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鈴木エイト氏、石丸伸二氏に「カルト問題取材者として一番危うさを感じた」…”反ワク票”が10万以上にも危機感「聴衆には幼い子も」
mag.minkabu.jp/politics-econom

都知事選2位の石丸伸二氏は「カルトや自己啓発セミナーなどの手法を採り入れている」「マルチの集会で聴くような語り口」

鈴木エイト氏は「カルト問題を長年取材してきた私にとって、今回の都知事選で最も危ういと感じたのは陰謀論系ではなく石丸伸二氏だったという結論になる」と記している。

政策論争に立ち入らず、自己アピールに終始したことが、石丸氏の支持につながったという見方がある。非合理的な個人のカリスマを政治に持ち込むことの危険性を私たちはよく知っている。鈴木エイト氏の警告を真剣に受け止めたい。

不正に揺れるトヨタ、会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASS 7月21日
16:09まで全文閲読可能。

「今の日本は頑張ろうという気になれない」
「ジャパンラブの私が日本脱出を考えているのは本当に危ない」
「日本のサイレントマジョリティーは、自動車産業が世界で競争していることにものすごく感謝していると思う」
「業界の中の人にも感じるような、応援はぜひいただきたい」
「(報道陣は)強い者をたたくのが使命と思っているかもしれないが、強い者が居なかったら国は成り立たない。強い者の力をどう使うかを厳しい目で見るべきだ」

感想:これは、批判への耐性が乏しい企業人の脆弱性ではないだろうか。正当な批判を攻撃と受け止めてしまい、反省の弁を出すべきところを自己正当化を図ってしまう。

人種差別や植民地問題に関する正当な批判を耳にした白人が「自分たちが攻撃されてしまっている」と受け止めてしまうことを「白人の脆弱性」と呼ぶ。

その変形としてここでは「企業人の脆弱性」という言葉を使ってみた。米国のテクノロジー企業でも規制当局との対決姿勢が目立つが、その一つの背景といえる。

「左派はネオリベに政策論争で勝つため、規範論に加えて、帰結論も取り込もう」との提案。

規範論は、カントの義務論が代表。護憲、平和主義、人権擁護、格差是正など譲れない規範を唱える。

帰結論は、功利主義が代表。経済と相性がよい。

中野先生は日本の政治の文脈で話をしているが、そこから離れた私の意見。

国連の理念「平和と人権」は有無を言わせぬ規範。ただし米国やイスラエルやロシアは理念を嘲笑する。

一方、国連主導のイニシアチブであるSDGs(持続可能な開発目標)は、複数の数値目標へ向けて政策や投資を誘導する。経済の言葉で語れる点で、帰結論と親和性がある。
youtube.com/watch?v=qJiNJzCeTp

ローマ教皇フランシスコは7日、ポピュリスト政治と「イデオロギーのくず」と表現するものを非難し、世界の多くの地域で民主主義が不健全な状態にあると警告した。

“「安易な解決策にだまされないようにしよう。代わりに、共通の善に熱意を持とう」”
jp.reuters.com/world/us/7INAFH

感想:
「共通善」はアリストテレスの用語です。

ローマ教皇の発言は、宗教的なメッセージと非宗教的なメッセージがはっきり区別されている。

非宗教的なメッセージでは、キリスト教ではなく、国際人権や倫理学のフレームを使っていることに注意(もちろんキリスト教に矛盾しない内容だが)。

国際人権と倫理学は世界の共通言語。

選挙戦を振り返って「蓮舫候補に欠けていたもの」をあえて探すならば——経済政策、成長戦略ではないでしょうか。

富の再配分は非常に重要ですが、同時に成長戦略を打ち出せていたら?

