新しいものを表示

「1 東南アジアは、もともと、未分化の親族システムと、近接居住ないし一時的同居を伴う双処居住親族システムを特徴としていた。いまでもフィリピンで観察されるシステムのような型のものである。
2 ヒンドゥーの父系原則の到来は、貴族階級における父系・父方居住の構造の構造の出現による、二元的家族文化の台頭を現出した。…バリ島で観察することができるものに近い、統合核家族と直系家族の間で揺れ動く、それほど明確ではない形態…これは貴族や王族の家系の動き方にぴったりと適応しているのである。
3 大陸とインドネシア諸島の民衆階級の中では、支配者の父系制は、母方居住反動を生み出した。それはたいていの場合、きわめて不完全なもので、末子相続の、一時的同居を伴う核家族システムの形成をもたらしたにすぎない。
4 ヒンドゥー教貴族社会の崩壊によって、父系の上部構造は消滅することになり、あとには民衆の母方居住原則が存続するばかりとなった。ただしそれは、カンボジアやミャンマーでは、その出現を引き起こした父系システムからする負の刺激がひとたび消滅してしまうと、弱体化することとなった」373-4頁

スレッドを表示

「インドから[東南アジアに]到来した父系原則は王国と貴族階級に及んだが、そのとき父系原則は、まだ第1レベルにしか達していなかった。つまり、女性による継承が時宜を得ているのなら、それを拒みはしないというものであった。…出現したばかりの頃、父系原則は過激化していなかった。もっぱら継承という観念に支配されており、男女間対称性や女性の劣等性の観念にはそれほど支配されていなかったのである。
…女性による継承が一定の割合であるとしても、それは母系規範を想定するものではないのであり、〈レベル1の父系制〉システムを定義するには、一定の割合の女性による継承が、男性による継承に追加される必要があるのである。
 社会構造の中層・下層になると、文化の輸入は、おそらく全く別の結果、分離的な否定反動という効果をもたらした。すなわち、もともとは未分化なシステムが母方居住に屈折したのである。母方居住の末子相続は、父方居住の長子相続の反転と考えることさえできる。外国からの影響の否定と社会的な分化は、ここでは同じ方向で作用したのである。
…長期的にはこの地帯全体を、明確な母系制に構造化し直すのではなく、時として薄弱な場合もある母方居住への方向付へと導くことになった」371頁

スレッドを表示

「すべての時代にわたって、[東南アジアへの]インドの影響は、程度の差はあれ、父系の側面を含んでいたはずである。男性長子相続を強調する『マヌ法典』は、東南アジアに到達している。
 いずれにせよ、父系原則が、バラモン僧、商人、冒険者たちによって運ばれて、東南アジアに達したことは確信することができる。しかし、それには軍事力の支援がなかった。父系原則は、インドから押し付けられたのではなく、言うならば、提案された威信ある文化システムの一要素として到来したのである。…
 入手可能な歴史資料は、父系原則は王侯や貴族階級によって適用されたが、住民の大部分はこれを適用しなかったことを、示唆している。〈外側のインド〉の諸社会の二重性、すなわち、ヒンドゥー化された貴族階級と昔からの風習を忠実に守り続ける住民集団という二重性、そしてとりわけその2言語性をつねに念頭に置いておかなければならない」368-9頁

スレッドを表示

「言語にせよ宗教にせよ、[東南アジアの]文化的にきわめて多様な空間の上に、『一時的母方同居と末子相続とを伴う核家族』という共通規範が、適用の度合いには差こそあれ、ともかくも優勢であるということをいかに説明するのか…家族構造の歴史としては中間的なこのレベルにおいて、一様な文化成層が見られることを、どのように説明したらよいのだろうか。
 この問いに対しては、1つの単純な答えしか存在しない。家族という点でこのように定義された地帯に、ある時点において対応したのは、ただ1つの明確に定義された空間、すなわち、共通紀元の始まりから小乗仏教およびイスラム教の導入までの間、この地帯で活動を続けたヒンドゥー文明の空間であった。一時的母方同居を伴う核家族の空間は、ジョルジュ・セデスが『外側のインド』と呼ぶもの、つまり、ヒンドゥー教の影響下で、東南アジアのうち、文字、宗教、国家、石の建築物の時代に平和的に参入したこの部分と一致しているのである。空間的な一致は、ほとんど疑いの余地を残さない。しかし。1つの逆説に立ち至る。文明化の要因たるインドは、その地域に影響力を行使したときに、レベルはさまざまに異なるにせよ、すでに父系化されていた、という逆説である」367-8頁

