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「家族の自動再生産
 イデオロギー・システムとは別に、人類学的システムは自動的に継続する。家族とは定義上、人と価値を再生産するメカニズムである。それぞれの世代は親たちと子供たち、兄と弟、兄(弟)と姉(妹)、姉と妹、夫と妻といった基本的な人間関係を定義する親たちの諸価値を、無意識のうちに深く内在化するのである。この再生産メカニズムま強みは、意識的てな言葉によるいかなる公理化も必要としないという点にある。このメカニズムは自動的にはたらき、論理以前のところで機能するのである。…
 実際には、家族の坩堝のなかで基礎となる価値が形づくられているために、それぞれの世代は思春期がやってくると社会空間のなかで支配的なイデオロギーを強制されたり教育されたりしなくとも再び発明することができるのである。そんな時そのイデオロギーは、当人たちの目には正当であるばかりか、なによりも自然なものと映るのである。
…平等は…経済的観念ではなく、ジャガイモの量と同様に感情領域にも適用可能な直観的な数学的観念なのだ」50-1頁

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「忘れられた兄弟
 精神分析的な議論の大きな弱点は、ただひとつの不変的な家族構造しか存在しないという前提に立っているため、唯一の家族構造が一体どのようにして人間の想像力からこれほど異なる特徴をもつ様々なイデオロギーを生み出すことができるのかを説明できないという点にある。…
 フロイトとその継承者たちは、縦の関係——父と息子、父と娘、母と娘——と同じ程度に無意識の領野を定義する兄(弟)たちと姉(妹)たちの関係を特に無視する道を選んだ。なぜだろうか。これは単純に、精神分析の思想が誕生した人類学的な場所であるドイツの家族システムが、兄弟姉妹の連帯という理念に敵対的だったからである。…平等と兄弟の相互扶助の理想が支配的である他の地域—— ロシア、中国、そして殊にイスラムの地——では、対抗性を持つ精神システムを捉えることができずにフロイトの思想は上滑りするのである」49頁

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「フランス革命の原理を悪魔的なものと認識するとともに、その原理を否定する異なる家族構造の存在に気が付いたフレデリック・ル=プレではあったが、政治が社会を創るのでありその逆ではないとする革命哲学の大いなる幻想にやがて屈するのである。彼は改革者たちの意識的な行動が家族構造を変えることができると考えた。彼は民法が遺産を解体し、父の権力を根底からくつがえし、共同体家族と権威主義家族(彼の用語では家長制家族と直系家族)を破壊すると批判した。彼は遺産を分割しない反平等主義的原理の再建を提案した。家族の研究に一生を捧げたこの人物は、家族制度の堅固さを信じなかった。彼は家族が本質的に可塑的なものと考えており、もっとも重要な基礎となる社会学的現象とは認識していなかったのである。
 ル=プレは家族関係上の概念と政治的イデオロギーや宗教的イデオロギーの概念の間に反映的な関係があることを感じていた。しかし暗黙のうちに彼はイデオロギーを現実の現象と見なし、家族をその忠実だが脆いイメージと考えていた」48頁

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「イングランドで観察されたこの家族モデル[タイプ1]をどう処理していいのか分からなかったル=プレは、それを直系家族——権威主義で不平等主義——の退化した類型と見なした。彼は当時の時代思想にきわめて適合した進化論的性格を自分のモデルに導入したのだが、それがかえって先駆的な彼の構造主義の力と独自性を弱めるものとなった。
 しかし自由主義の2つのタイプ、ル=プレの慣例に従えば『不安定』家族の2つのモデル、もしくは現代の社会学の用語では<核家族型>とされる2つの異なる家族類型が存在することは、演繹と観察によって明らかにすることができる」44-5頁

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「[ル=プレにおいては]父親と息子たちとの関係が自由あるいは自由の否定を定義するのである。そして兄弟たちの関係が平等あるいは不平等の理念を定義するのである。
 <自由>。仮に子供が結婚後も親たちとともに生活を続け、拡張された家族集団のなかで縦の繋がりを形成しているとすれば、その子は家族関係の権威主義的なモデルのひとつに適応しているのである。逆に、仮に子供が思春期を終えたところで結婚というかたちで独立した家族を築くために元の家を出るとしたら、彼は、個人の独立を重んじる自由主義的なモデルを実行していることになる。
 <平等>。相続は2つのやり方で行なわれ得る。仮に親の財産が分割されるようであれば、その相続は兄弟間の平等な関係を示している。だがもし相続のシステムが財産の分割不可能性を前提にし、ひとりを残してその他が相続から排除されるとしたら、その相続は不平等理念を受け入れていることになる。
…家族システムは次のような4つのタイプであり得るのだ。
——自由主義で不平等主義(タイプ1)。
——自由主義で平等主義(タイプ2)。
——権威主義で不平等主義(タイプ3)。
——権威主義で平等主義(タイプ4)。
 ところが、ル=プレの類型学ではタイプ234だけが採用されているのである」42-3頁