例えば、蓮舫候補の「神宮外苑再開発方針を都民の投票で決めよう」という主張は正当だと思います。ただし、それと同時に「現状の再開発案よりも、より人々が経済的に豊かになる案」を打ち出せていたなら? 現職の都知事が続投するよりも、人々がより「豊かになれる」と思えるビジョンを提示すれば、結果は違ったかもしれません。

SDGs(持続的な開発目標)は人権擁護と経済成長の両立を目指します。今後の政治では、富の再配分と、全員が豊かになることを両立させる発想が必要ではないかと考えています。

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都知事選について。

「石丸候補がSNSで支持を集めた」という現象の研究が必要と感じました。

SNSといっても、影響力が大きかったのはTwitterよりもTikTokやYouTubeだった言われています。この見方が妥当かどうかも含め、研究を期待。維新の台頭、さらには世界的な極右の台頭とシンクロしている可能性も。

私自身は、今回は蓮舫候補を支持しました。若者への経済的支援、水道料金滞納による給水停止への異議申し立て(「停止より福祉につなげよう」)など、人権擁護の観点を明確に打ち出していたのは、蓮舫候補だけだったからです。

なので結果は残念ですが、同時に蓮舫候補の「諦めないでください」という言葉も受け止めたいと思います。
(続く

一連の映像の最新のものが、次の”Choreography Edit”です。Choreographyは「振付け」。つまりダンス=身体言語で歌を表現しているのです。

youtube.com/watch?v=uM7wN5bss6

Auroraのダンスは、他の歌手とは明らかに違って「自分の言葉を持った踊り」だと感じていましたが、そのことを明示的に表現しています。

ところで、シンガーソングライターによる「言葉を持ったダンス」というと、私はケイト・ブッシュが本気のコンテンポラリーダンスを踊る「Running Up That Hill (A Deal With God)」を思い出します。私にとっては、今回の映像はケイト・ブッシュいらいの驚きでした。

他の曲のAuroraのダンスも、身体言語としてとても面白いものです(もちろん音楽もすばらしいのですが)。ダンスに興味がある人はぜひご覧になってください。

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ノルウェーのシンガーソングライターAuroraの新しい曲”Starvation”のプロモーションビデオは、各国語版が公開されています。これは歌詞の日本語訳を付けた映像です。

youtube.com/watch?v=ClV_0SmjL2

「この歌詞を多くの文化圏に伝えたい」という思いが伝わってきます。

一連の映像の最新のものが(続く

ふたたび追記:

マルクス・ガブリエル『倫理資本主義の時代』は、企業経営者や投資家にも読んでもらえるような書き方になっています。資本主義を否定はせず、そこに自主的な倫理を持ち込もう、と唱える本です。

なので権力者や富裕層に抗議したい人にとっては物足りないかもしれません。そういう方には、ヤニス・バルファキス、デイヴィッド・グレーバー、ピケティがお勧め。
(マルクス・ガブリエルは「政治的に中立であることで影響力を持ちたい」というスタンスです)

この本の大事な部分は、現代の哲学の潮流の中で無視・冷笑されがちな倫理学を直球ストレートで説明している点。ありそうでなかった本だと思います。

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訂正:
革新的→核心的

もっとも、昨今の世界に漂う冷笑的・相対主義的・虚無主義的なムードの中では、「倫理学は必要である」「道徳的事実は存在する」という主張はじゅうぶんに革新的だと言えるかもしれませんね。

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追記:
最近出た『倫理資本主義の時代』(マルクス・ガブリエル、ハヤカワ新書)は「新しい啓蒙」のエッセンスを一般読者向けに平易に書いた本です。しかも世界に先駆けて日本で出版したそうです。

この本には、こんな一節があります。

「複雑な問題について人々が抱く道徳的信念にはバラツキがある。自由な民主主義の下では、国家や司法などの制度は異なる道徳的立場の存在をある程度尊重するようにデザインされている。誰かを傷つけたり深刻な危害を及ぼしたり、差別の対象にするのでないかぎり、道徳的意見の不一致は許容される。こうした理由から、正しい倫理が存在する可能性、複雑な道徳的問題や道徳的ジレンマにさえ客観的に正しい答えが見つかる可能性を否定するという過ちが起こりやすい。自分の倫理的価値観を他者に押しつけないことが民主主義的寛容さだという極論を支持する人も多い」

