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「つまるところ植物的麻痺と本能と知性の3つが動植物に共通な生命衝力のなかに寄りあっていた要素なのである。これらの要素は実に思いもかけなかった形態にあらわれて発達しながら、ただ大きくなっただけのために分裂したのであった」167頁

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「生物に関していわれるばあい、成功とは多様をきわめる環境のなかで可能なかぎり多種の障害をつきぬけてできるだけ広大な地域を蔽えるように発達する性能の意味に解されなければならない。地球全体を自分の領土と心得ている種は掛値なしに支配的な種であり、したがって優位に立つ種である。人類はそのような種であり、脊椎動物の進化の頂点を示すものであろう。しかし他にもそのようなものが関節動物の系列中にある。昆虫なかんずくある種の膜翅類がそれである。人間が地上の王であるなら蟻は地下の女王であった、と古言にもいう」166頁

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「さきに適応一般に関して述べたように、種の変形はその種特有な利益というものからつねに説明されるはずである。変異の直接原因がそこから示されるにちがいない。けれどもそのようにして与えられるものはしばしば変異のごく皮相な原因にすぎないであろう。深い原因は生命を世界につき入れる衝力にある。この衝力が生命を植物と動物に分裂させ、動物性の線を柔軟な形態の方へと切りかえ、そして動物界が危うくまどろみかけていたなかである時機に少なくともそのいくつかの点でうまいぐあいに動物を目ざませ前進させたのであった」164頁

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「生きている形態は定義そのものからいって生きられる形態である。有機体がその生きる環境にたいして適応しているようすはどのように説明されるにしても、種が存続している以上その適応は十分でないはずがない。この意味で古生物学や動物学が描いてみせる系図上の種は、いずれも生命がかちとった<成功>であった。…運動はよく脱線し、停止させられることもしばしばであった。通過点にすぎぬはずのものが終点になった。この新しい観点に立つと、失敗は通則に、成功は例外でしかもいつも不完全なものにみえてくる。…動物の生命が踏みこんだ4つの主方向のうちふたつは袋小路に行きあたり、のこるふたつの道でも努力は成果と釣合わぬのがふつうであった」161頁

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「生命は根かぎり働こうとするのにおのおのの種はできるだけわずかな努力ですませる方をえらぶ、とでもいおうか。生命はそのぎりぎりの本質すなわち種から種へ移行するところを直視するなら、ひたすら増大する行動である。ところが生命の通りぬけてゆく個々の種はいずれも楽をすることしか念頭にない。種は最小の骨折りですむ方へ向う。自分のなろうとする形態に溺れて種はなかば眠りこみ、自分以外の生命全体のことにはほとんど知らぬ顔である。種は身近な環境から最大限にしかもできるだけたやすく摂取することを目あてに自分を仕上げてゆく。このようなわけで、生命が新しい形態の創造に向ってすすむ行為とこの形態そのものが描きあげられる行為とは、ふたつの異なった運動でありしばしば競りあってもいる」160-1頁

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「不協和の深い原因は埋めようのないリズムの差異にひそんでいる。生命一般は動きそのものである。生命の発露した個々の形態はこの動きをしぶしぶと受けとるにすぎず、たえずそれに遅れている。動きはずんずん前進するのに、個々の形態はその場で足踏みしていたがる。進化一般はなるたけ直線的にすすもうとし、特殊な進化過程はいずれも円を描く。生物は一陣の風に巻きあげられたほこりの渦のようなもので、生命の大きな息吹きのなかに浮んだままぐるぐると自転する。したがって生物は割合に安定していて、しばしば動かぬものの真似までうまくやるので、私たちはついそれを<進歩>よりはむしろ<事物>としてあつかい、その形態の恒久的なところすら運動を描いたものに他ならぬことを忘れてしまう。…生物は何はともあれ通過点であり生命の本領は生命をつたえる運動にあるのだ」159-60頁

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(承前)「生命の進化にはそれに類したところは少しもない。そこでは仕事と結果との不釣合が目だつ。有機的世界は下から上までただひとつ激しい努力でつらぬかれている。しかしほとんど常にこの努力は途中どまりになって、あるいは反対の力で麻痺されられ、あるいは自分のしていることにかまけてするはずのことを忘れ、自分がなろうと専念している形姿に溺れ鏡にむかうようにそれを見つめて催眠術にかかる。せっかく申し分のない完全なものが出来あがって外からの抵抗にも自分自身の抵抗にも克ちおおせてみても、その努力はこんどは自分で自分に作りだすほかなかった物質面に左右される」159頁

