなのか、いまいち掴めなかった。
(なんか謎の文体になっているけど、整理できるところを一つ一つ言葉にしていこう、と思った結果、なんかこうなった)
あと、説明にあたっては、どうしても「平静を求める」方向になるので、正当化っぽくなる(どこかに正しいところはないかなと考えることになる)。こういう逡巡ってまじでむずい。
なんていうか、どうしてはっきり要求してなかったんだと言われるタイプのミスだった。要求する根拠、権力、正当性がない状況、と認識していたことがその理由だった。限度を見誤っていたという感じである。ただ、もう一度やり直してみたとしても、そこをうまくやれる未来は見えない。状況説明で、ここまでやってよいよ、と言われなければわからん、という愚痴だが、仕事ができる人は最初からそれをうまくやる、という助言も受けて、それはそうかも、とも思った。ぐぬぬとはなった。
月曜日は毎回ジャンプの話したくなっちゃうんだよな。子どもの頃からの習慣というか思い出の影響もある。特に今はHUNTER×HUNTERもやってるし。寝る時間が24時を過ぎることも多いので、日付が変わったときにHUNTER×HUNTERだけ読んで寝たりはする。二週でどれだけ話が進んだか頭の中で点検してみると、こんなに詰め込んで面白く出来るんだなマンガは、という感覚にはなる。ほかのマンガとそこで比較するのは面白い。昨日書いた、限られた文字数の中で日記をどれだけ端的に書くかという話にも通ずる。
最近は翌日に書く流れになっているけど(いまは火曜)まあそれはいいか。
今週は仕事で大掃除がある。掃除は好きなんだけど皆でやる掃除はすこし苦手だ。どこまでやればいいのかわからない。できる限りやればよいのだろうけど、基本的には自分で加減を決めたい、という志向があるんだろうなー。皆より一人のほうが上限を上に設定する習性はある気がする(でもスタートダッシュは人がいた方が早いかも。良し悪しだ)。
VTuber月ノ美兎のロボット対戦動画を見た。
ちょこちょこと限られた文字数で日記を書いている。たいしたことは書けない。いつもあれが書けなかったってなっている。ちょっとした言い換え、比喩なんかを足すかもいつも迷う。言葉で遊んでいるだけでだいぶ文字数が消費される。意味内容を伝えるだけなら端的な一文でよかったりはするし。と思って、むしろ諦めていろいろ書き足していったこの段落だ。
こういう些細な文章でも、見返したときには、これだけでも残ってくれていてありがたいってなる。ぜんぜん些細じゃなく見える。日記の好きなところだ。
ブルータス(雑誌)の「それでも本を読む理由」特集号を買った。なんかきっかけがあったはずだが忘れた。大変面白い。雑誌って読むたびに雑誌っていいよねってなる。雑誌のよさっていうものを感じた気にはなる。でも、雑誌しか持たないよさってあるのかなという認識もある。代替できないほどのものではないような?でも、独自性もあるような?って迷う。
インターネットと雑誌の類似性みたいなものも、あると言えばありそうだなと思う。ごちゃごちゃっぽさが似ている。が、そのごちゃごちゃっぽさ、ごちゃごちゃの良さ、あたりが実はようわからんのよな。ごちゃごちゃが持つ独自性って謎だ。
とりあえず買ってよかった。
昨日の忘年会のお酒がわずかに残っているかなくらいの気持ちで目が覚めた。職場に対する気持ちは最近複雑だ。(仕事的な)将来とか目標とかが曖昧なことの余波で、いろいろなところでバランスが取れていない感じがある。人生的な目標を軸にして体勢を立て直すとかが対策になるのかなとは思う。
Podcastをよく聴くようになって、でも好きな物が多すぎて、日記に書きづらい。どれもこれも書きたいとなってしまってなにも書けなくなっている。
上質さと人気の観点からいけば、まずコテンラジオとゆる言語学ラジオの話はしたい。遠目で見ると似ていて、近くによるとけっこう違うけど、核心部分はやはり似ている二つの音声配信だ。歴史と言語学という題材の違いは、あんまり差異になっていない気がする。どちらも派生していろいろな話をしてくれるので、知的な話に収束していく。どっちも人間の在り方の話にもなっていくし。
勉強の話をしたい。というか勉強してその学びを言葉にする習慣づけをしたい。このあたりは、やろうやろうと思ってずっと後回しにしている。仕事のことや家のことを理由に、最近はなおさら後回しだ。
人生の軌道修正みたいなの、ちゃんとやろうとしてきていないことの反省はかなりあるのだった。
忘年会だった。苦手な料理が出た。料理そのものが苦手ということはほぼないが、食材の好き嫌いはある。雑に口に放り込んで済ませた。食べ物の好き嫌いくらい配慮しろよとは思うけど、自分もできていないことはあるだろう。好き嫌いが分かれやすい食材なら気にするけど、一般的なものだと配慮しきれているかわからない。楽しさはほどほどだった。もっと人に深掘りしたい欲はかなりあるけど、職場の飲み会に(表層的な人間関係がよいと思っている人が多そうなイメージというだけだけど)求めるのも酷だ。
お酒だけはある程度飲んで、ひさしぶりだったし、よかった。酔うのは結局好きなのかなと思う。好きな点も嫌いな点もあってちょっと迷うが(楽しかった記憶も失敗談もある)、とりあえず陽気側には触れる。そこは素敵要素だ。あと、お酒に頼らないと話せない話があるとかもどうなんかな、と思うこともあったけど、それも良し悪しだと最近は思う。油断して、口を滑らせる、みたいに書いたらそりゃよくなく見えるけど、別に油断も口も滑るもそもそも論としては悪ではない。そういう楽しみもあってよい。