難解な用語を使わず書かれた本ですが、誤謬は誤謬とはっきり指摘しています。

「道徳的事実は存在する」——これが「新しい啓蒙」の革新的な主張です。この本は、冷笑主義や虚無主義への強力な反論となる一冊といえます。

amzn.to/3VFHOh5

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「新しい啓蒙」のパンフレットです。
amazon.co.jp/Towards-New-Enlig

例えば、次のようなことが書いてあります(英文から機械翻訳+手直し)

「道徳的リアリズムとは、道徳的事実とは私たちが共有する人間性に由来する、単純に何をなすべきか、あるいは何をなすべきでないかという問いに対する真の答えである、という見解として理解することができる。したがって、私たちが共有する人間性の明確化は、倫理的洞察の決定的な源泉である」

「多くの道徳的事実は個人や集団にとって明白ではないため、このことは議論、特に異文化間の交流を促す。倫理学もまた、複雑な規範秩序の網の目の境界で生じる不確実性を扱っている」

「人文科学と社会科学は、道徳的事実の存在を否定するという虚無主義的あるいは相対主義的な過ちを犯すことなく、不確実性と社会の複雑性の完全な認識に対処する価値判断のための発見的方法を倫理学に提供する」

当方の感想として、これは英語圏の哲学に蔓延する「道徳的な不真面目さ」(※)に対する、強力な異議申し立てだと思います。

※ たとえば「トロッコ問題」を想起されたし。近年の「効果的な利他主義」をめぐるスキャンダルも材料となる。

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いま考えていることを、改めて言語化してみます。

現代の複雑な問題を思考する上で、人文学は必要である。特に倫理学には正面から向き合う必要がある。技術や経済を私たちがどのように思考するのが良いのか——そのための思考のフレームワークや言葉は、工学や経済学には含まれていない。だから共通言語としての哲学、倫理学には大きな意味がある。

例えば現代の国際社会は、カントが考えた永遠平和・道徳哲学をヒントとして「平和と人権」を共通の言葉として定義し、今日に至っている。

その一方で、人文学の伝統に根強く浸透している虚無主義・相対主義・権威主義・アンチヒューマニズム(差別思想、優生思想)には警戒しなければならない。哲学の専門家が倫理学を冷笑する傾向は根強い。

この傾向に異議を唱えるムーブメントとして、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは「新しい啓蒙」を唱えている。カント、シェリング、フッサールらの思想を批判的に受け継ぎ、虚無主義・相対主義・権威主義・アンチヒューマニズム・資本主義を乗り越える思想を建設しようとしている。

もちろんマルクス・ガブリエルも無謬ではなく、最近はイスラエルのガザ攻撃を全肯定してしまった。人は間違える。だからこそ、間違いを正すための思考の枠組み、議論のための言葉が求められている。

ソフトバンクGの株主総会で孫正義氏がAIへの展望をぶちあげる。

「どの天才よりも1万倍賢い(AI)。10年以内前後ぐらいに来るんじゃないかって、心底思ってる」
「ソフトバンクは、孫正義は何のために生まれたんだと、僕はこのために生まれたんだと」
「去年20兆円もうかったのは誤差で、どうでもいい」

TBS
newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1
産経
sankei.com/article/20240621-U5

最近の孫正義氏は、OpenAIのサム・アルトマンの「7兆ドルの資金調達」計画で資金調達元として名前が出たり、「1000億ドル規模の投資を計画中」と報じられたりしている。AI分野の巨額投資に意欲的であることは間違いなさそうだ。そんな経緯から、私が書いた次の記事にも孫さんの名前が出てきます。