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「有機的世界をつらぬいて進化する力はかぎられた力であること、自分を超えようとつねにつとめながら自分の生み出そうとする仕事にたいしていつもきまって背丈が足りぬということは、忘れられてはならない。この点の誤解から過激な目的論のいろいろな誤謬や子供じみた考えが生れる。過激な目的論は生物界の全体をひとつの工作物として、それも私たちの作るものに似た工作物として表象した。それによると、この工作物のあらゆる部品は器官全体ができるだけ機能を発揮することを目ざして配置されている。どの種も自分の存在理由や機能や使命をもつ。あらゆる種が一緒になって一大協奏曲を奏でており、そこではちょっと聞くと不協和なところも底にある調和をひときわひびかせるのにもっぱら役立つ。要するに自然界においても万事は人間の天才の作品のばあいと同様にはこぶと考えられている。天才のなしとげる成果はごく小さいかもしれないが、製作物と製作の仕事とのあいだにはとにかく完全な等量関係が存在するのである」158-9頁

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「最下等なモネラ…から天賦にもっともめぐまれた昆虫類やすぐれて知的な脊椎動物にいたるまで、動物がとげてきた進歩はなかんずく神経系統の進歩であり、それもこの進歩の各段階に応じて必要となった諸部分のあらゆる創造と複雑化とをともなっての進歩であった。…生命の役目は物質に不確定性をはめこむことにある。生命が進化の歩みにつれて創造する形態は不確定な、すなわち予見されぬものである。それらの形態が運び手をつとめるはずの活動もまたいよいよ不確定に、すなわちいよいよ自由になる。…ノイロンをもった神経系統はそれこそ<不確定性の貯蔵所>ではないか。生命衝動の本質がこの種の装置の創造にむかって進んできたのだということは、有機的世界の全体を一目みわたせばわかるように思われる」157-8頁

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「高等な有機体は本質的には消化・呼吸・循環・分泌等の器官の上に感覚・運動系統が据えつけられたといった構造になっていて、それらの器官はこの系統を修復し清掃し保護してやり、また恒常的な内部運動をそのために作ってやり、最後になかんずく潜在エネルギをそれに送って場処運動にかえさせるなどの役割をもつ。…高等な有機体では機能の複雑化は無限にすすむ。それゆえそうした有機体のひとつを研究すると、そこでは一切が一切の手段をつとめているかのようになっていて、私たちは円運動に巻きこまれてしまう。だからといってこの円にやはり中心がないわけではない。その中心が、感覚器官と運動装置のあいだに張りわたされた神経要素の系統なのである」156頁

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「最近の実験の示すところによると、植物は『突然変異』の時期がめぐってくるとどんな方向にでも変異するものである。これにたいし動物が進化する方向はもっとずっとかぎられていたはずだと思われる。…
…動物の動物たるところはできるだけ多量に蓄積された潜在エネルギをある解発の仕掛をつかって『爆発的』な行動に変換する能力にある。はじめのうちは爆発は方向をえらぶ力のないままあてずっぽにおこなわれる。…しかし動物の系列をのぼるにつれて、身体の形態そのものにエネルギのそって進むかなりはっきりと決った方向がいくつか描き出されているのが見える」150-1頁

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「生命のひとつの本質的発露でほかの発露の特徴を萌芽ないし潜勢の状態で示さぬものはない。逆に、進化のある線上で他の線にそって発達しているもののいわば思出にぶつかったら、私たちはおなじ原傾向の分裂から生じた諸要素を相手にしているのだと結論すべきである。そのような意味で、植物と動物とは生命の2方向に開いた主要な発展をたしかに代表している。植物は固着性と無感覚によって動物から区別されるにしても、運動や意識も植物のなかに思出としてまどろんでいて、いつ甦えるかわからない。こうして常態どおり眠りこんでいる思出のほかに、目ざめて活動している思出ももとよりある。…<ひとつの傾向が発展しながら分解するとき、そこに生じた特殊な諸傾向はいずれも自分の専門となった仕事と両立できそうなものなら何でも原傾向のなかから取りとめて発展させようとするものだ>。ここから説明されるのはほかでもない、進化の独立な諸線上におなじ複雑な器官が形成されるという…事実であろう」149-50頁

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「ひとつの傾向の生みだす諸方向の発展のうち、あるものにはどこまで行ってもさきがあり、あるものは遅かれ早かれ巻物の端にぶつかる。後者は原初の傾向からじかに出たものではなく、その傾向が分裂して生じた要素のひとつから来ている。それはおこぼれの発展であり、ある本物の要素的傾向がみちみちやってみては自分の進化をつづけるために捨てていったものなのである」149頁

