「われわれの仮説が正しいのなら、父系共同体家族システムとその他のシステムとの間の接触前線は、時代とともに旧世界の中心部から周辺部へと移動して行ったはずだということになる。…
中国においては共同体と父系の原則が広がるのは、北西の果ての秦王国(現在の陝西省と甘粛省)に始まったようである。…秦の始皇帝の権力奪取は、平等主義的で権威主義的な新しい政治的イデオロギー——『法家イデオロギー』——の実践と妻方居住慣習の禁止がその特徴となっていた。秦の始皇帝以前の中国北部における直系家族システムの存在は、孔子思想により証明されるか、あるいは少なくとも推測される。この思想は、孔子の故郷である魯(現在の山東省南部、太平洋沿岸地域)に結びついているもののようで、次男以下の子供は長男に従い、子供は親に従い、妻は夫に従うことが規定されていた。それに長男と次男以下の対照は、最も旧い時代から中国語の語彙には存在していた。中国には兄弟を意味する一般的用語は存在しない。…[秦の焚書坑儒]後に儒教が復活した時、家族に関わる内容の不平等主義的様相は大部分抜きとられ、国家官僚制度の公式イデオロギーとなっていた」203-4頁
秦の儒教弾圧をこんな風に解釈するとは斬新だなあ!!
「当初の状況は異種混淆的であった
周辺的で孤立した圏域が保守的であるという原則に基づけば、革新が中心から広がる時、周辺部の状況は、革新以前の中心部の状況を反映していることになる。それ故に、現在の周辺地域の状況を観察することにより、われわれは父系共同体家族という革新以前に、旧世界の中心にあった家族システムの状況がどんなものであったかを想像することができる。異なる家族サイクル(直系家族、核家族など)が周辺に共存することから、中央部が共同体家族化される以前には、旧世界は家族構造の面では均一ではなかったことが分かる。したがって共同体家族という革新を同定したということは、すべての家族の歴史が発する起源の時点を把握したということにはならない。というのも核家族と直系家族というもっとも重要なサイクルの周辺空間への配置は、いかなる明瞭な規則性にも従っていないのである」203頁
「父親と妻帯の息子たちの同居、出身集団からの娘の排除、社会集団の定義における男の絶対的優位の断定、こうしたものが組合わされて、複合的で、ある意味では人工的な——いずれにせよ人間の本性から自然発生的・一般的に出てくるものではない——包括的構造が出来上がるのである。したがってこの家族型は数多くの民族によって創出されたものではないことが理解できる。父系共同体家族の成功は、それが旧大陸に大量に広がったことで証明済みだが、その理由はおそらく、平等主義的であると同時に権威主義的なこの家族組織モデルが、その担い手たちに軍事的優位を与えていることにある。『父親・息子・兄弟』からなる家族集団は、必然的に父系従兄弟にまで系統樹的に広がりを見せるが、そうなるとこれは一つの民族であり、軍事組織の萌芽である。集団を父系で決定することは、男の、そして征服を目指す戦士の秩序を生み出す。とはいえ軍事的征服のない父系共同体的特徴の伝播の可能性を先験的に排除することはできない」202頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/