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高城和義(1992)『パーソンズとアメリカ知識社会』岩波書店

「パーソンズ家は、純粋度の高い『アメリカ型資本主義』の担い手である、『ヤンキー・マーチャントの系譜』に立つということもできる」10頁

「[父]エドワードは、キリスト教社会主義に非常に近い、左派の立場に立っている」15頁

タルコット「父は広い学問的関心をもち、チャールズ・ダーウィンの理論をうけいれ、科学を宗教の補完物とみなしていた」23頁

「アリゾナ州の砂漠で砂にはまって動けなくなった車を、[高校生の]タルコットが一人で持ちあげて脱出させた…6フィートもある丸太をひとたちのもとに割った」😅 30頁

「子供のころから、虫をつかまえたり小さなサメ(dogfish)を解剖するのがすきだったタルコットは、[アマースト]大学に入学するや、生物学を専攻した。…兄チャールズの影響もあって、将来生物学の大学院にすすむか、医師になろうと考えていたからである。…生物学を主専攻としたタルコットは、優秀な成績をあげ、アマーストの奨学金をえて、海洋生物の研究をすすめるため、マサチューセッツ南東部の海岸都市ファルマスFalmouthにあるウッズ・ホール研究所(Woods Hole Laboratory)にかよって、実験にせいをだした。同時に彼は、『生物進化』のコースの実験助手も務めることとなった」36-7頁

タルコット「私たちは彼ら[ハミルトンやエイルズ]から、経済的社会的秩序というものは、逃れえない自然法の問題ではなく、人間の調整arrangementの問題であり、それゆえ、人間のコントロールにしたがうものであるという観点を学んだ」38頁

「ピートという愛称でよばれていたパーソンズは、キャンパスにおいて、社会主義者のリーダーとして登場していたのである」41頁

「後年彼[タルコット]は、生物学研究の新しい展開をフォローしうる力をもったことは幸いであった、と回想している」44頁

「彼[タルコット]の[生物学から]本格的な社会科学への転身は、大学卒業後に延期されることになった。とはいえ彼は、4年生のときに、ドイツ人マンスィ=ゾーン教授のドイツ哲学と、スコットランド人ブラウン教授のカント『純粋理性批判』のゼミとを履修している。カントのゼミは、6人だけの少人数で英語版を読んだものであるが、のちに彼が、カントの影響は学生時代以来のものであるとのべているのは、この学習の結果である」44頁

「パーソンズによれば、マクドゥーガルは人間行動を、本能から説明する。だが人間の心を、恐怖・愛・嫉妬などに明確かつ固定的に区分することは、不可能である。さらに『古い心理学者』は、『習慣』のもつ重要な役割を看過している。人間は、この地上にあらわれた瞬間から、周囲にいる他の人間の行動に影響されながら行動する。それゆえ『すべての精神過程の位置は単一の場所、つまり脳にあるとする古い考えを、すてさらなければならない…われわれは人間行動の科学の比較的最近の局面を、まさしく精神分析学のなかにもっている』」46頁

「パーソンズは、精神分析学が示しているように、『複合体に組織されている行動という考えかた』が重要であり、『それは、行為と思考との習慣』の表現である、と主張する。『習慣はいったん形成されるや、それを破壊したりあるいは大きく修正することさえ困難となる』。それゆえ『『本能的』反応という最も一般的な傾向』は、『過去からわれわれに課せられている習慣によって、大きく修正される』とみなければならない。
 『習慣の重要性との関連で、精神分析学は——私は非常に正しいと思うのだが——、幼児におよぼす影響の巨大な意義を強調している』。幼児は『最も可塑性に富む状態にある』ので、『非常に強力な外部の影響に直接さらされて』成長する。こどもは身のまわりにいる人々の行為を『模倣』することによって、話すこと、歩くこと、その他いっさいの生活方法を『まったく考えなしに採用する』。こうして人間は、『不可避的に社会集団の成員となる』。それゆえ『人間行為の特殊な様式を決定する最も重要な要因は、影響力をかたちづくっている習慣である』、と考えることができる」46-7頁→

(承前)「われわれはこのような議論から、まず第1に、パーソンズの精神分析学への関心が学生時代にまでさかのぼることのできるものであったことに気づく。ただしフロイトについては、『性を非常に強調している』点で、『われわれの目的には重要でない』としていることも、のちの彼のフロイト評価との関連で記憶にとどめておきたいと思う。同時に、こどもの社会化にかんする議論が展開されていることにも、注目しておかなければならない。後年の理論展開が、学生時代の関心に端を発しているとみることができるからである」47頁

