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あんまり好きじゃないタイトルとしては、続刊が出たときに「もっと」とか付けてくるやつがあんまり好きじゃない(あぶない刑事まで行ったら、もう文句の付けようないけれど)。

タイトルに「シン・」を付けてくる新刊なんかを見て、ほんとうに流行りに乗っかってくるな~、とは思ってしまう。けど、新とか真とか神とかの掛け合わせの意味合いで「シン」を付ける技法を活かしたくなるのもわかる。別に真似しちゃ駄目ってこともないかとは思う。んでもな~ともやはり思いつつだけど……


2022年12月14日(水)

思考から日記を書くとすこしゆっくりめのテンポになるというか、行動描写からだとスパッとした素早さが出せる印象だ。動詞で終わるのがよいのだ。思考だと、思ったとかこれこれだとかこれこれではないとかになる。行動的な日記ってこのよさがあるよなと思う。それぞれの良さの話だけど(と書いてしまったので行動描写は書けなかった)。

昨日の日記は、ほどほどいらだったエピソードを書こうとして、いらだちまわりの諸々を書いて終わってしまった。まあよい。面白くもあった。まだすこしいらだってはいる。納得できていないというか、納得してよいのかわからない。たしかにミスで、叱られるとかはわかるのだが、嫌な感じで言われたことの是非、および、そのことをミスと認識して騒いでる空間になっていることがそもそもだめじゃない?という疑問があるのだった。でも不手際は不手際なので、そのへんの割合に悩む。

考えても答えが出なそう、と思うのは、このあたりに対する理想と決意があんまりないからだ。正しさが見えずに(決められずに)困っている。それもこちらの落ち度に見えたりするしなあ。


2022年12月13日(火)

Twitterやブログではあまり愚痴めいたことを書いたことがない(と思いつつ、愚痴ばかりだと周りから見られていたら定義の齟齬が怖すぎるが…)。まあでもたまにはある。理不尽ではないかという感覚を覚えた日は、寝るくらいまでのあいだはそれを感じている。

怒りとかいらだちは、言葉にするとたいてい変な感じになる。きれいに書けない。文章芸として面白く怒ってみせるひとがたまにいるけれど、あれってすごいなと、自分で書いてみて分かるようになった。正当な怒りなんてないとは言わないが、でもわりと演出次第だ。そこを工夫してるのにも飽きる。反省や自虐を混ぜた方が、結局は効果がありそうなのも、なんだかなって思ってしまう。うーん、説明をめんどくさがっているだけな気がしてきた。

あと、そんなのよくあることだ、みんな喰らっている、だからたいしたことではない、気にするほどのことか?という「実は繋がってない」論理を、感情面で拒否するのが難しいんだよな-。今日は、そんなに呆れた感じを出されるようなことか?という苛立ちを抱いたのだけど、同時に諦観も抱いてしまう。

黒ノ岸シン さんがブースト

引用ツイートはそれ自体が悪なのではなく、あくまで悪用する方が悪いと思っている。なんとなれば、引用ツイートと返信を組み合わせて、関連するツイート同士を結びつけるという建設的なことだってできる。やり方はこうだ。
1. 元ツイートへの返信ボタンを押す。
2. 返信の文中に、引用したいツイートのURLを記す。これで引用元に通知が行くようになる。
3. 返信の本文を書いて投稿。
自分がやった実例は twitter.com/another/status/159 にある。

ローカルタイムラインを無くして、それと同じ効用の を用意する(参加するかの意思決定ができて、他のインスタンスでも参加できる)、という案、とてもよいなと感じている。そしてこれも、公式的な機能として実装可能だと思うけど、そうなったらまた雰囲気かわるだろう。

すこし不便だったくらいの時期のほうが(たぶんちゃんとそこが好きな人ばかり集まるとか、有象無象が寄り付かないとかで)、品がよかった、空気がよかった、みたいなのは当然あるだろうし、一手間かからないようにしていけばよいわけでもない話だよね…。

