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2022年12月16日(金)

忘年会だった。苦手な料理が出た。料理そのものが苦手ということはほぼないが、食材の好き嫌いはある。雑に口に放り込んで済ませた。食べ物の好き嫌いくらい配慮しろよとは思うけど、自分もできていないことはあるだろう。好き嫌いが分かれやすい食材なら気にするけど、一般的なものだと配慮しきれているかわからない。楽しさはほどほどだった。もっと人に深掘りしたい欲はかなりあるけど、職場の飲み会に(表層的な人間関係がよいと思っている人が多そうなイメージというだけだけど)求めるのも酷だ。

お酒だけはある程度飲んで、ひさしぶりだったし、よかった。酔うのは結局好きなのかなと思う。好きな点も嫌いな点もあってちょっと迷うが(楽しかった記憶も失敗談もある)、とりあえず陽気側には触れる。そこは素敵要素だ。あと、お酒に頼らないと話せない話があるとかもどうなんかな、と思うこともあったけど、それも良し悪しだと最近は思う。油断して、口を滑らせる、みたいに書いたらそりゃよくなく見えるけど、別に油断も口も滑るもそもそも論としては悪ではない。そういう楽しみもあってよい。

本屋さんに寄って帰った。なんか買えばよかったかな。とはいえ積ん読はひどい。でも新しく魅力的な本はドンドコ出る。

黒ノ岸シン さんがブースト

:hyuki: どうでも良い話を書くのは大切。

SNSや、掲示板や、ブログや、その他何でもいいんですが、文章を書いて公開する場所で、どうでも良い話を書くのは大切だと思っています。

この話は以前も書いただろうかとか、こんな文章を書いては他の人にくだらないと思われるんじゃないかとか、あるいはまた、もう少ししっかり調べてから考えをまとめて書こうとか。そのように考えること自体は全然悪いことでは無いのですが、そればかりではまずいと思っています。

買ったばかりのノートブックは綺麗で、まっさらで、どうせここに書くのならば、きちんとしたことを書いていきたいと思うのは人情です。しかしながら、それはしばしば、思い切って書くための足かせとなります。

最初から傑作をかける人やまとまったことを書ける人ならば良いのですが、そうではない人は、書きながらいろんなことを考えるわけです。書いてみることで、新たにわかることもありますし、実際に書いてみて、自分の考えが不足していることも発見したりするわけです。

そして、ここが大事なのですが、書き進めるためには書き始めないといけないわけです。一歩目がなければ二歩目もない。そういう話です。

特に、一旦自分が書いたものを編集することができるのであれば、何はともあれ書いてみるのはとても大事です。

特に、自分がどうでもいいと思っていることを題材にして書いてみるのは良いことです。なぜなら最初から気負うことがなくなるからです。

もっと良いのは、どうでも良いかどうかはさておいて、考えていることをそのまま書いてみることです。これが良いのは、自分の頭で考えるだけではなくて、書き、表された文字を、自分自身が見ることができるところにあります。

自分の頭の中にある考えは、不思議なことに直接見ることができません。まあ見ることができると言えなくは無いのですけれど、他の人が見るようには見ることができません。当たり前ですね。形となって外に出なければ他の人は見ることができないからです。