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「私のいう進化は努力の連合の方向にはけっしておこなわれないで<分裂>の方向におこなわれ、収斂する方にではなくかならず<発散>する方にすすむ。いろいろな項がある点で補いあってできる調和は、私の考えによるとそれらの項が途中でたがいに適応しあうから生ずるのではない。その反対で、調和が完全に無欠なのは出発点だけである。それは根源の同一なことに由来する。進化の過程が束状にひろがるさい、はじめはひとつに融けあうほどにうまく補いあっていた諸項が一斉に伸びるにつれて引きさかれるところから、この調和は来ている」148-9頁

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「生命の底には物理力のもつ必然性にできるだけ多数の不確定性を接木しようとする努力がひそむことを仮定しよう。この努力はエネルギを創造するところまでは行きえない。…生命の努力の唯一のねらいは自分の自由にまかされた既存のエネルギをできるだけうまく利用することにあるかのようにみえる。…努力そのものにはこの解発する能力しかない」145-6頁

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「運動性と意識のあいだには明白な関係がある。…しかしながら、このような運動性や選択やひいてはまた意識はいずれも神経系の存在を必要条件とはしていない。…ある動物に脳がないという理由で意識もないとするのは、胃がないから養分をとることができぬというのに劣らず愚かしい言い分であろう。最下等な有機体にもうごく<自由>の度に応じて意識があるということになる。…動物は感受性と目覚めた意識とによって、植物は眠った意識と無感覚とによってそれなりに定義されるのではないか」140・141・143頁

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「生命の発露したある形がそれ以外のほぼすべての発露形態の本質的特徴を、萌芽としてにせよ隠されてにせよ潜勢的にせよ、含まぬことはほとんどない」137頁

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「私の狙いは博物学者なみにさまざまな種の継起した順序を再発見することではなく、もっぱら種の進化する主な方向をいくつか決定することにある。それらの方向にしてもすべてが同様に私の関心をひくわけではない。なかんずく人類まで通じる道が当然、私の心を占めている」136頁

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「進化運動を分裂させるのと同じ原因のはたらきで生命は進化の途中しばしば自分から脱けだし、いま自分が生んだばかりの形態の上に眠りこけるのである。…もちろん進化というものを最初の衝力できまった一般的な方向をたえずすすむことの意味に解するなら、進歩はしている。しかしそのような進歩のとげられるのは2、3の重要な進化の線だけであり、そこではいよいよ複雑でますます高等な形態がつぎつぎに浮き彫られてゆく。それらの線のあいだをたくさんの小道が走り、そこでは反対に脱線や行きどまりや逆もどりがたびたび重なる。…偶然にもたっぷりと持分を与えてかからなければいけない。自然界では何もかもがうまく嚙みあっているわけではないことをみとめなければならない。…そこには計画やその実現を越えたもっとすぐれたものがある。計画とは仕事にあてがわれた目標である。それは未来を形にえがきながら未来を閉じる。これに反し、生命進化の前方には未来の扉が明けっぱなしになっている。それは運動しはじめたときの力ではてしなくつづけられる創造なのである。この運動が有機的世界の統一を作る。それは実り多い無限にゆたかな統一であり、どんな知性の夢みるものにもまさっている。知性はこの運動のひとつの相面ないしひとつの産物にすぎぬからである」134-5頁

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「生命の進化はそのつどの偶然な環境にたいする一連の適応とは別ものであるとしても、それは計画の実現ではなおさらない。…反対にもしも進化が不断にくりかえす創造であるなら、それは生命の諸形態をつぎつぎに創造してゆくばかりでなく、さらに知性なるものが生命を理解するのに役だつ観念や生命を表現するのによいような用語までもつぎつぎに創造してゆく。すなわち進化にあっては未来は現在の岸から溢れ、したがって現在のなかでひとつの理想としては描きだせぬことになる。
 ここに目的論の第1のあやまりがある。第2のもっと困ったあやまりがそれにつづく。
 もし生命が計画を実現するものなら、それはさきに進むにつれていっそう高い調和をあらわすはずであろう。…これに反し、もしも生命の統一が、時間の流れる道にそって生命を推進するはずみのなかに全部ごっそりこもっているとすると、調和は前方にはなく背後にある。統一は<背後の力>からくる。それは衝力としてはじめに与えられ、引力として終端に置かれてはいない。はずみは伝わりながらますます分岐する。生命は進展につれてさまざまな姿に現われながら分散する。…こうして種相互の不調和は高まってゆく」133-4頁

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