引用リツイート(引用ブースト)に関する議論もそうだけど、システムが公式に用意するか、一手間かけて自分の手で行うか、で、人類の挙動が変わる可能性の話は面白いな。


2022年12月12日(月)

日記にfedibirdタグも付けておくか。月曜日。HUNTER×HUNTER復帰後は毎週月曜日を極めて楽しみにしている。期待を裏切ることなく面白い。あれだけの期待をされて受けて立っていること自体が本当に凄いことだと思う。いまの流れで旅団メンバーの魅力を増してくるのは不穏だ。そして、キャラクターの一コマ一コマの動きがぜんぶそのキャラの厚みを増す効果を持たせられている気がする。ほんとうにほかでは見ないレベルの手腕だ。

あとはワンピースが楽しいな。さすがに後半戦に入ってきた面白さが発揮されている。

『叙述トリック短編集』を読み始めた。ほんタメという読書系YouTubeで薦められていた本だ。作者の似鳥鶏にも元々興味がある。そしてKindle unlimitedで読めた。いろいろ噛み合って読み始めた形だ。叙述トリックだよとすべて予告されている。コンセプトはかなりすごい。叙述トリックとわかっていて読む叙述トリックが面白いかは微妙だからだ。と言いつつ、まあそれをこえてくるんだろうなと思う(じゃないとあんまり存在意義ないし)。


2022年12月11日(日)

コロナのワクチン、ファイザーとモデルナで副反応が違うという評判は多数見聞きしていたのだけど、些細な差異なんじゃないかと想像していた。間違っていた。ファイザー、軽い頭痛と37度くらいの体温が一日という感じで終わった。モデルナ3回はぜんぶ39度くらいが二日続いたのに…。結果的には平和でよかった。

細かく出来事を描写している日記には憧れる。そういうのも書きたい。

読み放題サービスのKindle unlimitedに加入している。1巻だけが読めるマンガ作品がたくさんある。ので、けっこう無節操に手を出している。続きまで読み始めたら切りがないので大抵は1巻だけだ。異世界転生モノが多い。方向性としては好きなジャンルだが、玉石混交なのは間違いない。好きじゃない要素もあって、たくさん触れているといろいろ頭が働く。そこも楽しんでいる気がする。

千のスキルを持つ男、という作品を読んだ(3巻までunlimited対象だった)。典型的だし、画力的な質が高いわけではなかったけど、楽しめた。絵でも設定でも思索でもない「読める読めないの基準」がある。そこも深掘りしたい。

人類の最大最強の敵はめんどくさい(『グリーンヒル』)のことはよく考えるけど、恥ずかしい、もかなり敵だな。


2022年12月10日

土曜日。マストドンがいまのところは日記を書く場になった。Twitterも気が向いたときにちょっとしたためるくらいの感じになっていたので、日々の中でちょっとしたことを呟いたり、面白い話を考えて披露する場というのは、あんまり身に馴染まない感じがあるんだろう。それはそれで憧れとかあるけれど。でも、継続しない。現行のOSだと乗せづらい機能っぽい。

最初は自分の気持ちよさだけで勢い任せにやれていても、次第にまわりの目が気になってきたりする。評価を気にし始めるし、たまにもらえた評価を前提にし始めたりもする。というのがやはりこの日記に対しても湧きつつはある。良し悪しなので適当にあしらいつつやっていくつもりではあるけれど。自分ばかり見すぎるのも他人ばかり見すぎるのもたいていよくない。ほどほどに行ったり来たりだ。

コロナのワクチンを打った。ファイザーだ。特にどこがよいという認識もなかったのだけど、副反応ちょっt弱めかもという話はいただけて、それはそれでありがたかた。いわゆる疫病という概念が、こんなに身近に存在しうるもので、こんなに社会に馴染み、逆に、政治的問題まで引き起こすことを、歴史の授業で聞いた時なんかには想像できていなかった。歴史を学ぶときの真剣さ不足に対する反省はかなりある

黒ノ岸シン さんがブースト


2022年12月9日(金)