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(承前)「このような解釈は、父権制の段階に先行する母権制の存在についての強力で、ときには逸脱した考察である『母権制』のなかで、1861年にバッハオーフェンによって開かれた古典的な人類学上の論争につながるものである。私が、ローラン・サガールとともに行なったこの分析は、他の多くの研究がすでに示唆しているように、かなり古いある時代に、女性に与えられていた高い地位(しかしバッハオーフェンが考えていたような支配的な地位ではない)が低下するという経験をしたという仮説の信憑性を確認するものとなっている。このような解釈は、個人主義的な核家族と近代とを結びつける古典的な社会学諸理論に馴染んでいる人々には驚愕すべき認識に至りつくことになる。中心部における変化として発生した共同体型家族の伝播という仮説は、核家族の諸類型を、反対に、原初的なものとして定義するにいたるのである。
 共同体型家族システムの起源に関するこの『伝播理論』による仮説は、哲学的には極めて私の好むところのものである。なぜならば、それは家族の類型によって分断されている<人類の一体性を回復するもの>だからである」26-7頁

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「ローラン・サガールは、私の家族システムの類型の地図が、偶然できた配置などではなく、類型の起源とその論理についての何か単純で明解なものを表している、ということを私に気付かせてくれたのだ。『辺境地域の保存特性』という言語学的な原則が、東ヨーロッパからベトナムに至り、またモンゴルからアラブ世界に及ぶ——内婚制であれ外婚制であれ——『ひと続き』になっている共同体型地帯の存在を説明してくれるのである。さらには、この共同体型地帯の両端に存在するドイツや日本の直系型の地域、またその辺境地域に、イギリスやフィリピンの核家族型が存在するという配置を説明してくれるのである。このような配置は、ひとつの同質システムのなかに或る時点で生起した新しい形式が、その中心的な地域を基点にして広がり始めたあと、別の時点ではまだそれがそのシステムの辺境地域には到達していないという状態を想起するものである、というのだ。…共同体家族の諸類型は、そのほとんどのケースが父親と結婚した息子たちを集団の組織の中核に据える父権制の構造物である。したがって共同体型の伝播は、父権原理と男性優位の伝播をも意味しているのである」26頁→

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「私は、(『第三惑星』出版)当時の文脈で悪意の決定論とされたこの家族構造によるイデオロギーの解明を提示しただけでなく、その決定作用を油の上に浮かんだ浮島のようなものとして位置付けたのだった。家族の諸類型の地理的な散らばり方は偶然のものであり、環境や歴史とは何の関係もないものだと主張したのだった」25頁

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「宗教システムはある程度はイデオロギー的なものであり、それ自体が家族構造に内在する諸価値を反映しているものだが、別の次元では進歩のリズムを大きく決定する独立したひとつの変数でもあるのだ。…『新ヨーロッパ大全』は、様々な社会の人類学上の三極構造を、はるかに微妙な差異を浮かび上がらせるかたちで定義している。その三極構造は、家族構造にそって構成されながらも、農業システムと密接な関わりをもち、宗教的なシステムとの絶え間ない相互作用のなかで構成されるのである」25頁

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「[アラン]マクファーレンは、『イギリスの個人主義の起源』によって、家族の核家族型の性格とイギリス人の性質としての個人主義の間に関係性を見出していたのであった」22頁

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「無意識という観念に基づいているという点でかなり精神分析と類似しているこの人類学モデルは、精神分析がそうであるように人間の自由についてのより合理的でより有用な理解の仕方に行きつくだろう。…この人類学的仮説は、個人相互の関係に関わる唯一のシステムを設定した古典的な精神分析の認識に、イデオロギー的な性格の多様性を説明できる唯一のものとして家族構造の多様性という観念を追加しているのである」21-2頁

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「フツ族とツチ族の家族構造は、ドイツ人とユダヤ人がそうであるように、直系家族で不平等主義であり、それは、この国[ルワンダ]の農村地帯の優れた稠密性が示しているように社会的な効率性を実現することを可能にする特質を持っていると同時に、人種差別的になりかねない差異に対する強迫観念をも持っていることを意味しているのだ」20頁

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「心的な母型がそこに在り、それは進歩によって消し去られることなく、開祖の時代から引き継がれ、経済のさまざまな変容をくぐり抜けてきているのである。…しかし哲学的には、人類学システムが永続してしまうことを私は残念に思っているのである」19頁

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「新たな歴史的な文脈のなかで、共同体型の価値は、逆に資本主義社会、あるいは伝統的にリベラリズムの社会と今日もなお懸け離れたこれらの国々[ロシア、中国、セルビア]の再編の行方に様々な困難をすでに創り出しているのではないだろうか。コミュニズムからの離脱が単純に進んでいるところは、人類学的基底が核家族型であるポーランドや直系型であったチェコのように、コミュニズムが押しつけられたものであった国々に限られているようである。その他の地域では、共同体家族の直接的な拡張形態である集団やマフィアが数多く台頭し、ナショナリズムの全体主義的な諸形態が隆盛を極めている一方で、経済機構の方は競争原理による市場とは正反対の、脱貨幣化により近づいている様相を呈している。現在では、人類学的な多様性は、都市化と伝統的な農村家族の消滅にもかかわらず生き延びるものだと私は考えている」18頁

