Todd, Emmanuel. (1999=2008) La diversité du monde, Seuil. 荻野文隆訳『世界の多様性——家族構造と近代性』藤原書店

「今日では、マジャール人の家族構造が、単純に外婚制の共同体家族だとは考えてはいない。中央ヨーロッパの直系型と東ヨーロッパの共同体型が接する境界線であるこの地域には、人類学的な形態のかなり複雑な混合型が存在するのだ。しかし、共産主義に対してハンガリーが結んできた関係そのものが両義的であったことを考慮に入れれば、この変更が解釈上の問題によるものではないことを理解することができるだろう。なぜならこの国は、半世紀足らずの間に、1919年の共産主義革命と、1956年の反共産主義革命を経験した唯一の国だからである。『新ヨーロッパ大全』では、ベルギー、ライン河流域、ヴェネチア地方の特徴を描くために、不完全な直系型という概念を導入して、直系家族の描写にニュアンスをつけている」16頁

「新たな歴史的な文脈のなかで、共同体型の価値は、逆に資本主義社会、あるいは伝統的にリベラリズムの社会と今日もなお懸け離れたこれらの国々[ロシア、中国、セルビア]の再編の行方に様々な困難をすでに創り出しているのではないだろうか。コミュニズムからの離脱が単純に進んでいるところは、人類学的基底が核家族型であるポーランドや直系型であったチェコのように、コミュニズムが押しつけられたものであった国々に限られているようである。その他の地域では、共同体家族の直接的な拡張形態である集団やマフィアが数多く台頭し、ナショナリズムの全体主義的な諸形態が隆盛を極めている一方で、経済機構の方は競争原理による市場とは正反対の、脱貨幣化により近づいている様相を呈している。現在では、人類学的な多様性は、都市化と伝統的な農村家族の消滅にもかかわらず生き延びるものだと私は考えている」18頁

「心的な母型がそこに在り、それは進歩によって消し去られることなく、開祖の時代から引き継がれ、経済のさまざまな変容をくぐり抜けてきているのである。…しかし哲学的には、人類学システムが永続してしまうことを私は残念に思っているのである」19頁

「フツ族とツチ族の家族構造は、ドイツ人とユダヤ人がそうであるように、直系家族で不平等主義であり、それは、この国[ルワンダ]の農村地帯の優れた稠密性が示しているように社会的な効率性を実現することを可能にする特質を持っていると同時に、人種差別的になりかねない差異に対する強迫観念をも持っていることを意味しているのだ」20頁

「無意識という観念に基づいているという点でかなり精神分析と類似しているこの人類学モデルは、精神分析がそうであるように人間の自由についてのより合理的でより有用な理解の仕方に行きつくだろう。…この人類学的仮説は、個人相互の関係に関わる唯一のシステムを設定した古典的な精神分析の認識に、イデオロギー的な性格の多様性を説明できる唯一のものとして家族構造の多様性という観念を追加しているのである」21-2頁

「[アラン]マクファーレンは、『イギリスの個人主義の起源』によって、家族の核家族型の性格とイギリス人の性質としての個人主義の間に関係性を見出していたのであった」22頁

「宗教システムはある程度はイデオロギー的なものであり、それ自体が家族構造に内在する諸価値を反映しているものだが、別の次元では進歩のリズムを大きく決定する独立したひとつの変数でもあるのだ。…『新ヨーロッパ大全』は、様々な社会の人類学上の三極構造を、はるかに微妙な差異を浮かび上がらせるかたちで定義している。その三極構造は、家族構造にそって構成されながらも、農業システムと密接な関わりをもち、宗教的なシステムとの絶え間ない相互作用のなかで構成されるのである」25頁

「私は、(『第三惑星』出版)当時の文脈で悪意の決定論とされたこの家族構造によるイデオロギーの解明を提示しただけでなく、その決定作用を油の上に浮かんだ浮島のようなものとして位置付けたのだった。家族の諸類型の地理的な散らばり方は偶然のものであり、環境や歴史とは何の関係もないものだと主張したのだった」25頁

