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「中国と日本古代の[服忌令の]このような大きな差異は、親族組織および婚姻形態における彼我の相違にもとづくと考えられる。
 第1に親族組織であるが、古くから中田薫・牧野巽両氏によって、養老儀制令五等親条が唐礼の五服制を模倣したものであるのに対して、養老喪葬令服紀条はわが国固有の親族制を反映したものであることが指摘されている。そして中田薫氏は、わが国固有の親族制の特徴として、(1) 母党母族が中国におけるよりもはるかに高い地位を占めていること、(2) 姻族関係が最小限度において認められているにすぎないこと、(3) 親族分類法として独自の分類法、すなわち直系尊属以外の親族は、己系・父系・祖系の3系を通じて、その始祖に対する各親の世数に従って、これを縦に類別する方法がとられていたこと、を挙げられる」51-2頁
↑ 中田 薫(1943)「日本古代親族考」『法制史論集』3

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林由紀子(1998)『近世服忌令の研究——幕藩制国家の喪と穢』清文堂

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「男女の結合に関するカースト規範に未婚の少女が違反した場合は、それほど咎められない。マヌの考えでは、高位カーストの男性を誘惑する『少女』を王は見逃すことができるという(つまりこれは明らかに許される過ちとされていた)。だが、低位カーストの男性と交際する少女は家に閉じ込めておくべきであるという…少女の罪はパティブラターダルマに違反していないため、妻の罪よりも軽いのである」40頁

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「国家の成立後、バラモン教の規範的文献、および準世俗的な文献であるアルタシャーストラが、性規範の違反に関する罰則を定め、王はそれを執行することが期待された。これらの文献は、男性としての宗教的義務を果たすために子孫が必要であり、『正当な』相談を行わなければならないという、夫たちがもつ一般的な心配事ともに、カーストにもとづく階層的社会秩序の維持に関する懸念をも反映している。カーストは、浄ー不浄の原則を侵すことなく再生産されなければならなかったのである。カーストの再生産の責任が女性に課せられることで、姦通の意味はより重くなった。マヌは姦通に関する記述において、以下のように断定する。『姦通により、人々の間でカーストの混合が引き起こされる。その罪は、根さえも切り刻みすべての破壊をもたらす』」38-9頁

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「初期インドの家父長制国家は姦通を社会における大『罪』の1つとみなした。この時代において、仏教文献では、罪については2つの機能のみが親族と結びつけられている。その1つは家族に対する罪を犯した者、すなわち姦通者を罰することであり、もう1つは財産に関する罪を犯した者、すなわち盗人の処遇である。国家の成立以前においてもすでに、女性のセクシュアリティの統制は、政治的権威を付与され氏族を構成する男性共同体の関心事であったとみられる」38頁

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「一般的に女性の『本質』がそのセクシュアリティと同一視される状況があった。女性の本質は罪深いものとみなされるのが一般的だった。ある文献では、すべての始まりのとき以来、すなわち創造主が最初に5大元素と3つの世界を創り、次に男女を創造したそのとき以来、女性は罪深いものだとされた…女性は剃刀の刃、毒、蛇、火を1つにしたものである…人間が創生されたとき、マヌは女性に、嘘つき、怠惰、宝飾品への見境のない執着[😅]、怒り、卑劣、不実、また不品行を割り当てた…シャタバタ・ブラーフマナではすでに、女性、シュードラ、犬、カラスはいずれも、嘘、罪、暗黒を体現したものと述べている…女性の生来的な性質が卑しく邪悪であるという観念が広く浸透していたために、仏教文献にもその言及がある。あるジャータカ物語(本性譚)では、女性というのは邪悪と狡猾さからなる性なので、嘘を真実とし、真実を嘘とするとされた…他のジャータカ物語では、『怒りこそ女、悪口のかたまり、仲違いと闘いを煽るもの』と述べられている。女性は本能によって動くもので、その激情はとどまるところを知らないのである」30-1頁

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「統制不能な女性のセクシュアリティは脅威をもたらすと認識され、古代インドの諸々の物語群や規範的文献には、女性の『貪欲な』欲情と邪悪さへの言及が溢れることになった。
 マハーバーラタにおいてビシュマからユディシュティラに語られたアシュターヴァクラの話は、女性の『真の』本質と考えられていた破壊的で悪魔的な欲望を生々しく描いている。結婚の準備のためアシュターヴァクラは女性の苦行者のもとへ送られたが、その苦行者は高齢にもかかわらず繰り返しアシュターヴァクラを誘惑する。苦行者は、アシュターヴィクラに、女性にとって性交にまさる喜びや破壊的衝動はないこと、高齢の女性でさえ性的な情熱で我を忘れること、そして、女性の性欲は3つの世界すべてにおいて、決して克服できるものではないことを告げた…アサタマンタ・ジャータカにおいても、高齢の女性でさえ性的な危険要因になりうると、この教えが繰り返される。
 統制不能な女性のセクシュアリティに対するこの恐怖が、女性を支配するための効果的な制度の形成と、女性をつねに監護する必要性への強迫観念の背後にあった。女性への支配が緩む、あるいはその効果が薄れると、その途端に女性の無秩序な性欲が密通を引き起こすのである」33頁

