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川島武宜(1948)「日本社会の家族的構成」、112-22頁

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「中国のセーやスコットランドのクランやインディアンのトーテムの目的は、敵を撃退し自分の集団の成員を助けることであったため、セーやクランやトーテムといった名は(その集団の)誰もが有しており、その使用は血縁関係にある人々だけに限られていなかった。…クラン名を使うというスコットランドの伝統は、中国の伝統と類似している。セーとクラン名は同じ目的をもっているのだ。…中国人のセーやスコットランド人のクラン名やインディアンのトーテムの使用は、同じ言葉の人々がチャート(ネーションもしくは国家、国民)として集まるより以前に、時代の必要性に合わせて考えられた実践であり、過去においては有益であった伝統なのである。
 …さまざまな集団が、同じように進歩したわけではなかった。中には他よりも早く進歩した人々もいた。…このため、今日の世界にはさまざまな伝統が存在する。例えばインド人はセーも家名ももたず、アメリカのインディアンはトーテム名のみをもっており、中国人はセーをもっているが、彼らはみな家名をもってはいない。家名をもつのはより進んだ人々の習慣で、彼らは他よりも遅れて発展したが、そこに追いつき追い越すことができた」87-8頁

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(承前)「同じ地域に住んでいれば人々はお互いを知っているが、時に人々は分散し、故郷を離れる必要があった。集団を去り、故郷から離れた場所で出会ったものの、互いに同じ集団の出身であるとわかっていない場合には、人々は何らかの理由で傷つけ合ってしまうかもしれない。そのため、同じ集団に属していることがわかるように、違いを認識する何らかの方法が必要であった。最初は同じ装いをすることが決められた。…そして、人々がさらに文明化してその思考がより高いレベルに進歩したとき、成員のファーストネームにつけるセーを選択するというアイデアを発展させたのだ。こうして、同じ集団の成員がどこかで出会ったとき、セーを尋ねるだけで違いが認識できるようになった。こうして、中国人は『セー』を発展させ、スコットランド人はクラン名をもち、アメリカのインディアンは『トーテム』名をもつようになった。彼らは、集団の成員が互いに認識できるシンボルも用いた。例えば、スコットランドでは『タータン』…とよばれる一種の模様つきの衣服を着た。それぞれのクランは特定の種類のタータンを用い、そのクランの人々は皆同じ装いをした」87頁

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「中国語の『セー(sae)』は、スコットランド語の『クラン(氏族)』に類似し、仲間や集団を意味する。あるいは、宗教的な用語を使えば、セーは『サムナック』(同じ分派や宗教団に属している学派や集団…)と類似している。サクンという語は、英語の『ファミリー』と同じ意味である。セー(クラン)とサクン(家族)の間の重要な違いは、同じセーに属する人々は必ずしも互いに血縁関係にない一方で、実際に血縁があるか養子にならない限り同じクランとみなされることはないということである。
 セーすなわち『クラン名(氏族名)』は、ナームサクンすなわち『家名』よりずつと以前から存在した伝統である。…
 中国人が『セー』、スコットランド人が『クラン』、そしてイングランド人が時に『トライブ』とよぶような多人数の集団形態は、人々が高いレベルの進歩(文明化)を成し遂げる以前に起こったものだ。人々は、互いへの思いやりにもどつく道徳を実践する方法については、まだ知らなかった。それは人々がいまだ食物や住居や女性を手に入れるために互いに争い、殺し合っていた時代であった。より多くの仲間を得た集団が、より少ないあるいは仲間のいない集団に勝り、生き残ったのだ。そのため、自身の集団の成員数を増やす方法を考えることが必要となった」86-7頁→

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phrabat somdet phra mongkut klao cao yu hua(ラーマ6世). (1947) “Priap namsakun kap chue sae,” in phra racha niphon ratchakan thii 6〔ラーマ6世著作集〕, rongpim thai pitthaya, pp.7-20.
=北島義和・落合恵美子訳「家名(ナームサクン)と姓(セー)の比較」、86-92頁