「『[文化の]収斂理論は、生物の進化における生物発生法則とよばれるものと、緊密に関連している』。後者は、単細胞からの生物学的発展の途上にある個体が、原生的状態からその種が通過してきた諸段階を、実際に再現すると仮定するものである。これに対応する人類学的仮説は、すべての文化が文化的進化の同一の諸段階を通過すると想定する。この場合異なった文化間の差異は、進化過程の異なった段階のそれとして説明されることになる。『生物学においてこうした考えは、非常に一般的な意味でのみ、真理と認められているだけであり』、具体的にはさまざまの変異がしられている。これと同様に文化的進化についても、『非常に広いアウトラインとしてのみ』、諸段階の継起的発展を認めることができるにすぎないと、考えなければならない」49頁

「パーソンズは第1レポート[1922年]の最後に、文化に影響を与えるそのほかの2つの要因について、さらに検討をくわえている。その第1は、『地理的状況や気候などの、完全に外的な影響』であり、第2の要因は、『遺伝と人種的差異という、非常に論争的な問題』である。この2つの要因はいずれも、人間の主体性に制約をくわえる所与的要因と理解することができるが、パーソンズは、この2つの要因を『規定因』とみなすことに強く反対する。第1の地理的要因が文化に影響を与えることはいうまでもないが、しかしながら人間は動物に比して、『環境条件に適応するより大きな力』をもっている。…
 パーソンズによれば、第2の『遺伝と人種的差異』にかんしても、同様に考えることができる。とくに『遺伝と人種的差異』にかかわる『現代の遺伝学は、非常に新しいもので、むしろ萌芽状態にある』ことを忘れてはならない。したがって『これまでのところ、そのうえに理論を基礎づけうるような明確な証拠は、ほとんどない』。メンデルの遺伝法則にしても、『最も単純なかたちで染色体の遺伝図式』を示すにとどまっている。人間にそれを適用しうるのは、色盲などの非常にかぎられた現象についてのみである。精神薄弱といった現象を、そこから説明することは困難である」51頁→

(承前)「こうしてパーソンズは、心理学者ゴッダードの有名な『カリカク家』の研究に、批判的に言及する。ゴッダードは、カリカク家に精神薄弱と犯罪が多発していることを根拠にして、『犯罪への傾向は明らかに遺伝的である』と結論づけている。だがパーソンズによれば、パーソナリティの一般的弱さや混乱傾向が遺伝的であったとしても、『犯罪や売春の直接の原因は、社会的条件に求めなければならない』。しかもこうした議論が一般化され、特定人種の優劣にまで拡大されるとすれば、ことは重大である。『この問題は、こんにち最も激しい議論の主題となっており、それゆえ二重に注意深いアプローチを必要とする』。
 この論点についてパーソンズは、そもそも人種間の『優劣を判断しうるなんらかの信頼しうる基準を見いだすこと』は、困難であると主張する。むしろ人種間の優劣を論ずる議論は、ウォルター・リップマンがのべているように、恣意的な判断であり、偏見をともなったものであるとみなければならない。『白人人種が黒人人種よりも優れているとか、適応能力が大きいということさえ、証明することはできない』。このような先入見は、非常に重要な結果を生みだすこととなろう」51-2頁

「[モーレス・社会構造の]3つの構造的部分[技術・制度・儀礼]は、現実には『すべてあい関連し、織りなされている』。『ちょうど哺乳類の体において。循環システム・神経システム・消化システムのいずれも、それじたいでは意義をもたないにもかかわらず、それらを区別することができるのと同じように、われわれは社会構造の3つの主要な側面をとりだすことができる』」54頁

「彼[パーソンズ、1923年]は、『モーレスの進化過程』の検討にのりだす。そのさい、『進化論の進化』という観点が強くうちだされていることにも、留意しておかなければならない。進化論という理論図式そのものも、進化すると考えられ、思想史的アプローチが示されているからてある。
 パーソンズによれば、『中世においてモーレスは、大多数の人々に疑問なく受けいれられていた』。それが拒否される場合でも、『モーレスが継続的に変化する』とは考えられていなかった。『進化論的観点』と『それを倫理的・道徳的行動に適用することとは、19世紀後半の生物学におけるダーウィン主義運動と、明確に結合している』。だが『ここ5年ほどのあいだの、この問題にかんする最良の文献にあらわれている思想は、40年ないし50年前のそれとは、かなり異なっている』。『進化論の進化』を考察しなければならないゆえんであるという」57-8頁→