そして、自分が考えていることを、いわば後先考えず書いてみるというのは、自分の頭の中にあることを形として外に出す良い練習となります。

これは習慣です。

いつも、何かにつけ(内容が素晴らしいことであっても、くだらないことであっても)文章を書いているならば、それは必ず、「いざと言う時」にも役に立ちます。

何が「いざと言う時」なのかは、人によって随分違うでしょうけれど。

もちろん、普段からまずいことをいろいろ書いて炎上している人は、自重した方が良いかもしれませんけれどね…

そんなことを朝の散歩をしながら考えていました。

この文章はまた、#マストドン への投稿を #結城浩の作業ログ に転記するシステムのテスト文章も兼ねています。
log.hyuki.net

Twitter不穏だなー。こういう不穏さって長続きしないことも含めて(慣れてしまうので)不穏だ…

黒ノ岸シン さんがブースト

まあともかく、アプリ入れてみたり、知り合いのツテなどを頼って、Mastodonを使ってみるのがファーストステップ。

ここで、SNSはTwitterだけではなかった、自分で選べるっていうことを知って、Mastodonいいじゃん、ここ不便、などと比較して新しい刺激を経験する。

次に、ただ漫然と最初に登録したサーバを使っていたら、何にも選んでいないんだな、ということに気付く。

Mastodonにも運営者がいて、それぞれのルールやモデレーションのポリシーがあって、むしろ運営者の権限が強いことを知る。

よく見ると、サーバ毎に見た目も機能も違うらしい。え? バージョンが違う? 私は何を使ってるの?

MisskeyやPleromaっていう別のシステムがあって、その人達と会話したりフォローしたりしてたけど、Mastodonの一種かと思ったら全然違うものだと知る。

やがて、Mastodonというより、Fediverseに参加しているんだということに気が付いて、そこから物事を考えるようになる……

……にはもう少しステップがいると思いますが、

そういう経験を経てきた人が、また次にやってきた人達を迎えることで、なんとかまわっている感じです。


2022年12月15日(木)

するとかしたとか系統の動詞をもっと書きたい。でも日記と相対するとやはり思考ばっかり出てくる。言いたさがいつも溢れるギリギリラインなんだと思う。話すのは面白い。インターネットという話す場が出来たことには人生レベルで感激している。話の面白みを脇に置いてよいなら、いろんなところでぐちゃぐちゃと話したい欲はある。DiscordとかLINEとかTwitterとかのコミュニティ機能でいろんなところに顔を出してみたい気持ちなんかもある。

職場にイヤホンを忘れた。無音の帰り道もたまには悪くなかった。三体Ⅱ上の続きはとても気になるが。

今日は歩いた。というか今日も歩いた。ただの歩いた行為は日記にしづらい。でもこういうところにフォーカスするのもあってよい。旅行的に歩いたり、情緒的に歩いたりすると書きやすいけどそうでなくてもよい。歩いたについてとくに言いたいことはない(発想できない)けど、そこもよい。どんな人生の瞬間もフォーカスに値する、と思えるようになりそうで、そこの素敵さも謳えるかな。

というか、っていう言葉をひとが使っている光景、好き。

あんまり好きじゃないタイトルとしては、続刊が出たときに「もっと」とか付けてくるやつがあんまり好きじゃない(あぶない刑事まで行ったら、もう文句の付けようないけれど)。

タイトルに「シン・」を付けてくる新刊なんかを見て、ほんとうに流行りに乗っかってくるな~、とは思ってしまう。けど、新とか真とか神とかの掛け合わせの意味合いで「シン」を付ける技法を活かしたくなるのもわかる。別に真似しちゃ駄目ってこともないかとは思う。んでもな~ともやはり思いつつだけど……


2022年12月14日(水)

思考から日記を書くとすこしゆっくりめのテンポになるというか、行動描写からだとスパッとした素早さが出せる印象だ。動詞で終わるのがよいのだ。思考だと、思ったとかこれこれだとかこれこれではないとかになる。行動的な日記ってこのよさがあるよなと思う。それぞれの良さの話だけど(と書いてしまったので行動描写は書けなかった)。

昨日の日記は、ほどほどいらだったエピソードを書こうとして、いらだちまわりの諸々を書いて終わってしまった。まあよい。面白くもあった。まだすこしいらだってはいる。納得できていないというか、納得してよいのかわからない。たしかにミスで、叱られるとかはわかるのだが、嫌な感じで言われたことの是非、および、そのことをミスと認識して騒いでる空間になっていることがそもそもだめじゃない?という疑問があるのだった。でも不手際は不手際なので、そのへんの割合に悩む。

