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中央公論新社から出ている本で気になる本の割合が増えている。

ここ数年で購入し文字通り至宝だと思えるものは、大名力『英語の綴りのルール』とそこから遡って知った竹林滋『ライトハウス つづり字と発音の基礎』(1991、絶版)。強勢の位置さえわかれば、すさまじい数の英単語がそのつづりを見ただけで発音記号がわかるという驚異的な本。数年かけて少しずつ咀嚼している。

京フェス、「橋本輝幸×鯨井久志 海外SF紹介者という仕事」のパネルだけでも拝聴したいけどお仕事と、すでに欠かせない用事が入っており……参加できる方がうらやましいです。

「作家の読書道」って読み始めた瞬間に自分の脳内で快楽物質が出始めるのがわかる。たとえそれが自分が読んだことのない作家さんの場合であってさえ。

「これを紹介するまでは死ねない」みたいなのが少しだけ出てきた。というか、自分より英語ができる方にやっぱり読んでもらいたい…。

「ふつうは、切り捨ててしまったものに対して、テクスト自体は痛みを感じないのに、連作短編は、隙間だらけなんだけど、それをつなぎ合わせてみると、その隙間まで読み手の目が届く。そういう点では、やはり長編よりは言えることが多いと思うんです。」柴田元幸との対談における和田忠彦による目を洗われるような発言。連作長編をも含めた小説の形式について考えるための啓示が降りてくる。筒井康隆作品におけるラゴスの旅は、だから長編よりも長いのか。蓮實重彦『反=日本語論』はだからエクソフォニーである以前にポリフォニーなのか。あるいは、カルヴィーノ宇宙における冬の夜のひとりの旅人は?

@funa1g ありがとうございます!そうですね、以前のペンネームは使わなくなってひさしいのですが、これからもどうぞよろしくお願いします。京大SF研の方で私のことを知っているかたには、ペンネームが変わったことを伝えていただいてけっこうです。

翻訳といういとなみを考えるためにもっと読みたい書き手。和田忠彦、ヴァレリー・ラルボー、岩崎力、秋草俊一郎、Sato Hiroaki、阿部大樹。クリシェから距離を置くための視座を、少しでも手に入れたい。

海の向こうでは現在進行形で殺戮がおこなわれるなか、数年前と異なり、休日に映画館や美術館にも足をのばせる、そんな日常。「普段は気がつかないものだが、人間にとってもっとも大切なのは自由なのだ(イ・ソンチャン)」。しかし、ほんとうにこんなことをしていていいのか、他にやるべきことがあるのではないかという疑念に襲われる。早く停戦が訪れてほしい。

酉島伝法を読んでいるのだけど、評論で「90年代に頭角を現した作家」という表現を見ただけでその作家から蝸牛のように角が生えてきたり、日本語教授用の教材で「鶴首して待つ」という言い方を見ただけでヒトの首がろくろっ首のように厭な曲線を描いて伸長する光景を幻視したり、日常生活に支障が生じてきた。なんて悪い作家なんだ。

「宇宙飛行士とジプシー」「ぼくと犬の物語」「胎動」そして『時のほかに敵なし』。ぼくにとってマイクル・ビショップは、魂の救済という問題について誠実に向かい合ってくれた稀有な作家です。中短篇集が出たらぜったい購入します。

追記
日夏耿之介といえば、とある古書店の店主が最近おすすめしてくれて購入したのが『日本の詩歌 (12) 木下杢太郎 日夏耿之介 野口米次郎 西脇順三郎』(中公文庫)。日夏をはじめとする詩作品に、すごい量のグロッサリーがついているのだ。難度の高い語彙が、平易な現代語にあられもなく(!)言いかえられている。

*自分が以前調べた限りでも、ロシア語訳はこの一篇のみ。英語圏では『春昼・春昼後刻』「化鳥」なども訳されている。

同じころ、言語学習系のSNSでやりとりをしていたファンタジー小説好きのロシア人から、「外科室」の感想が送られてきた。「私が知る限りこの作家の唯一のロシア語訳なのですが」*、という文言とともに、筋――と同時に書かれてはいないもの――を理解していなければ到底出てこないような興奮のことばがそこには綴られていた。

言語教育という観点から考えたとき、文豪の作品や国内の古典を日本の若い世代が現代語訳で読むことを批判することはたやすい。活字離れによる嘆くべき学力低下と単純化して、いくらでも攻撃できる。一方で、たとえば英語圏では20代半ばで鏡花を訳し、その後日夏耿之介の研究にさえ本格的に取りかかっている、ピーター・バナードのような俊英さえ登場している。さてふたたび、ここで「海外の優秀な人々に比べていまの若いのは日本語もできない」などと言いつのるのもたやすい。しかし、彗星のようなエリートが彗星のように出現することに託すよりも、全体の底上げを意識することのほうが、文学という森の入り口を灯火で照らすことにはつながると思えてならない。国内の高校や大学での教育に寄せすぎる必要はないのだけど、大学の文学部で原書の小説をどう読んでもらうか、という話にもこの話題はスライドしうると思う。

