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黒ノ岸シン さんがブースト

翻訳作品において役割語のステレオタイプが効果的に機能するのは、文化が異なる外国人の振る舞いではピンと来ない、人物造形のステレオタイプ的表象の弱さを補うからなんでしょう。

明治初期に「よろしくってよ」「ちがうわ」といったいわゆる「てよだわ」言葉は、品のない言い方とされていた。尾崎紅葉も「旧幕の頃青山に住める御家人の(身分いやしき)娘がつかひたるが…」などと書いてる。それが上品なお嬢様言葉になっていくのは、翻訳文学で素敵なお嬢さんが話す言葉として「てよだわ」が使われたから…と考えられてます。翻訳物が役割語の強化に役立った面はあると思う。

役割語がそもそもスレテオタイプによって使われている以上、現実の人間をある表象に閉じ込めてしまう面があるのは、分かりやすさと表裏一体で、扱いが難しい。個人的には翻訳物から役割語が消え去るのは、ジェンダースタディーズなどによって「いかにも女性」みたいなものを避ける運動における限定的な現象であって、全体としてみればむしろ翻訳物に強固に残り続けるんじゃないかと思ってます。

リアクションとお気に入りが分かれているの、実践してみて、それはそうだな、ってなった。
その言葉にちょっとなんかを感じたよー、と、相手側に伝えたいのと、自分側に残したいのだと、やっぱり用途は別なのだから、分かれていることは有用だ(でもまとまってたほうが使いやすい、ユーザーには好評でユーザー数も増える、とかはありうるわけだけど)

ぽこぽこと逡巡せず言葉を吐き出せる場もまた素敵だ、とか思ってもいるから、たまに齟齬が発生するけれど…

どうせ見てる人なんてたいしていないんだからテキトー書き散らかしてしまえ、をなぜ避けたがるのかというと、「実際思ってもいないような発言でも言霊的にじぶんに返ってくるから」「それでも見てくれる人に失礼だから」などを思いついたけど、結局は「そうじゃないやつが好きだから」に収束しそうだった。丁寧さがうかがえる言葉に対して、好きだ、と思った経験が多くて、憧れがあるだけな気はする(なんでないがしろにされていると、ちょっとムッとしてしまう)。

現状の自分のマストドンにおける「読まれる範囲が比較的狭いだろう」
という感覚が、言葉を書きやすくしているところはあり、そして、このあたりの心境の中に「誰も見てないからポイ捨てしてもいいでしょ」が混じっている感もあるので、その部分は(一部であれ)、ちょっといただけないって判定でいいんじゃないでしょうかねー、とは思った。

黒ノ岸シン さんがブースト

マストドンの全文検索は自分の投稿とリプライした投稿、いいね、そしてブックマークを検索できるけど、ブーストが検索できないんだよね。
これは備忘録としてブーストを使うことを抑制しようとしてるんだろうな。


2022年12月8日(木)

リアルタイムで読んでいるのは『三体』と『ハロー・ワールド』だ。どちらももう日記に面白かったと書いてしまった。だから書きづらい。でも今日は今日とて面白かったわけだから(昨日と面白かったところは別なのだから)また書いたっていいじゃん、ではある。細かな差異も書けたら楽しい。差異のない繰り返しも書ける場なら嬉しい。『三体』は後半にさしかかり、当初の敵対組織の流れも超えてきて楽しいし、『ハロー・ワールド』も、最終話に入った。ハロー・ワールドは主人公の位置や意味がすてきだ。

木曜日だが、水曜のマガジンを読み忘れていた。マガジンはラブコメがめちゃくちゃ多くて逆に感心している。真面目にここまで乱立させて共存させてるのは凄いことだと思う。現状、黒岩メダカが一番好きかな。マガジンのラブコメは、ラブコメが得意じゃないというかほかのジャンルが得意な人に、謎の変換を噛ませてラブコメにしてる印象がある(ラブコメの皮をかぶせて他ジャンルの漫画読ませているではない)。