考えても答えが出なそう、と思うのは、このあたりに対する理想と決意があんまりないからだ。正しさが見えずに(決められずに)困っている。それもこちらの落ち度に見えたりするしなあ。


2022年12月13日(火)

Twitterやブログではあまり愚痴めいたことを書いたことがない(と思いつつ、愚痴ばかりだと周りから見られていたら定義の齟齬が怖すぎるが…)。まあでもたまにはある。理不尽ではないかという感覚を覚えた日は、寝るくらいまでのあいだはそれを感じている。

怒りとかいらだちは、言葉にするとたいてい変な感じになる。きれいに書けない。文章芸として面白く怒ってみせるひとがたまにいるけれど、あれってすごいなと、自分で書いてみて分かるようになった。正当な怒りなんてないとは言わないが、でもわりと演出次第だ。そこを工夫してるのにも飽きる。反省や自虐を混ぜた方が、結局は効果がありそうなのも、なんだかなって思ってしまう。うーん、説明をめんどくさがっているだけな気がしてきた。

あと、そんなのよくあることだ、みんな喰らっている、だからたいしたことではない、気にするほどのことか?という「実は繋がってない」論理を、感情面で拒否するのが難しいんだよな-。今日は、そんなに呆れた感じを出されるようなことか?という苛立ちを抱いたのだけど、同時に諦観も抱いてしまう。

黒ノ岸シン さんがブースト

引用ツイートはそれ自体が悪なのではなく、あくまで悪用する方が悪いと思っている。なんとなれば、引用ツイートと返信を組み合わせて、関連するツイート同士を結びつけるという建設的なことだってできる。やり方はこうだ。
1. 元ツイートへの返信ボタンを押す。
2. 返信の文中に、引用したいツイートのURLを記す。これで引用元に通知が行くようになる。
3. 返信の本文を書いて投稿。
自分がやった実例は twitter.com/another/status/159 にある。

ローカルタイムラインを無くして、それと同じ効用の を用意する(参加するかの意思決定ができて、他のインスタンスでも参加できる)、という案、とてもよいなと感じている。そしてこれも、公式的な機能として実装可能だと思うけど、そうなったらまた雰囲気かわるだろう。

すこし不便だったくらいの時期のほうが(たぶんちゃんとそこが好きな人ばかり集まるとか、有象無象が寄り付かないとかで)、品がよかった、空気がよかった、みたいなのは当然あるだろうし、一手間かからないようにしていけばよいわけでもない話だよね…。

引用リツイート(引用ブースト)に関する議論もそうだけど、システムが公式に用意するか、一手間かけて自分の手で行うか、で、人類の挙動が変わる可能性の話は面白いな。

文庫だと二冊くらいになるかと思いますが、単行本サイズなら一冊で十分な気はします。まんがも織り交ぜているので、個人的には元が取れている認識ですね〜


2022年12月12日(月)

日記にfedibirdタグも付けておくか。月曜日。HUNTER×HUNTER復帰後は毎週月曜日を極めて楽しみにしている。期待を裏切ることなく面白い。あれだけの期待をされて受けて立っていること自体が本当に凄いことだと思う。いまの流れで旅団メンバーの魅力を増してくるのは不穏だ。そして、キャラクターの一コマ一コマの動きがぜんぶそのキャラの厚みを増す効果を持たせられている気がする。ほんとうにほかでは見ないレベルの手腕だ。

あとはワンピースが楽しいな。さすがに後半戦に入ってきた面白さが発揮されている。

『叙述トリック短編集』を読み始めた。ほんタメという読書系YouTubeで薦められていた本だ。作者の似鳥鶏にも元々興味がある。そしてKindle unlimitedで読めた。いろいろ噛み合って読み始めた形だ。叙述トリックだよとすべて予告されている。コンセプトはかなりすごい。叙述トリックとわかっていて読む叙述トリックが面白いかは微妙だからだ。と言いつつ、まあそれをこえてくるんだろうなと思う(じゃないとあんまり存在意義ないし)。