(承前)「『初期の進化論の顕著な特徴』は、『いわゆる進化を、あらかじめ運命の定められた1つの方向への継続的な漸進的変動と想定する』ところにある。それは『単純なものから複雑なものへ、アメーバーから人間への変動過程』であり、『ほとんどつねに強力な人種の発展』に終わるとされていた。『だがこうした命題は、問題をあまりにもひどく単純化しすぎた誤りであると思われる』。それは『経験的事実というよりもむしろ、感情的偏見に適合的な』、『モーレス』の結果であるとみなければならない。
 近年の生物学研究、とりわけ遺伝学においては、『ドグマ的な主張は非常に少なくなり、多くは試論的な仮説となっている』。すなわち『多少とも不規則な期間に、明確に理解されていない方法で、むしろ急激な変化ないし突然変異があらわれる傾向』を強調する。この突然変異によって発生した種のうちどれが生き残るかは、それが発生した環境条件に依存すると考えられる。したがって単線的進化という図式は成立しえない。そもそもダーウィンは、ドグマを排して『驚くべき量の証拠を蓄積した』。『ダーウィンの名がドグマ的な単線的進化論と結びつけられたのは、大部分彼の信奉者の責任である』。『ダーウィン主義は、思想がモーレスによっていかに歪められるかの典型的事例をなしている』」58頁→

(承前)「こうしてパーソンズは、単線的進化論の典型としてモーガンの『古代社会』をとりあげ。これに強い批判を投げかけることになる。…
…特定の指標だけをとってその文化全体の段階を設定することは、妥当でないと思われる。人間の『知性』と『文化変容』の役割を考えるならば、生物進化と文化的進化とのあまりにも密接なアナロジーは危険である。パーソンズは同じような観点から、さらにヘンリー・メーンやホブハウス、デューイ=タフツの『倫理学』にみられる単線的段階論を批判している」58-9頁

「若きパーソンズにとって、ハミルトンとエイルズとの2人の師をとおして修得した『制度派経済学は、まさしく私の出発点となった』ものである。『制度派経済学』という名称自体、ハミルトンの命名によるといわれている。ヴェブレンを祖とする制度派経済学は、やがてミッチェルのもとで数量化への傾斜を強め、『統計的経験主義』にゆきつく。『統計的経験主義は、重要な貢献をおこない、私の関心ともある程度の関連をもってはいたが、私に理論形成上の主要な関心を与えたのは、より初期の形態の制度派経済学であった』。のちにパーソンズは、こう記している」60-1頁

「パーソンズの学生時代の2つのレポートに示された発想と問題関心とは、実に長い研鑽の過程をへて、60歳をすぎてから、彼の『新進化論』として結実するにいたる。まことに一貫した、息の長い営みであるといわざるをえない」62頁

「文化の『累積的進化』という若きパーソンズの考えからすれば、文化の部分的『没落』はありえても、文化<全体>の『没落』や堕落は考えられないことになる。それだけにウェーバーやシュペングラーのペシミズムは、パーソンズに強烈な違和感をのこし、晩年にいたるまで脳裏にやきつく結果となったとみることができる」74頁

「ヘンダーソンの主催する『パレート・セミナー』にも、ふれておかなければならない。ヘンダーソンは、ハーヴァード・メディカル・スクールを卒業し、母校の教授として、生理学・生化学・生物学・物理化学・科学史などの広範な領域の研究を推進した、高名な自然科学者である。彼は、同僚の生理学者キャノンのホメオスタシス——すなわち、生物有機体が体内の安定性を維持しようとするメカニズム——の研究に、強い関心をもっていた。…
 このセミナーを通じて、1930年代のハーヴァードでは、『パレート崇拝』といわれるほどパレートが流行した。このセミナーの影響を最も強くうけたのは、当時大学院にはいったばかりのホーマンズである」88-9頁

「ソローキンはギリシャ正教徒として、中世カトリシズムに高い評価をおき、プロテスタンティズムをキリスト教の世俗化した『崩壊』過程に位置するもの、とみなしていた」104-5頁

その後の西欧社会の世俗化の急速な進行を見ると、あながち間違いでもないような😅

「彼[パーソンズ]はヨーロッパの4人の理論家[パレート、マーシャル、デュルケーム、ヴェーバー]にくわえて、徐々にフロイトやアメリカの社会学者ミード、トーマス、クーリー、人類学のマリノウスキー、ラドクリフ=ブラウン、クローバー、クラックホーン、ダヴィド=シュナイダー、クリフォード・ギアーツ、エヴァンズ=プリチャード、ファース、エドマンド・グラックマン、心理学のピアジェ、さらにはサイバネティックスや近年の分子生物学をも、この[主意主義的行為理論への]収斂にくわえることができる、と考えるにいたる」114頁