そういえば講談社と集英社の漫画電子書籍は、V字回復くらいの勢いだけど、小学館だけ戻ってない話を見かけた。

黒ノ岸シン さんがブースト

割と定期的に、自分がアホだというのを忘れて、かしこそうに振る舞おうとしてしまうので、その頃合いになったら通知がくるような設定ができないだろうか。


85歳の方のVTuberデビュー、楽しそうですてきだ(ほんとうに自分から楽しんでやってくれているならとてもすてきなので、なんとなく勢いでやらされただけでこのまま尻すぼみ、とかにならないでほしいなと期待はしてしまう)。


マストドンが構成要素になっているよという謳い文句を見かけて、マストドンきっかけで読んでみた藤井太洋『ハロー・ワールド』だけど、ほんとうに面白い……。マストドンもふくめて、インターネットへ向けた夢や希望、とても美しいなと思った。


2022年12月7日(水)

コンテンツって言葉を下手に使うと、なんでもコンテンツとして見る(消費する対象?みたいな?)ようになってしまう可能性があり、なのであまり使わないようにしている、という話を聞いて、おっしゃるとおりではある、とは思った。作品とか物語とかの総称としてはフラットで使いやすいイメージなんだけどな。でもまあ、その懸念は確かにある。人の努力とか真摯さとか生活とかもコンテンツと呼び始めてしまう危険性、たしかにありそう。

Podcastを延々と聞いている今日この頃だ。ブックカタリストという配信がとても面白い。読んだ本を語るというコンセプトだが、本のセレクトがシンプルにとてもよくて(好みに合致して)、面白い!!ってなる。最新話の『私たちはどう学んでいるのか』を今日は聞いていた。

同じくAudibleでの読書も継続して行なっていて、『三体』を聴いている。これも面白い~。これだけの話題作、
面白くないわけないとも思うけど、途中から本当にぐんぐん面白くなっていって笑った。同タイミングで『ハロー・ワールド』も読んでおり、非常にSFづいている。脳がSF感な感じになっていて楽しい。『ハロー・ワールド』は身近なIT知識が織り交ぜられていて、非常に夢を感じる。とても気持ちよい現代的な幻想に浸れる。

黒ノ岸シン さんがブースト

マストドンが面白いと言っている人の何割かは、もう一回新たに自分のTLを構築する楽しみがワクワク感になっている人もいるのではないかと思ってます。僕がそうなんですけど。
Twitterではもはや既知の人との繋がりが強くなってて、その人たちとのコミュニケーションツールとしての役割が大きくなってるんですよね。
自分の言葉を持っている人を見つける楽しさを満喫しています。

黒ノ岸シン さんがブースト

〜宗秋月『宗秋月全集』(土曜美術社出版販売)〜

honto.jp/netstore/pd-book_2812

宗秋月の随筆は、もちろん詩も、凄まじいですよ。読むと、自分がつぶやいたり綴ったりする言葉の陳腐さが、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなる。
私は結局のところ何者にもなることができなかったけれど、でも、残りの人生をかけてこの詩人の名前を少しでも世に広めたいと思うし、それができれば、クソみたいな自分がそれでもこうして生きてきたことの、意味というか意義というか、そういったものを感じることができると思う。こんなにも骨の髄まで「惚れた…」と思える書き手には、生涯で何人も、出会えるものじゃない。一人でも多くの人と、この思いを、宗秋月の血と肉で書かれた言葉の連なりから受ける衝撃を、分かち持つことができれば嬉しいんです。


2022年12月6日(火)

昨夜はいつの間にか寝ていた。寝る前に日記を書こうと思っていたはずだが、寝落ちしたようだ。寝落ちって言葉は現代用語(深夜にオンラインゲームとかやってる中寝てしまうこと)という印象があるけど、実際どうなんでしょう。と、こういう、普通に今すぐ調べればすぐわかるじゃん的な疑問が書かれた文章って、ときどき見かけるけど、あまり好みではないかもしれない。なんでこれ読まされてるんだろ的なことは思いがちだ(なのであえて書いてみた感じ)。やはり2018年くらいに辞書に追加された現代的な用語であった。

まあ、書いているあいだに、疑問が湧いて、これってどうなんでしょうね~って書きたくなる気持ちはわかる。が、それそのまま書くのは流石に手抜きが過ぎませんかね…、と思う癖があるようだ。許容しづらい。こだわりがあるっぽい。

