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翻訳作品において役割語のステレオタイプが効果的に機能するのは、文化が異なる外国人の振る舞いではピンと来ない、人物造形のステレオタイプ的表象の弱さを補うからなんでしょう。

明治初期に「よろしくってよ」「ちがうわ」といったいわゆる「てよだわ」言葉は、品のない言い方とされていた。尾崎紅葉も「旧幕の頃青山に住める御家人の(身分いやしき)娘がつかひたるが…」などと書いてる。それが上品なお嬢様言葉になっていくのは、翻訳文学で素敵なお嬢さんが話す言葉として「てよだわ」が使われたから…と考えられてます。翻訳物が役割語の強化に役立った面はあると思う。

役割語がそもそもスレテオタイプによって使われている以上、現実の人間をある表象に閉じ込めてしまう面があるのは、分かりやすさと表裏一体で、扱いが難しい。個人的には翻訳物から役割語が消え去るのは、ジェンダースタディーズなどによって「いかにも女性」みたいなものを避ける運動における限定的な現象であって、全体としてみればむしろ翻訳物に強固に残り続けるんじゃないかと思ってます。

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