スレッドを表示

(承前)「新郎新婦に男性の家族の方か女性の方のどちらに居を構えるかを自由に選ばせる一方、夫の親族と妻の親族の間にいかなる呼称の差も設けない人類学的システムは、同質的とみなすことができる。それに対して、東南アジアの母方居住部分では、親族用語体系は未分化的であり、家族システム〔は母方志向であり、そ〕の方向性とは軽い矛盾状態にあるように見えるかもしれない。…
 フィリピン群島とボルネオ島で観察された、家族システムの双処居住性と親族用語体系の未分化性の間の良好な照応関係は、これまでにあまり進化しておらず、そのすべての諸要素が古代的(アルカイック)で、いまだに調和を保っている、そうしたシステムを喚起するのである」364頁

スレッドを表示

「〈起源的基底〉
 フィリピン、ボルネオ島北部、セレベス〔スラウェシ〕における、核家族システムと双処居住システムは、極限的な周縁部に位置することと、末子相続原則も含めて、明解な組織編成原則を持たないことから、われわれとしては、これらは最も太古のシステム、つまりわれわれのモデルによれば、人類の起源的な類型と考えられるものにきわめて近いシステムの残存であるとみなすことになる。
 この極限的周縁部では、家族構造と親族用語の間に素晴らしい照応を観察することができる。フィリピン諸島やボルネオ島、そして実を言えば東南アジアの残りのかなりの部分で見出されるのは、双方的ないし未分化的家族概念、すなわち男性の系統と女性の系統を区別することのない考え方を露呈する用語体系の絶対的な優位性である。このような用語体系としては、兄弟とイトコを区別する<エスキモー>型の用語体系と、それらを区別しない<ハワイ>型の用語体系のどちらかしかない。ユーラシアの最西端で行なわれるヨーロッパ的分類は、大抵はエスキモー型である」363頁→

スレッドを表示

「東南アジアにおいて末子の位置というものは、文化的に目立った要素であり、もちろんこの地域は、末子相続の一覧表作成にあたるフレイザーの注意を引いた。…末子相続は、つねに家族生活の父方ないし母方居住の方向性と組み合わさっているのである。末子相続は、一時的同居を伴う核家族システムにおける場合でも、〔父系か母系かの〕単系性の原則と不可分なのである。…男子であれ女子であれ子ども一般が継承するのだという場合には、男子であれ女子であれ[ママ]、一番下の子どもに特別の役割があるという考え方の出現につながることはない。ただし実際には、大抵の場合、こうした男女両性の末の子どもが、家と年老いた両親を引き取ることになるのであり、このメカニズムからは統計的な末子相続が生み出されることはあり得る」361頁

スレッドを表示

(承前)「私は、分析と現実の2つのレベルが存在することを強調した。複数の夫婦を連合させる稠密な家族形態は、特に共同体的家族形態は、一段上のレベルを知覚することを副次的なこととしてしまうが、このレベルは相変わらず存在している。しかし、国家的組織編成を持たない狩猟採集民なり焼畑農耕民の核家族の場合には、複数の家族を包含する集団を知覚することは不可欠である。これらの住民集団は、現代的な社会の枠組の中へ統合されたのが近年になってからであるため、流動的だがなくてはならないこうした現地親族集団の重要な痕跡が存続することとなったわけである」356-7頁