「言文一致styleのグロテスク」というまさにグロテスクな表現をかつて用いたのは松浦寿輝だったと思う。学生時代、『高野聖』や『春昼・春昼後刻』に人生を変えられた自分は、「現代語訳泉鏡花」なんてものがいつか刊行されたらそれこそグロテスクだな、などと思っていたものだった。言語、そして文化の衰微としてそうした未来を捉えていたのだ。

こうした認識に変化が訪れたのは、あるとき、ジェフリー・アングルスが『泉鏡花〈怪異・幻想〉傑作選 本当にさらさら読める!現代語訳版』(KADOKAWA)という本を自身のSNSで紹介していたからだった。日本の外で泉鏡花は川端や三島の十分の一の読者も獲得していないかもしれない。しかしそこにはもちろん、明治の日本語そして作家独自の表現が現代の日本語と大きく隔たっているという事情がある。このとき、現代語訳が刊行されていれば、国外の研究者や翻訳家にとって大きな助けとなりうる。それは、英語学習者が英米の古典をretold版で読むのにも似てエッセンスには触知しえないかもしれないが、必要とするひとにとっては錯綜のラビリンスにおいて眺望を得るための貴重な梯子として現れる可能性がある。もっと言えば、単純にオプションのひとつとして、こういうものがあってもいいのではないか。

詩作における自己再構成のたいせつさを説いたのは作者もエッセイで言及する多田智満子だが、「国際友誼」においては自己を虚の地点にまで解体したのちにもう一度統合(つまり発見)しようとする活発な精神がよろこばしく働いている。鏡のなかのアジアとは単なるひとり仮寝の旅行先ではなく、自身そして言語をみつめるための道具として本作では装置される。

谷崎由衣『鏡のなかのアジア』(集英社文庫)

90年代、川上弘美が頭角を現したときに福田和也は書いた。「その世界はなかなかチャーミングだが、またあまりにも強い規範性に、若干将来性への不安を抱かないではない」。現時点での谷崎由衣の小説のいくつかは、ひょっとしたらさらに一層規範的であるかもしれない。それでも、旅行中に携えたこの薄い文庫本から、日々考えていることについて少なくないインスピレーションを受けることができた。

集中では最新・最長かつ巻末に配置された「天蓋歩行」(クアラルンプールほか)をベストに推す読者が多いとみている。けれど自分は、「国際友誼」(京都)にとくべつな愛着を抱く。作者のほかの本やエッセイ、インタビューで、京都で大学生活を過ごしたこと、異言語に揺れる生活をしていること、本文で言及されている作家を作者自身も好きであることなどをすでに知っていたという事情も手伝って、特異で野蛮な私小説として味読してしまった。〈私〉という長方形の一枚の紙をzig zaguに鋏で切り進め、ごわあとしていびつな一本の長い長い帯にする。ありったけの力を込めて、遠くへ飛ばす。紙だからたとえ限度があるにしても、元の長方形よりははるかに複雑な形状をしているのは間違いない。(つづく)

菅野昭正による伊良子清白についての文章。
shinchosha.co.jp/book/463201/

伊良子清白『孔雀船』、最愛の詩集のひとつだけど、日夏耿之介が熱愛していたというのは先日会った知人が教えてくれるまで知らなかった。自分が読んだのが、日夏の序文つきの版だった可能性そのものはあるけど。日夏訳「サロメ」や矢野目訳シュオッブ、泉鏡花などが好きな方には『孔雀船』、強く強くおすすめです。

『カモガワGブックスVol.4 特集:世界文学/奇想短編』会場で購入してくださった方、通販で購入してくださった方、どうもありがとうございました…!

実質的に薦めてもらった(と僕が勝手に思っている)本――ラッセル・ホーバンTurtle Diary(ヨーロッパを旅行しながら読んでいた、と感懐を込めて言っていた)、国書刊行会〈文学の冒険〉シリーズで刊行予定がありながら未訳のままのジョルジュ・マンガネッリ『センチュリア』(イタリアの作家だが英訳で読んだそう)、ヘンリー・ミラー『わが読書』、カール・ヴァン・ヴェクテンの書評、トマス・ディッシュの書評、コジンスキー『異端の鳥』、ピーター・S・ビーグル『風のガリア―ド』、ノーマン・スピンラッドBug Jack Barron、イエイツの詩など。これと別に強く薦めてもらった本があるのだけど、生きているうちに読めるかな、せめて読んでから死にたい。洋書である。

海外文学の選書眼ということでは畏怖してやまない知人のひとりと地方都市で会う。十代中頃にはもうジェイムズ・ブランチ・キャベルSomething About Eveを原書で読んでいるみたいな恐ろしい人。新幹線と私鉄に乗り継ぎ数時間ほど、駅で落ち合ったのは夜も更けた頃。

完全に話を合わせてもらうしか仕方がないのだけど、おたがいが読んでいてかつ肯定的な感想を交わした書物――ラッセル・ホーバン『ボアズ=ヤキンのライオン』、ケイト・ウイルヘルム『杜松の時』、ピーター・S・ビーグル、ジョルジュ・マンガネッリ「虚偽の王国」、アンナ・カヴァン、ジョイス・マンスール、伊良子清白『孔雀船』など。(つづく)

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