「ローラン・サガールは、私の家族システムの類型の地図が、偶然できた配置などではなく、類型の起源とその論理についての何か単純で明解なものを表している、ということを私に気付かせてくれたのだ。『辺境地域の保存特性』という言語学的な原則が、東ヨーロッパからベトナムに至り、またモンゴルからアラブ世界に及ぶ——内婚制であれ外婚制であれ——『ひと続き』になっている共同体型地帯の存在を説明してくれるのである。さらには、この共同体型地帯の両端に存在するドイツや日本の直系型の地域、またその辺境地域に、イギリスやフィリピンの核家族型が存在するという配置を説明してくれるのである。このような配置は、ひとつの同質システムのなかに或る時点で生起した新しい形式が、その中心的な地域を基点にして広がり始めたあと、別の時点ではまだそれがそのシステムの辺境地域には到達していないという状態を想起するものである、というのだ。…共同体家族の諸類型は、そのほとんどのケースが父親と結婚した息子たちを集団の組織の中核に据える父権制の構造物である。したがって共同体型の伝播は、父権原理と男性優位の伝播をも意味しているのである」26頁→

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(承前)「このような解釈は、父権制の段階に先行する母権制の存在についての強力で、ときには逸脱した考察である『母権制』のなかで、1861年にバッハオーフェンによって開かれた古典的な人類学上の論争につながるものである。私が、ローラン・サガールとともに行なったこの分析は、他の多くの研究がすでに示唆しているように、かなり古いある時代に、女性に与えられていた高い地位(しかしバッハオーフェンが考えていたような支配的な地位ではない)が低下するという経験をしたという仮説の信憑性を確認するものとなっている。このような解釈は、個人主義的な核家族と近代とを結びつける古典的な社会学諸理論に馴染んでいる人々には驚愕すべき認識に至りつくことになる。中心部における変化として発生した共同体型家族の伝播という仮説は、核家族の諸類型を、反対に、原初的なものとして定義するにいたるのである。
 共同体型家族システムの起源に関するこの『伝播理論』による仮説は、哲学的には極めて私の好むところのものである。なぜならば、それは家族の類型によって分断されている<人類の一体性を回復するもの>だからである」26-7頁

「[ル=プレにおいては]父親と息子たちとの関係が自由あるいは自由の否定を定義するのである。そして兄弟たちの関係が平等あるいは不平等の理念を定義するのである。
 <自由>。仮に子供が結婚後も親たちとともに生活を続け、拡張された家族集団のなかで縦の繋がりを形成しているとすれば、その子は家族関係の権威主義的なモデルのひとつに適応しているのである。逆に、仮に子供が思春期を終えたところで結婚というかたちで独立した家族を築くために元の家を出るとしたら、彼は、個人の独立を重んじる自由主義的なモデルを実行していることになる。
 <平等>。相続は2つのやり方で行なわれ得る。仮に親の財産が分割されるようであれば、その相続は兄弟間の平等な関係を示している。だがもし相続のシステムが財産の分割不可能性を前提にし、ひとりを残してその他が相続から排除されるとしたら、その相続は不平等理念を受け入れていることになる。
…家族システムは次のような4つのタイプであり得るのだ。
——自由主義で不平等主義(タイプ1)。
——自由主義で平等主義(タイプ2)。
——権威主義で不平等主義(タイプ3)。
——権威主義で平等主義(タイプ4)。
 ところが、ル=プレの類型学ではタイプ234だけが採用されているのである」42-3頁

