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棚瀬孝雄「機能分析と行為分析——法システムから見たパーソンズ」17-33頁

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「パーソンズの…近代主義的な緩やかな公共哲学は1960年代後半の進化論的枠組みの明示的な採用においてアメリカ社会の解釈学と結びついてくる」8頁

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盛山和夫「公共哲学としてのパーソンズ社会学」3-16頁

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「生物学は、社会学者になる前のパーソンズにとって関心の対象であり、このことが『行為理論と人間の条件』の中で『自然』を社会システム理論に取り入れる前提をなした」iii

「関心の対象」どころか、もともとの専攻ですよね

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富永健一・徳安彰編著(2004)『パーソンズ・ルネッサンスへの招待——タルコット・パーソンズ生誕百年を記念して』勁草書房

ルネサンスではなく「ルネッサンス」という、レトロな響きがいいですねえ😅

「より一般的にいって、死には、『つぎの世代のために『場所をゆずる』』という意義がある。『こんにち死は、個体の犠牲をとおして、種の柔軟な適応力を高める重要なメカニズムであると理解されている』。つまり『死は、新しく出現した遺伝的パターンの保持者が、古いパターンの保持者に急速にとってかわる』ことを可能にするいう意味で、『生命の進化的向上にたいする重要な貢献』である。『文化的成長や柔軟性という点で、死はより決定的に重要な貢献とさえ考えられる』」332頁

晩年のパーソンズ、小林武彦みたいなこと言うたはる😅(もちろん誤り)

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「彼[最晩年のパーソンズ]は、アカデミーが組織した『人間の多様性にんするセミナー』のメムバーでもあった。ここで彼は、エルンスト・マイア(生物学、ハーヴァード大学)やエドワード・ウィルソン(社会生物学、ハーヴァード大学)をはじめとする、遺伝学・人間生物学・医学などを専門とする第一級の研究者と、共同討議をつづけている。
 このような努力が、人間の条件パラダイムを生みだしたのである」327頁

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「『人間の条件』パラダイム…
…行為体系の適応機能を主としてになう下位体系が、『行動有機体』から『行動体系』に修正されていることにも、注意を喚起しておきたい。消化器系統や呼吸器系統、血液の循環、骨格・筋肉などの人間有機体システムは、言語やシンボルを中心として組織されている行為体系からのぞかれて、『人間有機体システム』という行為の条件のひとつを構成する、と考えられるにいたったからである。
 このような修正を可能にしたのは、リッツ兄弟のピアジェ研究の成果である。…行動体系は、パーソナリティ体系を支え、その基礎となっていると考えられるべきであり、同時にそれは、人間有機体システムの生理的構造そのものとも区別されるべきであるという」322-3頁

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「パーソンズの眼にうつったアメリカ社会は、長期的な文明史的観点からすれば、『よりいっそうキリスト教的価値に一致した』社会であり、『地上における神の王国』に近づきつつある社会にほかならない。この確信こそは、歴史を進歩=進化と把握する、彼の『新進化論』をささえている確信であった」273頁

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「パーソンズは、人類史を、人間の自由と平等の拡大課程として、したがって『市民社会』実現への長期的な努力の過程として、総括する。つまり人類史は、ロング・ランにみれば、『地上における神の王国』建設にむかう、明確な方向性をもった過程として、『進化』=進歩の過程として、把握することができるというのである。パーソンズが、批判の多い『進化論』という視角をあえて打ちだした根拠は、まさしくここにあったと見ることができる」260頁

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「パーソンズは、多様な発展を包括する『進化』という考えかたが有用である、と主張する。文化相対主義におちいらないためにも、体系的な比較を可能とするためにも、『進化』という観点が重要であるというのである。そのさい進化ないし進歩は、4つの局面からなると考えられる。(1) 分化、(2) 適応能力の上昇、(3) 包摂、(4) 価値の普遍化の4局面が、それである。彼はしばしばこれを、『進化的(進歩的)変動の図式』と呼んでいる。…
 以上のような進化的変動の4局面が、適応的上昇=A(適応)、分化=G(目標達成)、包摂=I(統合)、価値の普遍化=L(潜在的なパターンの維持)と、AGIL図式を基礎としていることに、読者はすでに気づいているかもしれない。この4局面をとおして展開する進化は、新たなレヴェルの適応能力をつくりだし、それは文明史という観点からみれば、『累積的』で、『不可逆的過程』であると考えられる」256-7頁

