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「現在共同体家族となっている地域の西部に位置するエジプトに目を転じ、時代を過去に遡ると、古代エジプト文明全域に核家族の発展サイクルを容易に見つけることができる…。また父系親族と母系親族との間の均衡が認められるが、王朝中期には若干母系に傾いたように思われる。それに古代エジプトの全期間を通じて、さらに古代ローマ帝国末まで、兄弟姉妹間の婚姻が多数存在するのであるから、家庭集団のいかなる父系的組織形態も先験的に排除されることになる。こうしたことからエジプトの場合には、共同体化と父系化をアラブ化の過程に結びつけることができることが示唆される」204頁

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「われわれの仮説が正しいのなら、父系共同体家族システムとその他のシステムとの間の接触前線は、時代とともに旧世界の中心部から周辺部へと移動して行ったはずだということになる。…
 中国においては共同体と父系の原則が広がるのは、北西の果ての秦王国(現在の陝西省と甘粛省)に始まったようである。…秦の始皇帝の権力奪取は、平等主義的で権威主義的な新しい政治的イデオロギー——『法家イデオロギー』——の実践と妻方居住慣習の禁止がその特徴となっていた。秦の始皇帝以前の中国北部における直系家族システムの存在は、孔子思想により証明されるか、あるいは少なくとも推測される。この思想は、孔子の故郷である魯(現在の山東省南部、太平洋沿岸地域)に結びついているもののようで、次男以下の子供は長男に従い、子供は親に従い、妻は夫に従うことが規定されていた。それに長男と次男以下の対照は、最も旧い時代から中国語の語彙には存在していた。中国には兄弟を意味する一般的用語は存在しない。…[秦の焚書坑儒]後に儒教が復活した時、家族に関わる内容の不平等主義的様相は大部分抜きとられ、国家官僚制度の公式イデオロギーとなっていた」203-4頁

秦の儒教弾圧をこんな風に解釈するとは斬新だなあ!!

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「当初の状況は異種混淆的であった
 周辺的で孤立した圏域が保守的であるという原則に基づけば、革新が中心から広がる時、周辺部の状況は、革新以前の中心部の状況を反映していることになる。それ故に、現在の周辺地域の状況を観察することにより、われわれは父系共同体家族という革新以前に、旧世界の中心にあった家族システムの状況がどんなものであったかを想像することができる。異なる家族サイクル(直系家族、核家族など)が周辺に共存することから、中央部が共同体家族化される以前には、旧世界は家族構造の面では均一ではなかったことが分かる。したがって共同体家族という革新を同定したということは、すべての家族の歴史が発する起源の時点を把握したということにはならない。というのも核家族と直系家族というもっとも重要なサイクルの周辺空間への配置は、いかなる明瞭な規則性にも従っていないのである」203頁

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「父親と妻帯の息子たちの同居、出身集団からの娘の排除、社会集団の定義における男の絶対的優位の断定、こうしたものが組合わされて、複合的で、ある意味では人工的な——いずれにせよ人間の本性から自然発生的・一般的に出てくるものではない——包括的構造が出来上がるのである。したがってこの家族型は数多くの民族によって創出されたものではないことが理解できる。父系共同体家族の成功は、それが旧大陸に大量に広がったことで証明済みだが、その理由はおそらく、平等主義的であると同時に権威主義的なこの家族組織モデルが、その担い手たちに軍事的優位を与えていることにある。『父親・息子・兄弟』からなる家族集団は、必然的に父系従兄弟にまで系統樹的に広がりを見せるが、そうなるとこれは一つの民族であり、軍事組織の萌芽である。集団を父系で決定することは、男の、そして征服を目指す戦士の秩序を生み出す。とはいえ軍事的征服のない父系共同体的特徴の伝播の可能性を先験的に排除することはできない」202頁

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「父系の<主要共同体家族サイクル>は、ユーラシア大陸の中心付近のある点に位置する1つあるいは複数の人間集団が<創出>したものと考えられる。この創出は…旧世界の集団の半数を少し下回る(207のうち90)集団に最終的に及んだということになるが、共同体化された住民集団の現実の人口を計算に入れるならば、半分以上の人口に及んだということになる。何しろ中国、北部インドおよびロシアを含むのだから」201頁