「イングランドで観察されたこの家族モデル[タイプ1]をどう処理していいのか分からなかったル=プレは、それを直系家族——権威主義で不平等主義——の退化した類型と見なした。彼は当時の時代思想にきわめて適合した進化論的性格を自分のモデルに導入したのだが、それがかえって先駆的な彼の構造主義の力と独自性を弱めるものとなった。
 しかし自由主義の2つのタイプ、ル=プレの慣例に従えば『不安定』家族の2つのモデル、もしくは現代の社会学の用語では<核家族型>とされる2つの異なる家族類型が存在することは、演繹と観察によって明らかにすることができる」44-5頁

「フランス革命の原理を悪魔的なものと認識するとともに、その原理を否定する異なる家族構造の存在に気が付いたフレデリック・ル=プレではあったが、政治が社会を創るのでありその逆ではないとする革命哲学の大いなる幻想にやがて屈するのである。彼は改革者たちの意識的な行動が家族構造を変えることができると考えた。彼は民法が遺産を解体し、父の権力を根底からくつがえし、共同体家族と権威主義家族(彼の用語では家長制家族と直系家族)を破壊すると批判した。彼は遺産を分割しない反平等主義的原理の再建を提案した。家族の研究に一生を捧げたこの人物は、家族制度の堅固さを信じなかった。彼は家族が本質的に可塑的なものと考えており、もっとも重要な基礎となる社会学的現象とは認識していなかったのである。
 ル=プレは家族関係上の概念と政治的イデオロギーや宗教的イデオロギーの概念の間に反映的な関係があることを感じていた。しかし暗黙のうちに彼はイデオロギーを現実の現象と見なし、家族をその忠実だが脆いイメージと考えていた」48頁

「忘れられた兄弟
 精神分析的な議論の大きな弱点は、ただひとつの不変的な家族構造しか存在しないという前提に立っているため、唯一の家族構造が一体どのようにして人間の想像力からこれほど異なる特徴をもつ様々なイデオロギーを生み出すことができるのかを説明できないという点にある。…
 フロイトとその継承者たちは、縦の関係——父と息子、父と娘、母と娘——と同じ程度に無意識の領野を定義する兄(弟)たちと姉(妹)たちの関係を特に無視する道を選んだ。なぜだろうか。これは単純に、精神分析の思想が誕生した人類学的な場所であるドイツの家族システムが、兄弟姉妹の連帯という理念に敵対的だったからである。…平等と兄弟の相互扶助の理想が支配的である他の地域—— ロシア、中国、そして殊にイスラムの地——では、対抗性を持つ精神システムを捉えることができずにフロイトの思想は上滑りするのである」49頁

「家族の自動再生産
 イデオロギー・システムとは別に、人類学的システムは自動的に継続する。家族とは定義上、人と価値を再生産するメカニズムである。それぞれの世代は親たちと子供たち、兄と弟、兄(弟)と姉(妹)、姉と妹、夫と妻といった基本的な人間関係を定義する親たちの諸価値を、無意識のうちに深く内在化するのである。この再生産メカニズムま強みは、意識的てな言葉によるいかなる公理化も必要としないという点にある。このメカニズムは自動的にはたらき、論理以前のところで機能するのである。…
 実際には、家族の坩堝のなかで基礎となる価値が形づくられているために、それぞれの世代は思春期がやってくると社会空間のなかで支配的なイデオロギーを強制されたり教育されたりしなくとも再び発明することができるのである。そんな時そのイデオロギーは、当人たちの目には正当であるばかりか、なによりも自然なものと映るのである。
…平等は…経済的観念ではなく、ジャガイモの量と同様に感情領域にも適用可能な直観的な数学的観念なのだ」50-1頁

「トックヴィルの誤謬
…民主化をこの2つの要素——<大衆化>と<個人主義的平等主義>——に分解してみると、前者だけが普遍的なものであることに気づくことができる」53頁

「ル=プレのモデルを元に定義することができる4つの家族類型[絶対核家族、平等主義家族、権威主義家族、共同体家族]のいずれかがヨーロッパの各列強の支配的な類型であり、この大陸の各大国が類型的な可能性のいずれかを体現してきたことは人類学上の偶然によるのである」54頁

