1.フランスに先を越されながらも、澁澤龍彦『高丘親王航海記』英訳版が来月刊行
2.2023年に中国では長篇が二冊刊行(単行本は海外では初の刊行)
3.SF作家としてのデビュー時期が近かった鈴木いづみはいまも注目を集めており、二冊目の英訳作品集がぶじ刊行
4.英語圏における日本文学受容では目下のところ女性作家への関心が高い(辛島デヴィッド『文芸ピープル参照』)
ということで、いまこそ英語圏における山尾悠子紹介の好機では…!?
・高柳誠『都市の肖像』(書肆山田)
高柳誠。はじめに思潮社の〈詩・生成〉のシリーズで読んだ『高柳誠詩集』の、アナイス・ニン「技芸の冬(『人口の冬』)」の引用が強く記憶に焼きついている。
愛すべきたたずまいのこの小さな本は、市庁舎、運河、天文台、競技場など名もないある都市の細部について、すべて見開き2ページで点描していく散文詩集。三つほど、書き出しだけ紹介したい。
動物園に集められている動物は、稀には絶滅寸前の種もいるが、ほとんどがすでに絶滅した種である。従ってその悉くが剝製や標本である。
「動物園」
書物は図書館の中にしか存在しない。と言うより、書物それ自体の原理からいって、図書館外では存在のしようもないのだ。
書物を読むには、よほど慎重にならなければならない。なぜなら、読むそばから文字は群れをなして飛び立ち、そのまま虚空に吸い込まれて消えてしまうからだ。従って、書物のほとんどは、その頁が空白になっている。
「図書館」
墓場は昼の間だけ市場になる。あるいは逆に、市場は夜の間だけ墓場になる。
「市場=墓場」
2023年9月の読売新聞、泉鏡花の外国語訳(英語と中国語)に挑む俊英たちについての記事。短めの記事ですが、鏡花が生きているうちに英訳の企画もあったという話は面白い。
https://www.yomiuri.co.jp/local/ishikawa/feature/CO068316/20230918-OYTAT50011/
「International Women’s Day Event: Akutagawa Prize-winning Author MURATA Sayaka」3/18に使用言語日英でオンライン開催とのことです。
https://www.tc.u-tokyo.ac.jp/ai1ec_event/11429/
数か月前に出た『スロヴァキアを知るための64章』(明石書店)にはどういう日本文学がスロヴァキア語に訳されているか(チェコ語ではなく)、という話題も出ていますが、これはスロヴァキアのメディア、Kapitálに掲載された鈴木いづみについての長めの記事。文章中ではSFマガジンの名や、Shintaro Ishihar〇(検索よけ)がどういう風にMieko Kawakam〇を揶揄したか、というような話題まで出ています。
https://kapital-noviny.sk/radikalne-vizie-izumi-suzuki/
富士川 過去とか歴史との関わり合い方というのは、60年代頃まではわりあいと権威主義的に伝統論をふりかざしていくというのかな、重々しく見ていく、とらえていくという姿勢が濃厚だったのじゃないかと思うのですが、どうも80年代になって若い世代の作家たちが登場してきてから、過去に遊ぶというのかな、重々しくとらえていくのではなくて、過去と現在を自由自在に、ミックスさせたりシャフルさせたりして、そこに何か新しい、従来とは異質な文学空問を作り出していくという、そういう姿勢が、いま言われたようにアクロイドとか、あるいはバーンズとか、それにアンジェラ・カーターの『夜ことのサーカス』なんていう作品もそういう例の一つじゃないかと思いますけれども、そういった作家たちの作品の中に顕著に出てくるということがあると思いますね。
青山 いまおっしゃった、純潔と呼べるかどうかわからないけれども、とりあえず純潔のイギリス人の作家たちが過去に関心を持ってきたということなんですが、富士川さんの文章を読んできましたところでは、その過去への関心の持ち方というものは、ちょっと非常に変わったものですね。過去を遊んでいるというところがあります。
富士川 そうそう、遊んでいる。
青山 二つほど富士川さんが紹介したものを挙げますと、一つはピーター・アクロイドが、実在した作家、あるいは実在した建築家等をネタにして、ミステリーっぽい小説をつくっている。あともう一つ非常に面白かったのは、ヤング・フォーギー現象という、こういうふうな言葉で言ってしまうと誤解があるかもしれないけれども、一種の日本のレトロプームみたいな現象。
本好き、旅行好き。 海外詩/翻訳文化論/日本文学普及/社会言語学etc.文章のアップはSNSよりも主にブログのほうで行っています。よろしくお願いします。https://air-tale.hateblo.jp/