2022年12月11日(日)

コロナのワクチン、ファイザーとモデルナで副反応が違うという評判は多数見聞きしていたのだけど、些細な差異なんじゃないかと想像していた。間違っていた。ファイザー、軽い頭痛と37度くらいの体温が一日という感じで終わった。モデルナ3回はぜんぶ39度くらいが二日続いたのに…。結果的には平和でよかった。

細かく出来事を描写している日記には憧れる。そういうのも書きたい。

読み放題サービスのKindle unlimitedに加入している。1巻だけが読めるマンガ作品がたくさんある。ので、けっこう無節操に手を出している。続きまで読み始めたら切りがないので大抵は1巻だけだ。異世界転生モノが多い。方向性としては好きなジャンルだが、玉石混交なのは間違いない。好きじゃない要素もあって、たくさん触れているといろいろ頭が働く。そこも楽しんでいる気がする。

千のスキルを持つ男、という作品を読んだ(3巻までunlimited対象だった)。典型的だし、画力的な質が高いわけではなかったけど、楽しめた。絵でも設定でも思索でもない「読める読めないの基準」がある。そこも深掘りしたい。

人類の最大最強の敵はめんどくさい(『グリーンヒル』)のことはよく考えるけど、恥ずかしい、もかなり敵だな。


2022年12月10日

土曜日。マストドンがいまのところは日記を書く場になった。Twitterも気が向いたときにちょっとしたためるくらいの感じになっていたので、日々の中でちょっとしたことを呟いたり、面白い話を考えて披露する場というのは、あんまり身に馴染まない感じがあるんだろう。それはそれで憧れとかあるけれど。でも、継続しない。現行のOSだと乗せづらい機能っぽい。

最初は自分の気持ちよさだけで勢い任せにやれていても、次第にまわりの目が気になってきたりする。評価を気にし始めるし、たまにもらえた評価を前提にし始めたりもする。というのがやはりこの日記に対しても湧きつつはある。良し悪しなので適当にあしらいつつやっていくつもりではあるけれど。自分ばかり見すぎるのも他人ばかり見すぎるのもたいていよくない。ほどほどに行ったり来たりだ。

コロナのワクチンを打った。ファイザーだ。特にどこがよいという認識もなかったのだけど、副反応ちょっt弱めかもという話はいただけて、それはそれでありがたかた。いわゆる疫病という概念が、こんなに身近に存在しうるもので、こんなに社会に馴染み、逆に、政治的問題まで引き起こすことを、歴史の授業で聞いた時なんかには想像できていなかった。歴史を学ぶときの真剣さ不足に対する反省はかなりある

黒ノ岸シン さんがブースト


2022年12月9日(金)

金曜。花金の実感を得るようになったのが最近なのは先週だかに書いた。今週も発想したからたぶん金曜を意識するたびに想起している。こういう謎の発想縛りに気づけるのが日記の面白さだとは思う。そして同じことを書くのはよくないと単に却下しているとこのへんが見えなくなることがありそう(最近は、日記に同じこと書いてもいいんだよと自己暗示するのがマイブームだ)。

ついに『三体』の1巻をAudibleで読み終えた。これだけの作品を耳で聞き通したのは自信に繋がる。そして、小説を耳で聞くの、かなりよい印象になった。やっぱり目を使わないからなのか?情景の想像力が後押しされている?と思った。若干納得いかない仮説な気もするのだが、読みやすいのはたしかだった。あと、三体は、警官のシーチアンがよいキャラすぎてビビった。とても面白かった。2巻上の序盤を聴いたんだけど、早速面白くて、わーいとなった。

SF読んでいると、やはり理屈と納得はすごいなとおもわされる。SFとファンタジーの対比も意識してしまうな。現実を軸に、SFとファンタジーの位置づけってどうなるのかを考える、のが好きだ。

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