ケンタッキーフライドチキンは日本では「高級感」出して成功。Xmasイブにファーストフードなんて食べる国がある訳ないんだけど、XmasはケンタってCMが日本で大成功。我が家では日曜日のお昼だった。笑。教会🛕が田園調布だったので、駅前のケンタッキーで、ミサの帰りに大きいバレルを買ってました。田園調布店は確か第一号店。高級感を出す仕掛けだったらしい。学生時代は小腹が空くとケンタのチキンフィレサンドかドトールのジャーマンドッグが定番だったなあ。米国生活は人生の半分以上だけど、ケンタッキーフライドチキンの店に入ったことないです。
まだ、家が片付かないけど、学生らの出すクリスマスケーキは出来上がった!グルテンフリーの軽いチョコレートケーキ。ケーキ、ココア味のホイップクリームがたんまり、でケーキの三層。お客さん用に良く作るケーキだけれど、今日はXmas仕様。
今日、流れてきた記事。元のTootはブーストしましたが、死刑制度を考える上で非常に重要な事実関係を含む有意義な記事。
私はかねてより死刑制度は廃止すべき、と考えていますが、この記事に書かれた官僚らの「人の生命より、自分の出世を優先」という徹底した姿勢には、恐ろしさを感じる。東京裁の裁判官と刑務所のトップのキャリア職員らのモラルと人間性の欠如は、殺人犯と同等あるいはそれ以下ではないか?
この記事はとても読み応えがある。「絶対に殺してはいけない」現場が声を上げた死刑囚…その最期の瞬間に待っていたもの
https://bunshun.jp/articles/-/42611?page=1
アメリカ人がXmasの為に一杯クッキー焼くのって、ドイツの習慣なんだろうか。1990年くらいまでのアメリカ人のDNAはドイツ人がトップ。なんだかアングロサクソンの「アングロ」を強調してるけど、1990までは米国人は平均すると祖父母のひとりはドイツ人というほどドイツ人の血は濃かった。そもそも第一次大戦でドイツが敗戦する前は、ドイツ語の新聞やら、ドイツ語圏の都市もあった。第二次世界大戦の敵国だから、「歴史認識」を歪めて、ドイツ人だってことはあまり言わないようになっただけ。大草原の金髪碧眼のall American boyのイメージはドイツ人そのもの。ドイツ系は多すぎて、戦争中も収容所なんかには入れられないし(苦笑)、兵士として、ドイツと戦った。 冷戦中に出来たプロパガンダ用のハリウッド映画に出てくるドイツのSS将校役はと、スラブっぽい風貌の俳優が起用され、実はドイツ系米国人の兵士なんかと顔が同じにならないように配役されてる。
なぜか、会話してる方とのやりとりにfavoriteを押したのに、消えちゃってた。私が2度押ししちゃったのかなあ。
大陪審員体験(続)大陪審員は起訴に値するかしないかを判定するもの。で、最初に一回だけ、検察側から刑法についてのレクチャーがある。うちのカウンティでは、レクチャーというより検察側からの一方的な洗脳だった。皆さんの判定は、有罪か否かに関わらないので、気楽に、みたいなコメントがあったので、私は挙手して質問。「有罪判決に関わらないと言いますが、我々が起訴状を認めた事例の何%が裁判になるのでしょう?」って聞いたら、6割は裁判にならない、つまり、司法取引(plea bargain)で有罪確定案件だった。だから、「我々が有罪判決とは関係ないとは言えないのではないか」って正したら、無視された。
そして、大陪審員は検察が罪状に関わる法律を読み上げるのを聞くだけで、法律書は見せてもらえない。社会科学で博士過程まで終え、大学で教えており、抽象的な概念や言葉を聞いて理解できる私でも、何回か類似の罪状を聞いて慣れていく感じ。なので、大陪審員の殆どは良くわからないで票決に参加。隣に座ってた女性は、最期の週に初めて私に、「貴女は聞いただけでわかるみたいだけど、私は大学も言ってないし、さっぱりわからない」って。問題多すぎる制度。
https://fedibird.com/@JapanProf/109563247437870149 [参照]
今朝、米国の非営利公共ラジオ局NPRを聞きていたら、閉店するレコード屋さんの話をしてた。もちろん、今ではCD売ってるんだろうけど、若い世代はスマホでダウンロードかストリーミングするから、商売にならない、と。レコード屋さんって聞いて思い出すのが、中学一年生の時に入ってみた大学生協のレコード屋さん。ばあーっと海賊版を含めていろんなレコードがあって、それを大学生のお兄さんたちが、とても集中した怖い顔をして、すごい指さばきで、一枚づつサササー、パラパラ、サササー、パラパラって確認しながら、品定めしてた。「おとな〜、カッコイイ〜」って思って見てた。で、お兄さんたちが居なくなるのを待って、ちょっと緊張しながら、隅で真似してみた。
スーッとレコード版が回りだし、針をゆっくり落として、音楽が始まる感覚とか。私のレコードの原体験。音楽が終わった後、ゆっくりとレコード版が回り続けるのとか、コンサートが終わった余響のようだった。
本屋さんとか、レコード屋さんとか、昔のビデオレンタル屋さんとか、店員や主と馴染みになる楽しみなんかもあり、社交の場でもあった。個人営業の珈琲屋さんなんかもそうだったなあ。アカの他人と色んな接点ができて、共同体が拡大する感じ。そういう人間のニーズをSNSが代替している部分もあるんだろうね。