スレッドを表示

「この[東南アジアの]双処居住の地理的空間の中では、2つの類型が優越…1つは、本書で提示されたモデルに完全に合致する結果を示す近接居住を伴う核家族、もう1つは、非定型的な直系家族である。後者がモデルの観点から『正常』〔規範にかなったもの〕でないと言うことができるとすれば、それは双処居住のゆえに他ならない。
 『双処近接居住を伴う』家族とはいかなるものか。それは、男と女のどちらから始まっても構わない無差別的な親族のつながりによって集団の中に組み入れられた、純粋な核家族である。もっぱら世帯だけに関心を向けるなら、いかなる拡大も姿を現わすことなく、把握できるのは、両親と子どもを結び付けるだけの夫婦的形態という最も単純な家族形態のみである。それは、イングランドの絶対核家族あるいはパリ盆地の平等主義核家族に似ている。もちろんこの核家族は、『ロビンソン・クルーソー』の夫婦版よろしく、社会的空虚の中に存在するのではない。協力と相互扶助の集団の中に組み込まれているのであり、その集団なしには、生き延びることはできない」356頁→

スレッドを表示

「[東南アジアの]家族類型の総計の82%は、核家族のさまざまな変種が占めている。ここは、ユーラシアの最果てであり、このような結果は、核家族とは周縁部的・古代的(アルカイック)であるとする全般的な仮説と完全に一致する。…核家族の集住のさまざまなタイプ(一時的な同居、近接居住、統合)は、システムの方向性が父方居住か、母方居住か、単に双処居住かを定義するのである」338頁

スレッドを表示

「チモール島とモルッカ諸島から向こうには、家族システムにも農業実践にも、タロイモとパンノキに立脚する菜園耕作と森林管理の発明の自律的な極であるニューギニアの影が感じられる。きわめて大きく、比較的人口密度が高いこの島は、ユーラシアの父系革新とは無関係な独立の父系革新の場所…であった」332頁

スレッドを表示

「中国の場合と同様に、現地のモノグラフは、南インドでの唯一の絶対的な禁止は、父の兄弟の娘である父方平行イトコに関するものであるということを、明らかにしている。姉妹同士の子どもたちの間の婚姻は許容される」317頁

スレッドを表示

「キリスト教徒の存在はより古く、おそらく共通紀元4世紀まで遡る。この年代からすると、ケーララのキリスト教は、イスラム教より古いだけでなく、最終的に多数派宗教となったバラモン・ヒンドゥー教より古い宗教形態ということになる。キリスト教の人類学的意味は、エチオピアとローマの家族システムの検討の際に研究されることとなるが、今からすでに、この宗教は外婚制および核家族性とそもそも強い連合性を有するということは、頭に入れておかねばならない。ケーララでも他の場所と同様に、もともとの家族形態は双処居住核家族であったと仮定してみよう。ケーララでは、父系革新や母系革新のずっと以前から定着したキリスト教は、古い核家族システムにとって保護被膜の役割を果たしたと考えるのは、不可能ではない」314頁

スレッドを表示

「〈遊牧民の侵略と共同体家族への移行〉
 北インドにおいて直系家族から共同体家族へと至った歴史的シークエンスは、中国について記述されたそれと大いに類似している可能性がある。中国の場合には、不平等主義的縦型形態が、兄弟の地位の対称化によって平等主義的縦型形態へと移行した原因は、既存の直系家族構造の上に、父系遊牧民集団の対称性が上塗りされたことであった。同じ説明を、侵略に関しては中国に引けをとらないインドに適用できるのである。侵略は同様にほとんどが北西からやって来た」297頁

スレッドを表示

「〈古代の直系家族と初期のカースト〉
 私は先に、封建時代の中国に独特の階層序列的心性があったことを明らかにし、そのような心性が直系家族によって構造化された社会の大部分の中に姿を見せることを、示唆したものである。不平等原理は家族の中で作用するだけでは気が済まず、社会生活の全域で幅をきかすのである。そのため、身分と階級の多数の区別が生じることになる。…
 この古代インドの直系家族と最初のカースト制度との間には、関係があると考えられる」296頁