「イデオロギーの領野は、どこでも家族システムを知的な形式に転写したものであり、基礎的な人間関係を統御している根本的な価値——例えば、自由、平等、そしてその反対物——を社会的レベルに転換したものである。各家族タイプには、ひとつのイデオロギーだけが対応している。
…定義された家族形態のそれぞれには、イデオロギー・システムはひとつだけ対応し、そのイデオロギー・システムが、世界中で他の家族形態が支配的である地域では確認されていないこと(数学用語では家族タイプの集合が政治的タイプの集合と<1対1対応>していること)…
 補足的な制約条件として、所定の人類学タイプが内包する家族形態の二次的な変種には、対応するイデオロギー・タイプが内包する政治的もしくは宗教的形態の二次的な変種が対応していなければならない」56-7頁

「ル=プレの家族タイプの全てが外婚制規制の緩和によって同じように影響されるわけではない。
 ——共同体家族は、近新婚のタブーが弱まると、<内婚制共同体家族>と<非対称型共同体家族>という2つの新たなタイプを生み出す。
 ——権威主義家族は外婚制規制の緩和によって根本的な変化を受けない。したがって近新婚のタブーが弱まっても『外婚制』権威主義国家と根本的に異なるタイプは産出しない。
 ——絶対核家族と平等主義核家族は、近新婚の禁止の弱まりによって同じ方向への変容を被る。それは無規則的な核家族として定義できる<アノミー家族>というひとつのモデルを生み出す」61頁

「父方イトコ同士の結婚が行なわれている家族システムでは、実際には交叉イトコ同士の結婚もまた非常に頻繁に行なわれている。これはまったく当然のことである。兄弟の連帯とは、兄弟姉妹の集団全体の連帯の一側面に過ぎない。アングロ・サクソンの人類学者だったら、これを中性的な集団として表すシブリングス〔siblings〕という用語を当てることで満足することだろう」62頁

「この家族モデル[交叉イトコ婚]は、外婚制共同体家族と内婚制共同体家族の中間態である。内婚制的志向と外婚制的志向が組み合わさっている。とはいえこれらも、先の2つの家族モデルのように、兄弟と姉妹の連帯というテーマの一変種である。この交叉イトコ同士の選好婚は共同体家族集団にしか呼応しないものである。イデオロギー的なレベルでカースト・システムほ生み出すのはこの家族タイプである」63頁

「理論的に不可能な母方平行イトコ同士の結婚の場合…実のところ、家族の理想が母系原理に統御された拡大集団、つまり兄弟の連帯ではなくむしろ姉妹の連帯によって統括された拡大集団を家族の理想とするような定住農民社会は存在しない。唯一ふたりの姉妹とその伴侶からなる家族集団だけが、母方平行イトコ同士の選好婚を生み出すものとなるはずである。だがそのようなシステムは、近親相姦の禁止という原理よりも実際にはるかに普遍的な男性優位の原理と矛盾するのである。この男性優位の原理はその発現の仕方と強度に差があり、近親相姦の禁止ほどには人類学者たちの注目を集めなかったのである」63-4頁

「核家族と近親相姦の禁止の緩和——アノミー型
 近親相姦への恐怖が和らぐと、核家族は別用に徹底した結果を獲得するようになる。両親と子供たちの分離という理想の上に築かれた核家族は、結婚による血族の分離という原則が緩むと構造体として耐えることができない。
 実は外婚制規制というのは核家族が拠って立つ目に見えない無意識的な土台なのである。ふたりの兄弟の子供たちの結婚を禁止しているのも、彼らの分離の原則を論理的に補足するものなのである。…
…<構造の不在>そのものがひとつの特殊なタイプの構造となったのである。私はこの不規則な核家族モデルを、エミール・デュルケームへの賛辞をこめて<アノミー家族>と呼ぶ。
 このタイプが存在するということは、核家族のヨーロッパ・モデルをよく理解するためにきわめて重要である。ヨーロッパ・モデルの方は人類学的には統御は弱くない。核家族が実現するためには、特に外婚制という明確な人類学的規範が厳格に適用される必要があるのだ」65頁