私はGrand Jury(大陪審員)を五週間務めた際に、米国の司法の問題の大きさを痛感。(Grand Juryは被告を起訴するだけの理由があるか、を判定するところ。裁判で有罪否かの判定に関わる陪審員とは異なり、面接などなくくじ引きで選ばれます。)少なくても、うちのカウンティーでは機能しているとは言えない状況。法律の内容を理解できない人、元警官で黒人の人に対して強い反感を持つ人、自営業で早く票決を済ませて、帰りたい人などがいて、議論がなく、検察の言う通りに投票する人ばかりでした。しかも薬物や武器についての「所有」という概念が非常に曖昧で、起訴段階では、大陪審員の主観で決まります。ここでも元警官なんかが声を上げて、なんでも所有ってことにします。NY州法では同じ罪を犯しても前科があるともっと重い罪状が課せられるし、そもそも、同じ罪について、刑法状の罰則のレベルが違うだけの同じ罪状を積み上げる方式。このようにする目的は、司法取引へのインセンティブを高め、弁護士を雇って戦えない人たちが、レベルの低い罪状を認めて、法廷まで行かないようにする為。無実を争い難くする仕組みです。どうして貧しい地区に育ったアフリカ系米国人が刑務所にぶち込まれて行くのかが良くわかりました。
鈴木さんの絵本。その優しい絵と恐ろしい内容のギャップが「はかなさ」を浮き彫りにする。みなさんもこのスレッドの絵本の紹介をご覧ください。#なかったことにさせない #原発事故
QT: https://fedibird.com/@SZKN29/109551014768093728 [参照]
なんだかなあ。戦争があると駆り出される兵士とターゲットにされる人達が犠牲になって、兵器や軍需用品を作る会社と売る会社が儲かる。日本は朝鮮戦争の際に米国から軍需用品を発注して貰い、敗戦後の経済の混迷から好景気に突入。同じように韓国はベトナム戦争に助けられた。この事例では一般国民もその軍需の恩恵にあやかったけれど、ウクライナ戦争は誰が稼いでいるのか。米国のアフガニスタン占領も結局は地元権力者と米国の営利の戦争産業を利しただけ。巨額の税金を投入したけれど、アフガニスタンの女の子や女性の権利さえ守れなかった。政治学を学んでるから、どうしてこうなるかはわかるけど、じゃ、どうすれば良いのかの解を出せない学問なのが、情けなくなる。
@mdd125 印刷された本というメディアはもう終わりなのかなあ。学生らが本を読まなくなって久しいし。みんな本を読まずにPodcastを聴いてる。うちは夫婦で学者なので、お金はないけれど、本ばかり。引っ越しする度に非常にお金がかかります。私は転職の際には、大学に寄付して、蔵書を少し減らして引っ越したけれど、夫は絶対に全部持っていくと、増えるばかり。家中本だらけ。家にある本だけで、大きなダンボール箱が200個以上なので、家の中だけでも三千冊以上くらい。大学の研究室の分も入れるとどのくらいだろう。大学に寄付できるものは今から寄付し始めないと後が大変かなあ。
QT: https://mstdn.jp/@mdd125/109547880372698325 [参照]
20年前のことだから、覚えてない人もいるだろうけれど、Winny という匿名性が強化された、ファイルシェアが出来るソフトを開発した為に逮捕された研究者(金子勇さん)の話が映像化されるそう。私は米国にいて詳しく事件を追ってなかったから、是非観たいな。
なぜ、一人の天才開発者が日本の国家組織に潰されてしまったのか?『Winny』特報映像https://moviche.com/contents/news/246398/
日本はイジメがあったり、社会として冷たい部分が多いけれど、介護や医療部門には、本当に聖職者よりもずっと使命感と愛に満ちている人たちがいる。在宅での父の終末ケアを手配をする際に、日本の医療と介護システムの進化とそこで働く人たちの仕事ぶりを見る機会があったのですが、「こんなに素晴らしい人たちが日本にいたのか?」と感嘆するほど素晴らしい人たちばかりだった。医師、看護師、薬剤師、医療ケアマネ、介護ケアマネさんらがチームを組んでの連携プレー。最期まで父を「個人」として、本人らしく暮らして死ねるように全力をかけてくれ、父を在宅でケアする我々にも目を配ってくれた。今でも思い起こすと、有難さに涙がでる。他人にあんなに優しくされたのは初めてでした。ひろゆき氏とかホリエモンとか、あるいはSNSのインフルエンサーを持ち上げる社会でなく、他人の人生を本当の意味で豊かにしてくれる人たち持ち上げる社会にすべきだと思う。「カネカネ権力」と違う価値観をどうすると推進できるのでしょうね。人生の最期は資産額でなく、自分は人の役に立てたかがどうかが気になるそうです。自戒を込めて、この教訓を忘れないようにしない、と。
お風呂に入っていて、ふと頭に浮かんだ日米比較文化論: 日本では事の善悪や公正か否かには関係なく、和を乱しているかいないかの方が重要な基準になる。米国では自分に利があるかどうかが「公正fair」の基準になる。だから、米国人は思い通りにならないとすぐに「unfairだ!」と叫ぶ。自由貿易=自分が得すること、で、他の国がもっと良い製品を安く作ったりすると「unfair」だ!と自主的に輸出規制させたりする。アフリカ系米国人が、警察の暴力に対して「black lives matter」ってと「white lives matter too!」とかいうのも全部根っこは一緒。と考えるとトランプはなんとも米国的な人物なのである。
スペインと日本にルーツがある政治学者。NY州の私立大学勤務。先進国の比較政治学が専門。英語のアカウントは @mastodon.social 日本語アカウントはもっと楽しく趣味やワンコの話題をする予定が、やはり政治や社会問題のtoot多め。苦笑。プロフィール写真は愛犬のWheatenTerrier。基本的にリクエストくださった方は皆さん承認しておりますが、例外は日本に全く興味なさそうな外国語アカウントとプロフィールもtootもなにもないアカウント。