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「パーソンズは1960年代中葉以降、『進化』という観点を前面に打ちだすにいたる。歴史的変動はランダムに起こるものではなく、それは『進歩』=『進化』という<方向性>をもつものと考えられる。むろんそれは、『より古い19世紀的な単線的進化という考え』と同じではなく、また短期的な過程と想定することもできない。…歴史過程は、『枝をもつ木』とみなすべきである。一本の幹から多くの枝をのばしつつ、木それ自体も高く成長しつづけるというイメージは、多様な過程を包みこみつつ発展するありかたを示している。
 文化は短期的な変動というよりもむしろ、長期的な『進化』過程を通じて変動するという意味で、有機体の『遺伝子』と『機能的類似性』をもつとみることができる。これは、生物学者アルフレット・エマーソンの『遺伝子』と『シンボル』との並行関係という認識にヒントをえたものであるが、同じく生物学者のエルンスト・マイアの『自然淘汰』概念も重要である。マイアによれば、『自然淘汰とは、遺伝[子]型genetypeの異なった生存能力を規定する過程である』…
 このような認識を社会的・文化的な生存能力に適用するならば、文化的伝統は遺伝[子]型に、文化を体現した多様な社会制度は表現型にあたる、と考えられる」254-5頁

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「アマーストの学生時代に生物学を学んでいた私[パーソンズ]は、『その分野で、進化という観念がまさしく中心となっていたために、有機体の分野と同様に社会的・文化的分野についても、進化という観念を支持する傾向から出発した』。だが『同時に、私の初期の知的成熟は、文化の相対性という考えを支持し、進化論的思想に反対する重要な反動と一致していた』。『ホブハウス=ギンズバーグ型の進化論的思想は、最も広範に攻撃されたもののひとつてせあり、概して私は、こうした批判に同調する傾向をもった』。しかしながら後年、私は『ますます積極的に、進化思想に関心をよせる』にいたった」253頁

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「行為の下位体系は、サイバネティックス的なコントロールのヒエラルヒーをなしている。サイバネティックス関係とは、エネルギーが大きく情報量の小さなシステムが、エネルギーが小さく情報量の大きなシステムによってコントロールされる関係を意味する。…サイバネティックス的関係からみるならば、最もエネルギーが小さく情報量の多いものから順に、『究極的リアリティ』(=神)→文化体系→社会体系→パーソナリティ体系→行動体系→物理的-有機体的環境というコントロールのヒエラルヒーが想定される」250頁

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「『社会科学——基礎的な国民的資源』
…『あらゆる科学は基本的に一つの統一体であり』、自然科学と社会科学とのあいだに、明確な境界線をひくことは不可能である」193頁

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(承前)「パーソンズにとって、『このような経験が、精神分析理論とそれがとりあつかう諸現象とについて、理解を深めること』に結果したことは、いうまでもない。だがそれは同時に、『人間の諸問題をとりあつかう精神分析的レヴェルへの過度の関心から、私自身を引き離す結果となった。それゆえこれは、フロイトを最初に読んだ効果と私の初期の医療研究とを、矯正する力を持った』」174頁

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「パーソンズ、クラックホーン、マレー、オルポートらを結びつけたものが、精神分析学とフロイトへの関心であった…われわれはこうした関連において、パーソンズが、1946年から『ボストン精神分析研究所』で、正規に精神分析の訓練をうけたことに注目しておきたいと思う。…彼は、両親・義父・兄のあいつぎ死去による精神的痛手から、個人的に精神医療の助けを求める必要を感じていたという。
…彼の訓練分析家となったのは、グリート・ビブリングである。彼女は、ナチスのオーストリア占領によって亡命を余儀なくされるまで、ウィーンにとどまっていた人物で、フロイト・サークルの最初のメムバーのひとりである。パーソンズは、ビブリングの指導をうけることができたことについて、『非常に幸運であった』と記している。パーソンズは講義・セミナー・臨床セミナーなどを通じて、5年間継続して訓練を受け、1951年春に、正規に訓練を終了した。その結果彼は、医師資格をもっていないにもかかわらず、『ボストン精神分析協会』の準会員に選出され、生涯を通して、精神分析家の訓練のための講義を、担当しつづけることになる」173-4頁→

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「パーソンズは1974年に『35年後の回想』を口述したさい、この[シュッツとの]争点を、カント的立場と現象学的立場との対立として、説明している。…『私はいまなお、カント的観点とよぶことのできるものを、変わらない確信をもって支持している』」154頁

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シュッツへの書簡——「『私は、現象学的分析に懐疑的であると、告白しなければならない』。『私の見地からすれば、客観的視点と主観的視点とのあいだにあなたがひいているアンチ・テーゼは、非現実的である。『純粋に』主観的観点をあらわすような一群の知識や科学的に有意味な経験などというものは、ありえない。主観的現象は、観察者によって記述され分析されるものとしてのみ、意味をもつ』と考えるほかはない」153頁

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