「[ブリントンへの反論の中で]『社会学はいまや、理論的成熟の段階に到達した』ということができる。こう指摘してパーソンズは、そのことを示す事例として、(1) 機能主義人類学、(2) シカゴ学派を中心とする都市社会学、(3) 精神分析学的研究、の展開をあげる」122頁

「この時期[1935〜6年]にフロイトと本格的にとりくんだのは、『ホーソン実験』で有名な精神分析学者エルトン・メイヨーの勧めにしたがった結果である」125頁
fedibird.com/@9w9w9w9/10940542 [参照]

「1939年から40年にかけて執筆された『行為者・状況・規範的パターン』…
 初期の『目的ー手段図式』からの脱却をはかったのは、行為の非合理的側面や感情的側面に充分な光をあてる概念枠組みが求められたからであった。こうした関心が、ファシズム運動や反ユダヤ主義の宣伝などについての、第二次大戦期の関心と緊密に結びついたものであることを、この論文は示している」144-5頁

「パーソンズは、ヴェブレンや制度派経済学を、『反主知主義的経験主義』とか、『実証主義的制度主義』と位置づけるのである。これらは彼の眼からするならば、『主意主義的行為理論』の対極に立つものであった」148頁

シュッツへの書簡——「『私は、現象学的分析に懐疑的であると、告白しなければならない』。『私の見地からすれば、客観的視点と主観的視点とのあいだにあなたがひいているアンチ・テーゼは、非現実的である。『純粋に』主観的観点をあらわすような一群の知識や科学的に有意味な経験などというものは、ありえない。主観的現象は、観察者によって記述され分析されるものとしてのみ、意味をもつ』と考えるほかはない」153頁

「パーソンズは1974年に『35年後の回想』を口述したさい、この[シュッツとの]争点を、カント的立場と現象学的立場との対立として、説明している。…『私はいまなお、カント的観点とよぶことのできるものを、変わらない確信をもって支持している』」154頁

「パーソンズ、クラックホーン、マレー、オルポートらを結びつけたものが、精神分析学とフロイトへの関心であった…われわれはこうした関連において、パーソンズが、1946年から『ボストン精神分析研究所』で、正規に精神分析の訓練をうけたことに注目しておきたいと思う。…彼は、両親・義父・兄のあいつぎ死去による精神的痛手から、個人的に精神医療の助けを求める必要を感じていたという。
…彼の訓練分析家となったのは、グリート・ビブリングである。彼女は、ナチスのオーストリア占領によって亡命を余儀なくされるまで、ウィーンにとどまっていた人物で、フロイト・サークルの最初のメムバーのひとりである。パーソンズは、ビブリングの指導をうけることができたことについて、『非常に幸運であった』と記している。パーソンズは講義・セミナー・臨床セミナーなどを通じて、5年間継続して訓練を受け、1951年春に、正規に訓練を終了した。その結果彼は、医師資格をもっていないにもかかわらず、『ボストン精神分析協会』の準会員に選出され、生涯を通して、精神分析家の訓練のための講義を、担当しつづけることになる」173-4頁→

(承前)「パーソンズにとって、『このような経験が、精神分析理論とそれがとりあつかう諸現象とについて、理解を深めること』に結果したことは、いうまでもない。だがそれは同時に、『人間の諸問題をとりあつかう精神分析的レヴェルへの過度の関心から、私自身を引き離す結果となった。それゆえこれは、フロイトを最初に読んだ効果と私の初期の医療研究とを、矯正する力を持った』」174頁

「『社会科学——基礎的な国民的資源』
…『あらゆる科学は基本的に一つの統一体であり』、自然科学と社会科学とのあいだに、明確な境界線をひくことは不可能である」193頁

「行為の下位体系は、サイバネティックス的なコントロールのヒエラルヒーをなしている。サイバネティックス関係とは、エネルギーが大きく情報量の小さなシステムが、エネルギーが小さく情報量の大きなシステムによってコントロールされる関係を意味する。…サイバネティックス的関係からみるならば、最もエネルギーが小さく情報量の多いものから順に、『究極的リアリティ』(=神)→文化体系→社会体系→パーソナリティ体系→行動体系→物理的-有機体的環境というコントロールのヒエラルヒーが想定される」250頁

「アマーストの学生時代に生物学を学んでいた私[パーソンズ]は、『その分野で、進化という観念がまさしく中心となっていたために、有機体の分野と同様に社会的・文化的分野についても、進化という観念を支持する傾向から出発した』。だが『同時に、私の初期の知的成熟は、文化の相対性という考えを支持し、進化論的思想に反対する重要な反動と一致していた』。『ホブハウス=ギンズバーグ型の進化論的思想は、最も広範に攻撃されたもののひとつてせあり、概して私は、こうした批判に同調する傾向をもった』。しかしながら後年、私は『ますます積極的に、進化思想に関心をよせる』にいたった」253頁

