性的暴行事件の無罪判決
この話題、色んなこと思い出しちゃってしんどいな〜って人TLで何人も見かけて私もわかるなあ、話題に触れるのも色んな傷グリグリされる痛みがあるなあと思ってる。
できる範囲で読んだりしてるけど、判決に対する考えを自分の言葉ではたぶん今は何も書かれへんなあと思いながら、それでも誰かとは話したくて、最近いっしょに楽しいセックスをした人にニュース記事と署名呼びかけのページを送って時間があれば読んでみてねと送った。
そこから、私の過去のつらい経験を話したり、私たちのセックスが楽しく安全だったのは何が良かったからなのかねとか、そういうメッセージのやりとりをした。
別に何がどうというわけではないけど、相手が私からの突然のメッセージに対して、無視したり茶化したりせずに受け止めてくれたのは嬉しかった。
特定のパートナーがいないとき私が色々な人と出会って初対面でセックスしたりすることを知っているから、その人にも友だちにも「気をつけて」と言われたけど、私は何に気をつければいいのかなといつも思う。
相手の言動を注意深く観察して、少しでも嫌なサインを感じ取れば、例えそれが裸でキスをしている最中でも「やっぱりあなたとのセックスはやめる」と言う勇気を常に心に備えているし、性行為を始める前に必ずしてほしくないことやセーフワードを伝え(そして相手がしてほしくないことも確認し)、もしあなたが私との約束を守らないならその場で警察を呼ぶとも言っている。
会って間もない相手とセックスをするリスクは私も知っているが、よく知っている相手なら酷いことをしないというのはレイプ神話の一つでもある。レイプ加害者はたいてい顔見知り。家族・友人・知人・恋人・元恋人。信頼関係がある程度築けていたはずの人から性被害を受けることがある。それは被害を受けた人が「気をつけて」なかったからなの?
心配しているよという意味で発せられる「気をつけて」という言葉を受け取るたびに、「でも私はこれ以上何に気をつけたらいい?」という気持ちになる。
https://www.bbc.com/japanese/43917821.amp
この事件のことを思い出していた(性犯罪の内容の詳細が記事内にあります)スペインで強姦罪での無罪判決がでてスペイン全土で抗議が起こった。(その判決後2019年に最高裁で強姦罪に対し有罪判決がでて15年の刑が加害者全員にかされた)法は真空に存在するわけではなく、法律上の手続きは尊重されるべきなのは当然として、法律は市民の理解と対話の上で納得と信頼を得ながら判例を重ねて形成されていく面もあるはず。その形成のプロセスに不信感を募らせる状態は改善されるべきものだと思う。
今日クリスマス礼拝で洗礼をうけた韓国系の人がいて本当に良かった。「もっとイエス様のことを知ってからと思っていましたが救いにはそんな必要もないと分かりました」という お証(あかし)に首をブンブン振って「そうだそうだ!明日洗礼を受けようと思っていて、今日死んだら終わりなんだぞ!本当に良かった!」と心の中でうるさく同意していた。
たかだかオンライン署名程度、それで世の中が変わったことなんてほとんどないですし、ほかのパターンでも炎上気味に広がるオンライン署名は多々あるのに、そこまで慎重さを求めることからは、「思慮の足りない女」を教化してやらねばならぬ、といういつものパターナリズムを強く感じるところです。
教化されるべき、思慮の足りない女たちが、社会的な権威や地位のある男性に歯向かい、ましてやその地位や評判に傷をつけるなど断じてゆるさるべきではない、というアンコンシャス・バイアスは極めて強いので、それに基づく反発であろうと思います。
それによって男性個人がダメージを被ることは許されてはならないことなのですよね。
オープンレターの一件も、いつまでもしつこく言われるのは、この根深いアンコンシャス・バイアスが原因であろうとも思います。
ジェンダー問題の関連で、デモや署名などの活動が盛んになると、やりすぎはよくない 的な良識者めいた諌める文言が優位になるのも、日本あるあるだなぁ、と思います。
背景には、過去、警察や司法の場で性犯罪に対してきわめて寛容であり、被害者の過失ばかりが問われてきたというつい最近までの流れによる司法への強い不信感があると思います。
また、緊急避妊薬の承認プロセスなどに見られるように、現在進行形で公的な手続きの場でも女性の権利は軽んじられたままというなかで、公的手続きにおける女性の権利が適正に扱われているとは考えられない、という不信感もあると思います。
不当と思う裁判官への署名運動程度、たいしたことではないと思うのですが、判決全文を精査してから判断しろといった、普段の言動からは大きく異なる慎重さや思慮深さを署名程度に要求するなど、まるで社会を揺るがすおおごとのような扱いになることじたいに違和感があります。
(私自身は署名はしていないです。今回に限らず、毎回のことですが、署名一つにも自分自身はいつもやりすぎなくらいに慎重に判断するので、ほとんどの場合署名活動には協力しないことになります。ただ、それを他人に要求はしませんし、必要とも思っていないです。)
世界中の「政治的エリート」達が、パレスチナのような真の人道上の危機に対して、如何に臆病で、無気力で無能力かをまざまざと見せつけられた1年だった。
またひとつ人間が嫌いになった。
自称アマチュアアーティスト。シス男性・パンセクシャル
いてもいなくても世の中変わらない存在。共存共栄こそ、人類が生き残るための唯一の道。
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