(承前)「生命現象のすべてはエネルギーと情報が織りなすその『効果』のほうにある。…
そして、その効果が現れるために『時間』が必要なのである。…
…不可逆的な時間の折りたたみの中に生命は成立する。
そしてもう一つ重要な視点は生命現象という『効果』が生み出されるためには、驚くほど数多くの部品と部品の相互作用がタイミングよく生じる必要があるということだ。…近代の生命学が陥ってしまった罠は、一つの部品に一つの機能があるという幻想だった。部品は多数タイミングよく集まって初めて一つの機能を発揮する。
生命を『それぞれ特有の機能を持った部品の集合体』という要素のレベルでのみ考えると、時間の重要性を見失ってしまう。それだけではない。ある部品を差し替えれば、より効率が上がるとか、特別な効果が期待できるという機械論的な思考で生命を捉えてしまう落とし穴も、ここにある」147-8頁
ベルグソンも「時間」を強調してましたな
「生命は、機械のようにいくつもの部品を組み立てただけで成り立っているわけではないという、厳然たる事実がある。
『生命の仕組み』と『機械のメカニズム』の違いを読み解く一つのカギは時間だろう。基本的に、機械の組み立て方において、時間の順序は関係しない。
…しかし、生命はそうではない。…
…合成した2万数千個の部品を混ぜ合わせても、そこには生命は立ち上がらない。…
…生命現象においては、機械とは違って、全体は部分の総和以上の何ものかである。1+1は2ではなく、2プラスα。そのプラスαは何か、それはどこから来るのか。
私は『時間』に由来すると考える。全体は部分の総和以上の何かだ、というテーゼをナイーブに受け止めすぎると、危ういオカルティズムに接近してしまう。生物はミクロな部品から成り立っているが、そこにプラスαの『生気』が加わって初めて生命となる、といった生気論がその典型だ。
…もちろん、生気などというものはない。だが、プラスαはある。プラスαとは、端的に言えば、エネルギーと情報の出入りのことである。
生物を物質のレベルからだけ考えると、ミクロなパーツからなるプラモデルに見えてしまう。しかし、パーツとパーツのあいだには、エネルギーと情報がやりとりされている。それがプラスαである」145-7頁→
「食べ物として摂取されたタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するタンパク質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観である。
それは生物をミクロな部品からなるプラモデルのように捉える、ある意味でナイーブすぎる機械論でもある。生命はそのような単純な機械論をはるかに超えた、いわば動的な効果として存在しているのである。
…生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けと捉える発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配している」82-4頁
著者は美容上のコラーゲン信仰を槍玉に挙げているが、筋トレ歴の長い自分は似た論法で、「プロテイン」の大量摂取が実は筋肉増強にあまり役に立たないというのは聞いたことある
福岡伸一(2017)『新版 動的平衡——生命はなぜそこに宿るのか』小学館新書
いよいよ真打ち登場😅😅😅
訳者解説「具体的な創造的時間としての進化はみとめたいし、しかし進化は科学の事実ではないというディレンマは、『生命のはずみ』の考えによって打開されました。…生命ははずみながら不断に連続進展してゆきます。それははずみですから始源のいきおいを減衰させずにどこまでも伝える記憶でもあります。ことに生命はその時の『はずみ』で予想もつかなかった、真新しい形態を創造することもできるでしょう。…生命ははずんで進むうちに脊椎動物や軟体動物などに分れてきましたが、一方ではそのような分れた間柄にも根源のはずみの共通な記憶はのこっていますから、そこから考えて適応はどこか似たものになるはずです。
…『創造的進化』にはいわゆる生物進化説は進化の事実を見のがしていること、生命のはずみこそ進化における『経験的事実』だということが意味されているわけです。…『進化』が生命のはずみまで深められたところに、時間を自由創造の立場から総合的にながめようとする意図はあらわれているとおもわれるのです」449-51頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/