スレッドを表示

「〈最初の歴史的データ 共同体家族の前は直系家族〉
 インド亜大陸における家族類型の地理的分布を見ると、伝播現象の存在はほとんど疑いの余地を残さない。双方および核家族類型が周縁部に存在しているのは、古い基底の痕跡である。システムの中心部では父方居住共同体モデルが、父系原則と共同体家族原則の出発点たる革新地帯を代表している。伝播の中心が北西へとずれたところに位置しているのは、インドにおいては外部からの影響が重要であることを示している。…父方居住類型が、北西部では共同体家族、ヒマラヤでは直系家族、東部と南部では同居と近接居住を伴う核家族となる、その多様性」289-90頁

スレッドを表示

「地理的には、一妻多夫婚は、ヒマラヤ系直系家族の枠をはみ出して、重要な痕跡をあちこちに残している。インドのヒマラヤ山麓地帯の家族システムは、対称化され、平等主義的にして共同体家族的であっても、しばしば一妻多夫婚のメカニズムの痕跡を留めている。おそらく古代の直系家族形態の残存要素であろう。…
 同じ布置は、シッキムのレプチャ人の許に見出される。レプチャ人は、チベット・ビルマ語を話し、モンゴロイドの外貌をした民族で、ゴーラが研究している。彼らの許では、共同体家族が支配的だが、一妻多夫婚および兄の妻に対する性的使用権の痕跡が残されている。ここでもまた風俗慣習の自由は明白であり、配偶者の選択にあたって両親は一切介入しないこと、男性の童貞喪失に女性の方が積極的な役割を果たすことが、強調されている。兄弟が別居する際は、理論的には平等原則を尊重する財の分割の枠内で、家は長子のものとなる。実質的には直系家族にきわめて近いと言わざるを得ない。…一妻多夫婚はつねに直系家族を前提とするわけではない…ケーララとスリランカのような、〔直系家族とは無関係で〕長子相続の痕跡しか見出されない地域に、一妻多夫婚が姿を見せていることからすると、婚姻モデルにはある程度の自律性があるというのは明らかである」285頁

スレッドを表示

「中国と同様インドの場合にも、中心部は父方居住共同体家族で、そこから〔周縁部に向かって〕複合性の少ない形態へと環状に家族類型が分布していると注意喚起することができる。すなわち、南と東では一時的同居を伴う核家族、北では直系家族、そして、いくつかのマージナルな集団においては双方性の痕跡が残る、という具合に。その外側、島嶼では真の双方性を見出すことができる。時として端的に母系のこともある母方居住システムは、父系性と直接接触する一帯に見られる。とはいえ中国とインドの分布地図は正確に同じ様相を呈しているとは言えない。中国は、こう言ってよければ、それ自体が自らの中心であるのに対して、インドは、中心がより西方に位置する父系地帯の東の端となっているからである。インドの父方居住の極が北西地域であるのはこのためである。
 中国を分析した際に、直系家族の局面は、核家族と共同体家族の中間的局面であることを、われわれは突き止めた。インドの共同体家族空間の周縁部、特に北部に、直系家族形態が存在するということは、このような直系家族局面がインドにも存在したかもしれないという可能性を示唆している」283頁

スレッドを表示

「インドでは社会的、儀式的階層が上昇するにつれて世帯が複合化の度合いを増すということ、これは北部と南部に共通する特徴である。南部では、農民カーストからバラモンへと移ると、一時的父方同居を伴う核家族から共同体家族に移行する。北部では、共同体家族が、下層カーストにおいては、中層もしくは上層カーストにおけるように十分に機能していないことが確認される。…
 一時的父方居住もしくは近接居住を伴う核家族を扱う場合、父方居住率が90%を超えると、複数の夫婦家族のひじょうに強固な現地集住を必ず伴うことになるために、システムの核家族性は相対化されるということを、承知しておく必要がある」278頁

スレッドを表示
古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。