本屋さんに寄って帰った。なんか買えばよかったかな。とはいえ積ん読はひどい。でも新しく魅力的な本はドンドコ出る。
どうでも良い話を書くのは大切。
SNSや、掲示板や、ブログや、その他何でもいいんですが、文章を書いて公開する場所で、どうでも良い話を書くのは大切だと思っています。
この話は以前も書いただろうかとか、こんな文章を書いては他の人にくだらないと思われるんじゃないかとか、あるいはまた、もう少ししっかり調べてから考えをまとめて書こうとか。そのように考えること自体は全然悪いことでは無いのですが、そればかりではまずいと思っています。
買ったばかりのノートブックは綺麗で、まっさらで、どうせここに書くのならば、きちんとしたことを書いていきたいと思うのは人情です。しかしながら、それはしばしば、思い切って書くための足かせとなります。
最初から傑作をかける人やまとまったことを書ける人ならば良いのですが、そうではない人は、書きながらいろんなことを考えるわけです。書いてみることで、新たにわかることもありますし、実際に書いてみて、自分の考えが不足していることも発見したりするわけです。
そして、ここが大事なのですが、書き進めるためには書き始めないといけないわけです。一歩目がなければ二歩目もない。そういう話です。
特に、一旦自分が書いたものを編集することができるのであれば、何はともあれ書いてみるのはとても大事です。
特に、自分がどうでもいいと思っていることを題材にして書いてみるのは良いことです。なぜなら最初から気負うことがなくなるからです。
もっと良いのは、どうでも良いかどうかはさておいて、考えていることをそのまま書いてみることです。これが良いのは、自分の頭で考えるだけではなくて、書き、表された文字を、自分自身が見ることができるところにあります。
自分の頭の中にある考えは、不思議なことに直接見ることができません。まあ見ることができると言えなくは無いのですけれど、他の人が見るようには見ることができません。当たり前ですね。形となって外に出なければ他の人は見ることができないからです。
そして、自分が考えていることを、いわば後先考えず書いてみるというのは、自分の頭の中にあることを形として外に出す良い練習となります。
これは習慣です。
いつも、何かにつけ(内容が素晴らしいことであっても、くだらないことであっても)文章を書いているならば、それは必ず、「いざと言う時」にも役に立ちます。
何が「いざと言う時」なのかは、人によって随分違うでしょうけれど。
もちろん、普段からまずいことをいろいろ書いて炎上している人は、自重した方が良いかもしれませんけれどね…
そんなことを朝の散歩をしながら考えていました。
この文章はまた、#マストドン への投稿を #結城浩の作業ログ に転記するシステムのテスト文章も兼ねています。
https://log.hyuki.net
Twitter不穏だなー。こういう不穏さって長続きしないことも含めて(慣れてしまうので)不穏だ…#fedibird
まあともかく、アプリ入れてみたり、知り合いのツテなどを頼って、Mastodonを使ってみるのがファーストステップ。
ここで、SNSはTwitterだけではなかった、自分で選べるっていうことを知って、Mastodonいいじゃん、ここ不便、などと比較して新しい刺激を経験する。
次に、ただ漫然と最初に登録したサーバを使っていたら、何にも選んでいないんだな、ということに気付く。
Mastodonにも運営者がいて、それぞれのルールやモデレーションのポリシーがあって、むしろ運営者の権限が強いことを知る。
よく見ると、サーバ毎に見た目も機能も違うらしい。え? バージョンが違う? 私は何を使ってるの?
MisskeyやPleromaっていう別のシステムがあって、その人達と会話したりフォローしたりしてたけど、Mastodonの一種かと思ったら全然違うものだと知る。
やがて、Mastodonというより、Fediverseに参加しているんだということに気が付いて、そこから物事を考えるようになる……
……にはもう少しステップがいると思いますが、
そういう経験を経てきた人が、また次にやってきた人達を迎えることで、なんとかまわっている感じです。
するとかしたとか系統の動詞をもっと書きたい。でも日記と相対するとやはり思考ばっかり出てくる。言いたさがいつも溢れるギリギリラインなんだと思う。話すのは面白い。インターネットという話す場が出来たことには人生レベルで感激している。話の面白みを脇に置いてよいなら、いろんなところでぐちゃぐちゃと話したい欲はある。DiscordとかLINEとかTwitterとかのコミュニティ機能でいろんなところに顔を出してみたい気持ちなんかもある。
職場にイヤホンを忘れた。無音の帰り道もたまには悪くなかった。三体Ⅱ上の続きはとても気になるが。
今日は歩いた。というか今日も歩いた。ただの歩いた行為は日記にしづらい。でもこういうところにフォーカスするのもあってよい。旅行的に歩いたり、情緒的に歩いたりすると書きやすいけどそうでなくてもよい。歩いたについてとくに言いたいことはない(発想できない)けど、そこもよい。どんな人生の瞬間もフォーカスに値する、と思えるようになりそうで、そこの素敵さも謳えるかな。
というか、っていう言葉をひとが使っている光景、好き。