「パーソンズは1960年代中葉以降、『進化』という観点を前面に打ちだすにいたる。歴史的変動はランダムに起こるものではなく、それは『進歩』=『進化』という<方向性>をもつものと考えられる。むろんそれは、『より古い19世紀的な単線的進化という考え』と同じではなく、また短期的な過程と想定することもできない。…歴史過程は、『枝をもつ木』とみなすべきである。一本の幹から多くの枝をのばしつつ、木それ自体も高く成長しつづけるというイメージは、多様な過程を包みこみつつ発展するありかたを示している。
 文化は短期的な変動というよりもむしろ、長期的な『進化』過程を通じて変動するという意味で、有機体の『遺伝子』と『機能的類似性』をもつとみることができる。これは、生物学者アルフレット・エマーソンの『遺伝子』と『シンボル』との並行関係という認識にヒントをえたものであるが、同じく生物学者のエルンスト・マイアの『自然淘汰』概念も重要である。マイアによれば、『自然淘汰とは、遺伝[子]型genetypeの異なった生存能力を規定する過程である』…
 このような認識を社会的・文化的な生存能力に適用するならば、文化的伝統は遺伝[子]型に、文化を体現した多様な社会制度は表現型にあたる、と考えられる」254-5頁

「パーソンズは、多様な発展を包括する『進化』という考えかたが有用である、と主張する。文化相対主義におちいらないためにも、体系的な比較を可能とするためにも、『進化』という観点が重要であるというのである。そのさい進化ないし進歩は、4つの局面からなると考えられる。(1) 分化、(2) 適応能力の上昇、(3) 包摂、(4) 価値の普遍化の4局面が、それである。彼はしばしばこれを、『進化的(進歩的)変動の図式』と呼んでいる。…
 以上のような進化的変動の4局面が、適応的上昇=A(適応)、分化=G(目標達成)、包摂=I(統合)、価値の普遍化=L(潜在的なパターンの維持)と、AGIL図式を基礎としていることに、読者はすでに気づいているかもしれない。この4局面をとおして展開する進化は、新たなレヴェルの適応能力をつくりだし、それは文明史という観点からみれば、『累積的』で、『不可逆的過程』であると考えられる」256-7頁

フォロー

「パーソンズの眼にうつったアメリカ社会は、長期的な文明史的観点からすれば、『よりいっそうキリスト教的価値に一致した』社会であり、『地上における神の王国』に近づきつつある社会にほかならない。この確信こそは、歴史を進歩=進化と把握する、彼の『新進化論』をささえている確信であった」273頁

「『人間の条件』パラダイム…
…行為体系の適応機能を主としてになう下位体系が、『行動有機体』から『行動体系』に修正されていることにも、注意を喚起しておきたい。消化器系統や呼吸器系統、血液の循環、骨格・筋肉などの人間有機体システムは、言語やシンボルを中心として組織されている行為体系からのぞかれて、『人間有機体システム』という行為の条件のひとつを構成する、と考えられるにいたったからである。
 このような修正を可能にしたのは、リッツ兄弟のピアジェ研究の成果である。…行動体系は、パーソナリティ体系を支え、その基礎となっていると考えられるべきであり、同時にそれは、人間有機体システムの生理的構造そのものとも区別されるべきであるという」322-3頁

「彼[最晩年のパーソンズ]は、アカデミーが組織した『人間の多様性にんするセミナー』のメムバーでもあった。ここで彼は、エルンスト・マイア(生物学、ハーヴァード大学)やエドワード・ウィルソン(社会生物学、ハーヴァード大学)をはじめとする、遺伝学・人間生物学・医学などを専門とする第一級の研究者と、共同討議をつづけている。
 このような努力が、人間の条件パラダイムを生みだしたのである」327頁

「より一般的にいって、死には、『つぎの世代のために『場所をゆずる』』という意義がある。『こんにち死は、個体の犠牲をとおして、種の柔軟な適応力を高める重要なメカニズムであると理解されている』。つまり『死は、新しく出現した遺伝的パターンの保持者が、古いパターンの保持者に急速にとってかわる』ことを可能にするいう意味で、『生命の進化的向上にたいする重要な貢献』である。『文化的成長や柔軟性という点で、死はより決定的に重要な貢献とさえ考えられる』」332頁

晩年のパーソンズ、小林武彦みたいなこと言うたはる😅(もちろん誤り)

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