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「地図の解釈に、周辺地域が保守的であるという[言語学の]原則を適用する。そうすると父系共同体家族である特徴Bは、革新であり、旧世界の主要な地域に広がったが、まだ周辺部に達していない、ということになる。共同体家族ではないA地域すべてが周辺地域であるかあるいは孤立しているという事実は、この命題の確率が極めて高いことを明らかに示している」200頁

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「<父系共同体家族>の発展サイクルは総数90であり、つまり全体の43%にあたる。<父系核家族>サイクルは総数23、すなわち全体の11%、<核家族サイクル>は総数58、すなわち全体の28%、<直系家族>サイクルは総数31、つまり全体の15%、<母系共同体家族>サイクルは総数5、つまり全体の2%となっている」187頁

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「跡取りでない者は色々な形で排除されるが、正式のものであれ潜在的なものであれ直系家族というものは、地球の至るところで傭兵を産出する傾向があることを改めて指摘することができる」182頁

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「分布図の中央を占める共同体家族は、周辺地域の家族システムよりも新しいシステムであるという結論が導き出されたのである」178頁

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Sagart, Laurent, and Emmanuel Todd.(1992=2001) “Une hypothèse sur l'origine du système familial communautaire,” Diogène, No.160. 石崎晴己・東松秀雄訳「新人類史序説——共同体家族システムの起源」177-209頁

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速水「[トッドは]かの有名なヘイナルの唱えた『レニングラード—トリエステを結ぶ線以東は共同体家族』という命題に、日本と韓国は直系家族社会であるという修正を加えながらも、ロシア・中国におけるコミュニズムの温床をその他の共同体家族に求めている」175頁

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速水「私は、日本自身をもろもろの民族的集団からなる小ヨーロッパと考えています。そのなかでの人口・家族パターンの多様性ということになると、単に一国のなかでのニュアンスの違い以上のものがあるように思うのです。しかし、その多様性を越えて、直系家族が基本型であり、家族サイクルの推移のなかで、核家族や合同家族が地域によっては現れる確率が高い、と捉えています」169頁

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速水「南米などにいっている移民も西南日本からが圧倒的に多い。…末子相続は中央から西南日本。東の端っこは信州諏訪です」168頁

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速水「中央日本は結婚年齢は遅く、世代間間隔が広いので、ライフ・サイクルの上で核家族型世帯の出現率が最も高くなっています。西南日本も同様ですが、共同家族形態をとる場合が多く、兄弟や傍系の親族が同居している場合が多いのです」166頁

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速水「東北では早く結婚するが、しかし子供の数は少ない。中央部は比較的遅い結婚で、子供の数は多い。それから南西部はやや他と違っていて、遅く結婚するけれども、結婚以外の子供を産むことは平気。だからいわゆる私生児の数が多い。…そのように、それぞれ異なる性質をもった3つのグループが日本にいて…それが明治民法で統一される時に、なぜあまり抵抗なくうまく統一されたのかが、まだ解けない謎です」165頁

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Todd, Emmanuel and 速水融「対談 家族構成からみた新しい『日本』像」145-76頁

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「私[トッド]は社会の変化に関しては保守的でして、それぞれの社会には固有の文化があり安定したシステムがあり、社会の変化はわれわれが想像するよりはるかに緩慢であると考える立場です」138頁

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「私[トッド]のモデルが示そうとしたことは、フランス革命であれ、ロシア革命であれ、イスラムであれ、普遍主義のイデオロギーはみな、実は平等主義的な人類学システムに根差している、つまり一定の領域性を持つ人類学システムと普遍主義的平等主義の信仰のあいだにはごく特殊な決定論的関係がある、したがって普遍主義は普遍ではなく、ごく特殊な現象なのだ、ということです。…
…私のモデルの特徴は、フランスの普遍主義を人類学的特殊性に還元し、差異主義を人類学的普遍性に還元していることです」136頁

ジョシュア・グリーン的だなあ…偏狭な考えの方が人類にとって普遍的であると

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「直系家族というのは、相続する個人が家族のなかにとどまるとともに、次男以下が排除されることで、社会のなかに移動性を生み出すものだ…ロシアの共同体家族と大きく異なるのが、この個人の移動性なのです」126頁

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「ロシアの人口学的な推移が、識字化されることによって出生率が低下するという西欧人の平均的なパターンを示していたことから、ロシア人たちも普通の人間で、同じように変化していくのだという判断を下すことができたのです」124頁

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