金曜。花金の実感を得るようになったのが最近なのは先週だかに書いた。今週も発想したからたぶん金曜を意識するたびに想起している。こういう謎の発想縛りに気づけるのが日記の面白さだとは思う。そして同じことを書くのはよくないと単に却下しているとこのへんが見えなくなることがありそう(最近は、日記に同じこと書いてもいいんだよと自己暗示するのがマイブームだ)。

ついに『三体』の1巻をAudibleで読み終えた。これだけの作品を耳で聞き通したのは自信に繋がる。そして、小説を耳で聞くの、かなりよい印象になった。やっぱり目を使わないからなのか?情景の想像力が後押しされている?と思った。若干納得いかない仮説な気もするのだが、読みやすいのはたしかだった。あと、三体は、警官のシーチアンがよいキャラすぎてビビった。とても面白かった。2巻上の序盤を聴いたんだけど、早速面白くて、わーいとなった。

SF読んでいると、やはり理屈と納得はすごいなとおもわされる。SFとファンタジーの対比も意識してしまうな。現実を軸に、SFとファンタジーの位置づけってどうなるのかを考える、のが好きだ。

黒ノ岸シン さんがブースト

翻訳作品において役割語のステレオタイプが効果的に機能するのは、文化が異なる外国人の振る舞いではピンと来ない、人物造形のステレオタイプ的表象の弱さを補うからなんでしょう。

明治初期に「よろしくってよ」「ちがうわ」といったいわゆる「てよだわ」言葉は、品のない言い方とされていた。尾崎紅葉も「旧幕の頃青山に住める御家人の(身分いやしき)娘がつかひたるが…」などと書いてる。それが上品なお嬢様言葉になっていくのは、翻訳文学で素敵なお嬢さんが話す言葉として「てよだわ」が使われたから…と考えられてます。翻訳物が役割語の強化に役立った面はあると思う。

役割語がそもそもスレテオタイプによって使われている以上、現実の人間をある表象に閉じ込めてしまう面があるのは、分かりやすさと表裏一体で、扱いが難しい。個人的には翻訳物から役割語が消え去るのは、ジェンダースタディーズなどによって「いかにも女性」みたいなものを避ける運動における限定的な現象であって、全体としてみればむしろ翻訳物に強固に残り続けるんじゃないかと思ってます。

リアクションとお気に入りが分かれているの、実践してみて、それはそうだな、ってなった。
その言葉にちょっとなんかを感じたよー、と、相手側に伝えたいのと、自分側に残したいのだと、やっぱり用途は別なのだから、分かれていることは有用だ(でもまとまってたほうが使いやすい、ユーザーには好評でユーザー数も増える、とかはありうるわけだけど)

ぽこぽこと逡巡せず言葉を吐き出せる場もまた素敵だ、とか思ってもいるから、たまに齟齬が発生するけれど…

どうせ見てる人なんてたいしていないんだからテキトー書き散らかしてしまえ、をなぜ避けたがるのかというと、「実際思ってもいないような発言でも言霊的にじぶんに返ってくるから」「それでも見てくれる人に失礼だから」などを思いついたけど、結局は「そうじゃないやつが好きだから」に収束しそうだった。丁寧さがうかがえる言葉に対して、好きだ、と思った経験が多くて、憧れがあるだけな気はする(なんでないがしろにされていると、ちょっとムッとしてしまう)。

現状の自分のマストドンにおける「読まれる範囲が比較的狭いだろう」
という感覚が、言葉を書きやすくしているところはあり、そして、このあたりの心境の中に「誰も見てないからポイ捨てしてもいいでしょ」が混じっている感もあるので、その部分は(一部であれ)、ちょっといただけないって判定でいいんじゃないでしょうかねー、とは思った。

黒ノ岸シン さんがブースト

マストドンの全文検索は自分の投稿とリプライした投稿、いいね、そしてブックマークを検索できるけど、ブーストが検索できないんだよね。
これは備忘録としてブーストを使うことを抑制しようとしてるんだろうな。

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