OpenAIの投資計画はアポロ計画の70倍?加速し膨張するAI開発投資、バブルの懸念も
globe.asahi.com/article/152964

感想:孫さんが元気だと負債は膨らむ。AI巨額投資は、文字通り100倍、1000倍のスケール競争になってきている。ASI(超人工知能)が先か、バブル崩壊が先か。

哲学の立場からの「AIゆりこ」への疑問。面白い文章です。

私の感想。

AIも人間も無謬ではない。現状の生成AIはハルシネーション(AIの嘘)を緩和はできても根絶はできない。

しかし人間は自らの行為に責任を負い、間違いをただすことができる。

AIは責任を取ることができない。 人間ならば責任について思い考えよう。
note.com/toyahiroshi_/n/n9fd78

AIの規模拡大は持続的か。

いまや「1000億ドル」や「7兆ドル」と巨額の投資計画が語られる。2023年のAI産業は500億ドルをNVIDIA製半導体の購入に費やした。

AI開発企業OpenAIは「規模拡大の先にAGI(人工汎用知能)が生まれる」という信念のもと、巨額の投資を続けている。

しかし同年のAI産業全体の売上げは30億ドル。バブルの懸念がある。そしてOpenAIが掲げる「安全なAGI」という目標の工学的な矛盾も指摘されている。

前後編の後編です。AIに関心がある方はぜひ読んでください。
globe.asahi.com/article/152964

書きました。

「スカーレット・ヨハンソンがOpenAIに抗議した件の背後にあるもの」を掘り下げました。OpenAIは組織内の「ブレーキ」役を冷遇しアクセルをベタ踏みしていることが見えてきました。

OpenAIの最新モデル「GPT-4o」にスカーレット・ヨハンソンが激怒、くすぶる倫理課題
globe.asahi.com/article/152956

「『Plurality(多元性)』とは、『意見の衝突』を、この社会で共に創造し進歩するためのエネルギーにするということです。意見が食い違ったときに、お互いに攻撃し合うのではなく、論争に合意を形成できるような技術を持っているかどうかが重要です」

「もしも全員が同じ場所、同じ起点から同じ方向で物事を見たら、ひとつの角度でしか物事が見えません。多くの違う角度があるという多様性があってこそ、民主主義を前進させられるのです」

補足:
記事中には言及がないが、オードリー・タンが共著で執筆したPlurarityの本の日本語版が今年中には出る見込みという。また原文はCCライセンスで公開されている。
github.com/nishio/plurality-ja

感想:
Plurarityは、民主主義を成立させる不可欠なもの(必要十分条件)である。立法府の議論でも、行政でも、司法でも、そして技術コミュニティでも、「Plurarity=平等で異質な他者と出会える可能性を保つこと」は重要だ。Plurarityの破壊は民主主義の破壊であり、人間性の破壊だからだ。

特にオープンソースの技術コミュニティがPlurarityに関心を持ち、民主主義に貢献できるプロダクトやサービスに反映してくれることを期待している。

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台湾の前デジタル大臣オードリー・タンのインタビュー。オードリー・タンは最近"Plurarity"に関する本を出版し、その話題が中心だ。
news.tv-asahi.co.jp/news_inter

"Plurarity"について少し前置きを。

ハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治("活動的な生")が成立する必要十分条件は複数性(Plurarity)であると述べた。複数性とは、「自分とは異なる意見を持つが平等な他者と出会えること」であり、民主主義が成立するには複数性が不可欠だ。複数性が破壊された状態がファシズムである。

日本の哲学分野ではPlurarityの訳語は「複数性」が定着しているが、日本のPlurarityコミュニティでは「多元性」といった別の訳語の方が人気がある。このインタビューも「多元性」をカッコ内で使っている。

では、オードリー・タンの言葉を見てみよう。

「地震や、ひいては情報セキュリティーや民主主義に対する脅威には、たとえ意見が違っても、また文化が違っても、その違いを乗り超えて、地震対策や民主主義を守るために協力することはできます。 私たちは先入観を捨て、異なる文化やイデオロギーを超えて、協力することができるのです。こうした概念を私は「Plurality(多元性)」と呼んでいます」

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