月曜日はジャンプを読んだ話を書いたけど、ジャンププラスの毎日の更新を楽しみにしていて、火曜日のダンダダンはずっと面白い。どっかでおおきな展開を混ぜてくると思うので、最終的にはそれ次第になると思うけど、技量の印象からは期待できるんじゃないかと思っている。スパイファミリーと怪獣8号は最初は異様に楽しかったけど、ちょっと落ち着いてしまったなという感覚。オモシロイは難しいね。


ちょっとした呟き(鳴き声)的な短文より、一段落くらいは書いてしまおうといった意識で文字を繋げていく書き方のほうが、自分の場合は書きやすいな。性に合うとか癖が付いてるとかあるとは思う。


実力不足で恥をかいてもいいから飛び込むのが大事、というケースは当然あって(しかもかなりあって)、でもまあこれをやはり避けてきたなと思う。そして、さすがにそろそろ流れから学んでもいいんじゃないの?という感じだ。


2022年12月5日(月)

バスの中で書きます。
なんかこんな宣言も気ままな書き方をしているときにしかできない印象である(この日記は本当に気ままだ)。

文章を書くとき無駄なところをどれだけ削減できるか問題は気になる。編集者が「という」「こと」などを削りまくるみたいな話だ。確かに無駄な文言はある認識だが、冗長とか迂遠とか話が長いとかとイコールではないとも思う。不要な枝葉と繊細な枝葉を見極める技術の違いというか。

あと、ツイッター芸人とかハガキ職人、テキストサイト管理人みたいな、文章芸の面白さ(を持つ人たち)も気にしがちで、無駄を削る効果的な言葉の扱いと、こういうひとたちの言葉の扱いかたのうまさ、どう絡んでいるのかなとは、よく考える。

仕事に対する不安があって月曜日はいつもすこし陰鬱に家を出て、出勤後は平然としている。今日もまあまあ平和であった。ジャンプを読んでホクホクしている。HUNTER×HUNTERがたのしい。そしてアンデッドアンラックがずっと好きだが、ちゃんと最後まで描ききってくれるかは不安だ。このまま勢いでクライマックスつっこめる展開ではあるけれど。

黒ノ岸シン さんがブースト

いちばん頭がいいのは何歳? (TED: Shannon Odell)

明日は、年に一度の頭脳コンテストの日。脳トレ・雑学・パズルなど10種類の競技が行われます。アミールには、賢くて能力のあるチームメイトが必要ですが、年齢も能力も異なる3人の中から選ばなければなりません。シャノン・オーデル(Shannon Odell)さんが「頭がいい」という概念を細分化して、私たちの脳がどのように人生のさまざまな段階のスキルに影響を与えるかを紐解いていきます。



kokai.jp/いちばん頭がいいのは何歳?-(ted-sh


電車が遅れる前提で通勤するようになった。なんてこんな手間を、と思うことも可能だけど、丁寧に、または、うまく生きるというのはおおむねこんな感じという気もする。


2022年12月4日(日)

土曜日に遊ぶ時間を確保した分、日曜日は家のことをいくらか頑張った。まだまだ改善の余地はあるだろうが、まあ自分なりにはだ。自分なりに、という言い回しはやや怖い。油断するとすぐ身勝手な正当化に一直線という印象。自己満足を発生させて、足を止めさせたり、ドヤ顔させたりする。でも、自分なりにという観点、人生の満足にも必要だからなー。毒にも薬にもなるやつだ。取扱注意だ。

両手フリック入力、意識して数日練習してみただけでも少し慣れてきたな。思ったより早くなってきた。日記で練習した甲斐がある。あと、日記という名目でこうしてだらだらと文章を書ける環境、意識が醸造されたのもいい感じだ。毎日ちょっとだけ気持ちよくなった。いまは電車の中で日記を書いている。

ヘルシオでかんたん調理をして床面を焦がした。軽くへこんだ。クリームクレンザーで落とせそうな雰囲気だがどうなんだろう。クリームクレンザー使ったことない。こういう常識っぽい生活用品みたいな物でまったく触れたことがないものが時々ある。世の中めちゃ便利じゃん!という感動と、このへん全然やってなくてすいませんと思う。

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