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「今日では、マジャール人の家族構造が、単純に外婚制の共同体家族だとは考えてはいない。中央ヨーロッパの直系型と東ヨーロッパの共同体型が接する境界線であるこの地域には、人類学的な形態のかなり複雑な混合型が存在するのだ。しかし、共産主義に対してハンガリーが結んできた関係そのものが両義的であったことを考慮に入れれば、この変更が解釈上の問題によるものではないことを理解することができるだろう。なぜならこの国は、半世紀足らずの間に、1919年の共産主義革命と、1956年の反共産主義革命を経験した唯一の国だからである。『新ヨーロッパ大全』では、ベルギー、ライン河流域、ヴェネチア地方の特徴を描くために、不完全な直系型という概念を導入して、直系家族の描写にニュアンスをつけている」16頁

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Todd, Emmanuel. (1999=2008) La diversité du monde, Seuil. 荻野文隆訳『世界の多様性——家族構造と近代性』藤原書店

「こうしたかくも単純な構造が、かくも長い間観察者の目から逃れていたのは何故であろうか。おそらく家族のサイクルが、文化的・経済的発展水準にあまり対応していないからである。特に核家族サイクルと直系家族サイクルは、まことに無差別的に、きわめて発展した集団の特徴でもあり得るし、きわめて原始的な集団の特徴でもあり得る。伝播のモデルを完全にその一般性において把握する…
 それはまた、おそらく言語学者および方言学者によって練り上げられた地図解釈の技術が、他の分野に採用されなかったことにもよる。…周辺部および孤立した地域における保守性という原則は、一般的原則であり、言語学以外の多数の領域に適用されうるものなのである」206-7頁

系統樹的思考へのアンチテーゼ…おもろいなあ。トッドちゃんの本筋の議論よりも遥かにおもろい😅

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「研究領域を地球全体に広げてみれば、共同体的家族形態の出現がどれほど容易ならざることであるかを正確に評価することが可能となろう。アメリカ大陸とオーストラリア大陸においては、インディアンとアボリジニという、ヨーロッパによる征服『以前の』住民の間では、核家族サイクルが完全に優位を占めている。しかし純粋な共同体家族がこの地に、外部からの影響も伝播もなしに自然発生的に出現することは決してないということを確認するのは、数百の集団を対象として、検証をずっと先にまで推し進めた場合にのみ可能であろう。調査をサハラ砂漠南部のアフリカにまで拡大してみると、概念の調整の問題が出てくるだろうが、これは家族の発展サイクルという概念そのものを変更させる一夫多妻制が全域にわたって存在するからである。とはいえ、父系相続の極めて多数の形態、さらにそれ以上に多くの夫方居住の形態が、共同体家族の存在を暗示しているが、これはブラックアフリカ北部が広くイスラム化されているから、アラブの共同体家族に連続するものであろう。こうした研究を突きつめれば、おそらくわれわれが提示した伝播モデルがこのアフリカにまで拡大されることになるだろうし、家族の歴史という面ではアフリカは旧世界に属していることをおそらく明らかに示すことになるであろう」206頁

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「[バッハオーフェン以外にも]多くの民族学者たちは、父系制の原則は、自然のものでも原初的なものでもなく、構築されたものであると予感していた。最も明瞭な例は、ロベール・ローウィの例であると思われる。彼はまさしく中央アジアと東アジアに興味を持ち、女性が劣るという、反女権的観念の伝播が進行しつつある地域の存在に気づいていた。この観念はキルギス人にあっては完璧なまでに明瞭に認められ、北東部の古シベリア人にあっては微弱なものであった…。ローウィはこのように中心と周辺という体系の一端を把握していたが、このモデルが旧世界全域にわたって機能し得るところまでは見えていなかった」206頁

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「エジプトから、現在共同体家族化されている地域の中心の方、チグリス・ユーフラテス川の方へ戻ると、保存された最も古い資料が変化の痕跡をすでに明らかにしている。ハムラビ…の法典では、兄弟の平等と相続からの娘の排除が認められるが、同じく新しい夫婦はその世帯を創設しなければならないことも記されている、と指摘する注釈者もいる…。この2つの規則が組合わされば、父系核家族サイクルが成立することになるが…これよりも少し北のアッシリアでは、これよりもかなり後の紀元前12世紀末頃に、本物の共同体家族が存在した可能性がある。アッシリアの法律には、兄弟間の遺産共有という状況がかなり頻繁に暗示されているからである。しかし最初に生まれた男児に2倍の取り分があることから、実質的な長子権が感知され得る…。それ故に父系共同体家族とそれ以外の家族との接触前線は、中国であろうと近東であろうと、古代から現代までの間に中央部から周辺へ移動したと思われるのである」205頁

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Fedibird

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