どうも、千葉大学学長選考・監察会議、今回の「学長となるべきもの」の決定に関しての「通告」を大学外にも公開しているようだ。
その「見解」によると、要するに、
1)人格の高潔性
2)経営者としての才覚があること
の2点が投票を覆した理由、ということになっている。
これは不思議な事を言うものである。選考会議のメンバーは、日頃は大学と接触していないだから、本来は候補者の他人の「人格の高潔性」を判定する、などという失敬極まることはできない筈。
ただし、学内で普段から接触する機会がある人間は別である。
投票一位の山田賢先生は、「千葉の周恩来」と言われるだけあって、「仁・義・礼・智・信」の五徳を全て兼ね備えた、稀に見る「人格者」であること、これは事務の人も含め、衆目の一致する所である。
2)経営者としての才覚、もおかしな話である。
大學とは本来、研究に基づいて高等教育をする所。従って「営利組織」ではない。
確かに、法人化以降日本の大学は予算の激減で事務職員、研究者のポスト・研究費が減らされ続け、この20年で日本の国際比較可能な研究水準は劇的に低下した、と言われている。
この傾向を見直しこそすれ、自明の前提として「経営力」を学長の資質とするのは、それこそ「狂気の沙汰」である。