「NPOでは、珠洲市で活動する2県の緊急消防援助隊に、道路啓開の協力を求めた。宿営地を訪ねて「被災した地域には火事の危険もある。救急や消防を含む緊急車両がいち早く入ることのできるよう、重機を動かしてほしい。災害関連死を防ぐためにも、道路を啓開してほしい」と訴えたが、断られた。
被災現場では、ボランティアらが重機で啓開した後を、消防や警察の車両が通っていく」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65b9faaae4b0102bd2d6dd81
町の規模が違い過ぎることと、建物の被害が熊本よりは大きいのが原因なんだろうか 確かに車を走らせていても1ヶ月経過したことを感じない、景色が変わらないもんな
「人も時間も足らない」輪島ボランティアは1日3時間40人 悪路・日帰り足かせに:中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/851944
どうも、千葉大学学長選考・監察会議、今回の「学長となるべきもの」の決定に関しての「通告」を大学外にも公開しているようだ。
その「見解」によると、要するに、
1)人格の高潔性
2)経営者としての才覚があること
の2点が投票を覆した理由、ということになっている。
これは不思議な事を言うものである。選考会議のメンバーは、日頃は大学と接触していないだから、本来は候補者の他人の「人格の高潔性」を判定する、などという失敬極まることはできない筈。
ただし、学内で普段から接触する機会がある人間は別である。
投票一位の山田賢先生は、「千葉の周恩来」と言われるだけあって、「仁・義・礼・智・信」の五徳を全て兼ね備えた、稀に見る「人格者」であること、これは事務の人も含め、衆目の一致する所である。
2)経営者としての才覚、もおかしな話である。
大學とは本来、研究に基づいて高等教育をする所。従って「営利組織」ではない。
確かに、法人化以降日本の大学は予算の激減で事務職員、研究者のポスト・研究費が減らされ続け、この20年で日本の国際比較可能な研究水準は劇的に低下した、と言われている。
この傾向を見直しこそすれ、自明の前提として「経営力」を学長の資質とするのは、それこそ「狂気の沙汰」である。
@Salamander_k 菱沼さんは血液のモチモチしたところが好き。それで十分だ。
明治大学にとっては「戦争反対」が「極左暴力集団」の思想なのか。戦前の「戦争反対はアカ」と全く変わらないな。 https://twitter.com/tatekan_MU/status/1723532686009245696
#コロナ労災 申請したらけっこう認定されんのに会社が妨害しよるんやな
(N へ ・᷄ ) ꐦ
玉木一成弁護士
「労災を申請すると労基署が調査に入り、(何らかの)法律違反が見つかる可能性があるため、事業主側は嫌がる。症状が重くないと、申請をあきらめる人は多いと思う」
申請を支援してきた飯田勝泰氏
「コロナ感染による労災を労基署は積極的に認定している。認定されるのも早い」
『職場でコロナ感染「労災認定は難関」の大うそ
勤務先に協力渋られ「泣き寝入り」も…実際の認定率は?』
2024/1/13
https://www.tokyo-np.co.jp/article/302396
#PCR検査と治療薬の公費負担を求めます
コロナになったら、後遺症にならないように
2ヶ月は無理しないでほしい
千葉県松戸市のページ
https://www.city.matsudo.chiba.jp/kenko_fukushi/kansenshou/covid-19_kouisyou.html
#PCR検査と治療薬の公費負担を求めます
歴史修正主義者の語る「証拠」とは、歴史上の事項の、100か1000に1つか2つの例外を指していることが多いようだ。
自分の信じたい事だけを「事実」として採用している。
これは自分自信に対する戒めでもあるのだけどね。
観測地震動は小さかったので安心して下さい → 地震でそれなりに壊れました。
……、地震動がそれだけ小さかったのに被害が多数なのはどういうこと? 報告された地震動は正確なの? そこも誤魔化していないかな?
【志賀原発】「あわや電源消失、福島原発の二の舞の大惨事に...」能登半島地震で「志賀原発で起きたこと」への恐怖と地元で見つかった「新たなる切り札」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社 https://gendai.media/articles/-/124022?page=1&imp=0
配膳は誰かがしてくれるのではなく、各自が台所に行って、大鍋に作ってあるおかずの自分の分をよそってくる式じゃなかったかなぁ。私は台所へ行って誰か大人によそってもらっていた。ご飯は、一番古い記憶では、ガスコンロに乗せた羽根付き釜で炊いたものを木のお櫃に入れ替えてこたつの脇に置いていた。それを各自がよそっていた。途中から電気保温ジャー(炊飯機能はない)みたいなやつになっていったと思う。
そう言えば、4世代同居だった私の子どもの頃の実家は、お手伝いさん(「お勝手のチャコちゃん」と呼んでいた)がいたし、曽祖母、祖父母、叔父叔母などが同居して女手は多かったので、私の母は多分台所からどちらかと言うとあぶれ気味で(本人も料理が苦手で多分あまり台所に立ちたい人ではなかった)、家業の店番をしていることの方が多かった(家の中で母親を探す時には、私は大抵、台所ではなく店に行っていたと思う)。
私はお手伝いさんが作ってくれる甘ぁ〜い卵焼きが大好きで、彼女の作る卵焼きしか食べなかった。他の人…例えば祖母が作る卵焼きでは納得しなかった(母に作ってもらった記憶はない)。
私の「母の味」はお勝手のチャコちゃんの卵焼きだったのかも。
あと、これは何度か書いているけど、いわゆる昭和のホームドラマのような「家族団欒」を子どもの頃の私は知らない。
食事は店の「若い衆(発音は「わかいし」と言う感じに近かった)や、お手伝いさんや叔父叔母など、食べる人が多かったのに食卓はスタンダードな大きさの掘りごたつがひとつあるきりだった。
From: @hayakawa2600
https://fedibird.com/@hayakawa2600/111899419454830376 [参照]
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