「アフリカ——家族集団の不安定性
…家族集団の歴史は、ここでは他の地域のようにいくつかの重要な節目——誕生、結婚、他界——に要約できない。無数のアフリカ・モデルのなかでは、人々は子供たちも、女たちも、男たちもひとつの人生のなかで、論理的には家族とは呼ぶことができないいくつもの家族形態を倦むことなく作っては解体する循環のなかにいるのである。基本的な人間関係のこのような流動性の象徴が結婚なのだが、アフリカではその根本的な構造的特徴が夫と妻の絆の脆弱さにある。
…ブラック・アフリカでは一夫多妻は規範であり、統計上しっかりと実現されているひとつの理想なのである。その結果として出現するのが離婚であり、その頻度は世界の他の地域では未知の水準に達している。
…アフリカでは一夫多妻と離婚が規範なのである。…その多くが明確に外婚制であり、近新婚の禁止を遵守している。…
 しかしながらアフリカは<ひとつ>の家族タイプではなく、複数の個人の相互関係の不安定性という新しい基準によって産出される複数のタイプの<総体>なのである。したがって私は不安定なシステムという言い方をすることにしよう。家族という用語は安定した家族グループに取っておくことにする」67-8頁

「内婚制と外婚制の間にある亀裂は、自由と平等に影響を及ぼさずにはおかない。結婚上の選択は、相続の規則、同居の規則と同じ程度に、権威の観念や正義の観念を定義するものである。ル=プレの概念化は、自由と服従、平等と不平等という二重の二分法に依拠している。そこに近親相姦の禁止を考慮に入れれば、もしや単に2つのレベルの自由ではなく、4つのケースを識別することができるようになるとともに、より広いカテゴリーのなかで平等の観念を対称性として捉えることができるのである」69頁

「配偶者の選択プロセスは4つのタイプ(2つではない)の自由(あるいは不自由)を定義しており、それとともに7つの家族が存在するのである。
 この4つのタイプの広がりのなかでは、ル=プレの諸類型は中間的な状態に相当する。BタイプとCタイプの婚姻の選択が、西欧の自由主義と権威主義の教義をイデオロギー的な反映として持つことになる。このように整理することでイングランドとフランスの伝統から引き継いだ自由についての古典的な政治学の定義がもつヨーロッパ中心主義を免れることができるのである」70-1頁

「家族構造は、また言語集団とも一致しない。…明白で検証可能な唯一の一致は家族とイデオロギーのそれであるが、家族とイデオロギーというのはひとつの価値システムの2つの異なる表現レベルにそれぞれ相当するものである。この価値システムが、それぞれ人間関係と社会関係において自由と対称性の理念を定義し、組織しているのである」73・75頁

「共産主義はまず特定の人類学的構造[外婚制共同体家族]によって産出され、次いでその躍進は壁にぶつかり止まった。それ以降の歴史は軍事的なものである。赤軍によって共産主義が外から強制されたところでは、人類学的組成が常に激しく反発し、しばしば奇妙な反応をみせた。いくつもの折衷的な政治形態が出現した。…これらの変異のひとつひとつが共産主義の移植に対する拒絶の現象であり、家族的土壌の性質に応じてその形態は変化したのである。ポーランドでは平等主機的家族、北朝鮮では権威主義家族、アフガニスタンでは内婚制共同体家族、カンボジアではアノミー家族の土壌に移植が行なわれたのである」75-6頁

ここの説明はかなり苦しいように思うなあ

「外婚制共同体家族の特徴
——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
——結婚している息子たちと両親の同居。
——しかしふたりの兄弟の子供同士の結婚はない。」78頁

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