「構造的な一致と伝播
家族構造とイデオロギー・システムとの一致は絶対的であり、人類学的な分布図と政治学的な分布図が性格に重なることが示しているように必然的な関係であった。だが家族構造と文化的な成長の関係は、実際にはそれよりはるかに緊密性が少ない。
イデオロギーは夢や感情の領域のものである。平等と不平等、自由と専制といった理想は、頑強であり理屈で説明できるものではなく、地球上にはそれらの配置分布にしたがって厳格に分断され、互いに相いれない空間編成が創りだされているのである。それぞれの人類学的システムは、隣接するシステムとの交流を最小限に抑えながら自らの政治的価値を生きているのである。まさに家族構造と支配的なイデオロギー構造とが、実際上見事に一致する所以である」324頁→
「いかなる規則、いかなる論理とも関係なく地球上に散らばっているように見える諸家族構造の配置が示す地理的な一貫性の欠如は、それ自体ひとつの重要な結論なのである。この一貫性の欠如は、社会科学によって疑わしいものとして捉えられているが、遺伝学によって次第に認められてきたあるひとつの概念を想起させるものである。つまり偶然という概念を。家族システムとは、情緒的なものであり、理性の産物ではない。それはいくつもの小さな共同体のなかでなされた個人的な選択を経て何世紀も前に偶然に生まれ、次いで部族や民族の人口の増加とともに広がり、単純な慣性力によって維持されたものである。誕生した家族システムのすべてが生き延びるわけではなく、その多くが消滅したのである。…確定できない過去からやって来たこれらの人類学形態の集合は、20世紀に入って近代という理想にいたずらをしたのである。この人類学形態が、近代という理想を捉え、変形させ、各地域の潜在的な価値体系にそって畳み込んだのである」292頁
「遺伝学」や「選択」を吉川浩満的に誤解していると思ふ。また、種は「慣性力」により「維持」されるものではないし😅
「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである。しかし多様な形態を見ることができる家族それ自体は、いかなる必然性、論理、合理性によっても決定されてはいない。家族はひたすら多様なかたちで存在するのであり、数世紀あるいは数千年にわたって存続するのである。生物学的、社会的な再生産の単位である家族は、その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は歴史を通して、同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで、人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは、DNAーRNAの遺伝子サイクルのように、意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で、非理性的なメカニズムてあり、まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり、揺るぎないメカニズムなのである。しかもこのメカニズムは、それを取り巻く経済環境、エコロジー状況から全く独立しているのである。家族システムのほとんどの類型が、地形、気候、地質、経済の全く異なるいくつもの地域に同時に存在している」290-1頁
「父不在の世界?
アフリカにおける遺産の相続は、それが物であれ女性であれ、ヨーロッパやアジアの定住共同体において実行されている縦系列の相続の論理を取らない。相続は多くの場合、縦系列よりは横系列にそって行なわれる。遺産は父から息子へ受け継がれるよりもむしろ、兄から弟へと受け継がれるのである。この慣習は、アフリカで最も人口の集中した地域であるギニア湾の沿岸地方と内陸部の西アフリカにおいて殊に頻繁に行なわれている。
横系列にそった相続の仕組みは、イスラム法においても萌芽的なかたちで存在している。コーランによれば、兄弟たちも相続に預かることができるからである。それが西アフリカにおいては支配的な社会的慣習となっており、家族における重要な関係が父と息子の繋がりよりも、むしろ兄弟同士の関係であることを明確に示している。このような横系列の相続システムでは、親の権威に対する姿勢は曖昧で、その権威は弱い。多妻家族の構造は、それぞれ独立した複数の下部家族からなり——それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおり——親の権威を解体するかたちになっている。父親は遍在する存在だが、これは父親がどこにもいないことでもあるのだ。
この西アフリカの諸家族システムが奴隷売買によりアメリカに移植された」284頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/