いま考えていることを、改めて言語化してみます。
現代の複雑な問題を思考する上で、人文学は必要である。特に倫理学には正面から向き合う必要がある。技術や経済を私たちがどのように思考するのが良いのか——そのための思考のフレームワークや言葉は、工学や経済学には含まれていない。だから共通言語としての哲学、倫理学には大きな意味がある。
例えば現代の国際社会は、カントが考えた永遠平和・道徳哲学をヒントとして「平和と人権」を共通の言葉として定義し、今日に至っている。
その一方で、人文学の伝統に根強く浸透している虚無主義・相対主義・権威主義・アンチヒューマニズム(差別思想、優生思想)には警戒しなければならない。哲学の専門家が倫理学を冷笑する傾向は根強い。
この傾向に異議を唱えるムーブメントとして、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは「新しい啓蒙」を唱えている。カント、シェリング、フッサールらの思想を批判的に受け継ぎ、虚無主義・相対主義・権威主義・アンチヒューマニズム・資本主義を乗り越える思想を建設しようとしている。
もちろんマルクス・ガブリエルも無謬ではなく、最近はイスラエルのガザ攻撃を全肯定してしまった。人は間違える。だからこそ、間違いを正すための思考の枠組み、議論のための言葉が求められている。
追記:
最近出た『倫理資本主義の時代』(マルクス・ガブリエル、ハヤカワ新書)は「新しい啓蒙」のエッセンスを一般読者向けに平易に書いた本です。しかも世界に先駆けて日本で出版したそうです。
この本には、こんな一節があります。
「複雑な問題について人々が抱く道徳的信念にはバラツキがある。自由な民主主義の下では、国家や司法などの制度は異なる道徳的立場の存在をある程度尊重するようにデザインされている。誰かを傷つけたり深刻な危害を及ぼしたり、差別の対象にするのでないかぎり、道徳的意見の不一致は許容される。こうした理由から、正しい倫理が存在する可能性、複雑な道徳的問題や道徳的ジレンマにさえ客観的に正しい答えが見つかる可能性を否定するという過ちが起こりやすい。自分の倫理的価値観を他者に押しつけないことが民主主義的寛容さだという極論を支持する人も多い」
難解な用語を使わず書かれた本ですが、誤謬は誤謬とはっきり指摘しています。
「道徳的事実は存在する」——これが「新しい啓蒙」の革新的な主張です。この本は、冷笑主義や虚無主義への強力な反論となる一冊といえます。
「新しい啓蒙」のパンフレットです。
https://www.amazon.co.jp/Towards-New-Enlightenment-Future-oriented-Interventions/dp/3837665704
例えば、次のようなことが書いてあります(英文から機械翻訳+手直し)
「道徳的リアリズムとは、道徳的事実とは私たちが共有する人間性に由来する、単純に何をなすべきか、あるいは何をなすべきでないかという問いに対する真の答えである、という見解として理解することができる。したがって、私たちが共有する人間性の明確化は、倫理的洞察の決定的な源泉である」
「多くの道徳的事実は個人や集団にとって明白ではないため、このことは議論、特に異文化間の交流を促す。倫理学もまた、複雑な規範秩序の網の目の境界で生じる不確実性を扱っている」
「人文科学と社会科学は、道徳的事実の存在を否定するという虚無主義的あるいは相対主義的な過ちを犯すことなく、不確実性と社会の複雑性の完全な認識に対処する価値判断のための発見的方法を倫理学に提供する」
当方の感想として、これは英語圏の哲学に蔓延する「道徳的な不真面目さ」(※)に対する、強力な異議申し立てだと思います。
※ たとえば「トロッコ問題」を想起されたし。近年の「効果的な利他主義」をめぐるスキャンダルも材料となる。