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「アーリア人が一定の地域における支配の確立に成功すると、原住部族の男性の多くは逃亡するか殺され、征服者は支配下においた集団の女性たちを奴隷化した。したがって、古代インド史において最初に奴隷化された大きな集団は女性であり、女奴隷であるダーシーは男奴隷のダーサーよりも頻繁に言及されている…リグ・ヴェーダにみられるこうした叙述は、すべての征服した部族は、少なくとも征服の最初段階では敗北した部族の男性を殺し女性を奴隷化したとするラーナーの議論…と一致する。…リグ・ヴェーダの叙述は、女性の間の決定的な階層化、すなわち征服した側の女性と征服される側の女性の間の階層化を反映したものであり、きわめて重要である。例えば、リグ・ヴェーダでは二足動物と四肢動物、つまり奴隷と牛を支配するアーリア人女性が描かれている…女奴隷の労働とセクシュアリティは使役されるべきものとして存在したが、それらは総体として支配部族の男性の支配下にあった。贈り物の対象としての女奴隷の叙述は、受け取り手はつねに男性であることを示している。女性の捕獲役として、武人はしばしば女奴隷を司祭に贈っていた。原始的蓄積[?]において女奴隷の所有が重要な要素であったことは明らかである」28-9頁

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「ビームベートカ(紀元前約5000年)における最近の洞窟壁画研究では、女性は果物や野生の農産物の採集に従事し、小動物の狩猟において籠や網を使用していたとみられている。狩猟採集段階にある社会において、女性は母としての役割と採集者としての活動とを組み合わせていた。壁画には2人の子どもを籠に入れて肩にさげ頭には動物を載せた女性や、籠や網をもった女性(しばしば妊娠した姿で描かれている)、角をもって鹿を引きずっている女性、漁を行っている女性などの絵もみられる…集団狩猟の壁画にも女性が含まれている。精巧な頭飾りからは、狩猟の成功を確実にするために、女性たちが象徴的にも実際的にも狩猟に参加していたことが示されている。
 したがって、これらの中央インドの洞窟壁画は、男性は狩猟、女性は採集という、一般に狩猟採集時代の前提とされてきた性別役割分業は厳格には存在していなかったことを示唆している。中石器時代において、採集は熱帯気候である中央アジアの主要な食糧源であり重要な仕事であった。女性はそれを引き受ける一方で、狩猟にも参加していたとみられている。つまり、経済上の女性の役割は、男性のそれよりも大きくはなかったとしても、少なくとも同等だった」27頁

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吉村武彦・吉川真司・川尻秋生(2023)『古代人の一生——老若男女の暮らしと生業(シリーズ 古代史をひらくII)』岩波書店

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「女性を通した儀礼秩序の穢れや血の質に関する不安をもっとも明確に示しているのは、混血に対する恐怖である。カーストの数が増加することに関する理論的説明では、もっとも不浄かつ低位のカーストの地位は混血、つまりカーストの混合に起因するという。もっとも不浄なカーストは、高位カーストの女性と低位カーストの男性の忌むべき結合から産まれた人々だとされる。カースト制度のイデオローグたちは、とりわけプラティローマ(下降婚)、すなわち『逆毛婚』とよばれた結婚に対して恐怖をもち、もっとも厳しい非難と懲罰の対象とした。懲罰は近年に至るまで継続し、母子を溺死させる…あるいは関係の遮断や儀礼的な死といった制裁が行われてきたのである。
 カーストの構造は、女性に対する厳しい行動制限、あるいは隔離を通して守られる。女性はカースト制度にとって玄関(文字通り、人口の地点という意味で)とみなされる。低位カーストの性的能力は高位カーストの浄性の脅威となるので、高位カースト女性への性的接近は制度的に防がなければならない。したがって、女性は注意深く保護されるべきである…バラモン文献では、混血を防ぐ構造が崩壊すれば、バラモンによって構築された精巧な社会秩序のすべてが破綻してしまうと考える」26頁

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Chakravarti, Uma. (1993) “Conceptualising Brahmanical Patriarchy in Early India: Gender, Caste, Class and State,” Economic and Political Weekly 28 (14), pp.579-85.
=吉沢加奈子・押川文子訳「初期インドにおけるバラモン的家父長制を概念化する——ジェンダー、カースト、階級、国家」24-43頁

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「<文明以前の家族>
 中国やインドでは、早い時期に文明が発展するとともに国家が成立した。国家が成立する以前の家族は、多様なものであったと考えられるが、国家の統制によって画一化したとも考えられる。…周辺地域は、インドや中国に遅れ、各地域の特徴を残しながら同方向の変化を遂げていったと考えられる。
 …中国の古代社会については、家父長制であったという考えが優勢であった。しかし、1990年以降出土史料の研究が盛んに行われたことで、家父長制への疑問が出されている。中国の家族を家父長制として捉えることには儒教が影響している。…儒教の影響によって、中国の家族が家父長制になるのは漢代以降であり、それ以前は非家父長制であった。小寺敦は『春秋左氏』の分析から戦国時代に家族史的な画期があるとし、それ以前は父系的ではなかったとする」2-3頁

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「インドや中国では早い時期に家父長制が成立したが、周辺地域では双系制や女性の地位が高いなど家父長制以前の多様な家族形態がみられ、インドや中国の影響を受けるものの、限定的であったといえる」5頁

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森本一彦「国家支配と家族形態の変容——2つの文化圏における家父長制」1-21頁

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森本一彦・平井晶子・落合恵美子編(2022)『家族イデオロギー(リーディングス アジアの家族と親密圏 第1巻)』有斐閣

吉川真司「夫婦がともに生きている場合に、女性のほうが即位することはないということですよね」
吉村「男と女が結婚していて女性が即位するのが、女帝論でいう本来の女帝のかたちだとすると、日本の場合はちょっと特別扱いしなくちゃいけない」330頁

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吉村「日本の古代女性史では、村内婚を中心に考える人が多い。しかしそうではなく、村外婚があるんだという考え方です。歌垣は同じ集団内でのこととはちょっと考えづらいです。…
…『万葉集』を分析すると、あんまり村内婚みたいな例はないんですよね。歌はかなり遠方どうしで…。遠距離恋愛って言うのはおかしいんですが、かなり離れてやりとりされているものはありますよね」327-8頁

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