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(承前)「⑥高木侃氏は、未亡人となった母が息子によって実家に返される例を紹介され、嫁が姑になった後ですら、婚家における地位は安定したものではないことを示された。
 ⑦川島武宜氏は、日本の伝統的な婚姻である嫁入婚において、嫁は婚家に異分子として入ってゆくのであり、これが婚家に同化させられるために苦しい嫁づとめが必要とされると述べられ、脇田修氏は、江戸時代の縁坐に関連して、『結婚によっても夫の家に完全に属していない』といった観念がどこかにあったのではないかとされ、こういった観念が家庭の形成にあたって妻を異分子とみる見方にもつながると指摘されている」57頁

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「近世の嫁入婚における出稼女の生家帰属と関連して、従来、次のような研究がなされている。
 ①民俗学の研究によって、嫁入後も生家とのつながりが強固である婚姻形態——たとえば嫁のセンタク帰り、ヒヲトル嫁など——が存在したことが知られている。
 ②社会人類学の立場から清水昭俊氏は…特殊な嫁入婚だけでなく、一般的な、妻が夫の家に入る嫁入婚においても、嫁は、時期によってウェイトがどちらに置かれるかの差はあれ、婚家と生家に両属するものであったと指摘されている。
 ③江守五夫氏は、これを両属とみるのではなく、出稼女が婚家に帰属する嫁入婚の他に、出稼女が生家に帰属する嫁入婚が、古くから存在したのであると主張される。
 ④洞富雄氏は、古代から明治民法前までの日本で、妻が生家の氏を名乗るのが通例であったことから、妻の異族的性格を看取された。
 ⑤山中永之佑氏はこれを受けて、明治前期において妻に対して所生の氏を称することが強制されたのは、家族における妻の異族的性格を明確にさせ、妻の劣位を確定する意義と機能を果したものであり、妻をも含む広義の家族概念と、妻を含めない狭義の家族概念が存在したと述べられ、このような妻への『所生ノ氏』の強制と狭義の家族概念は、江戸時代の武士的氏観念、『家』観念を継承したものにほかならないと」57頁→

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〈5. Conclusion and outlook〉
「トッドの大雑把な主張の多くは、我々の体系的な経験的分析により確証し得ない。
 権威主義家族類型に関する仮説の大部分は論駁された。理論では、この家族類型は、個人的自由をほとんど推進せず不平等を受容する価値を具現化している。それらの価値はフランス革命により推進された価値、すなわち個人の自由と万人の平等と反対の極にある。しかしながら、我々の結果は、権威主義家族類型に支配される国の人々が核家族類型に支配される国よりも、より革新的で、より高い法の支配レベルとより有効な政府の双方を実行してきたことを示している。権威主義家族類型が支配する国はまた、再分配後の最も低い所得不平等レベルを達成している。
 もう1つの注目に値する観察は、2つの共同体サブカテゴリー(内婚および外婚)が多くの問題を共有していることである。すなわち両者とも、より大きな人種差別主義、低い法の支配レベル、遅れた産業化と関連している。これらの国が革新において初めは享受した優位性は、現在では不利に転じてきた。内婚共同体家族類型が、外婚共同体類型よりも有意にパフォーマンスの低い結果変数が2つある。国家脆弱性と市民社会である」p.115.

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「権威主義家族類型の国は、再分配後の所得不平等レベルが最も低い。このことが意味するのは、権威主義家族に支配される国が他のいかなる家族類型よりも、国家を用いて所得不平等を減らしているということだ。結論的には、仮説10もまたデータから支持される」pp.114-5.

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「核家族は、アフリカおよびアノミー的家族類型の対照カテゴリーに勝るが、しかし近代においてのみである。より重要なのは、核家族類型に支配される国が、2000年前の技術導入において世界の他地域に有意に遅れをとったことである。追いついた後、今では他の国を有意に凌駕しているのだ。…権威主義家族類型はさらに大きな革新性を示し、過去2000年間に核家族類型を一貫して凌駕した。共同体家族類型は特に興味深い時間トレンドを示す。それらは中世までは高度に革新的だったが、紀元1500〜2000年の間の時期を通じてこの優位性を完全に失った。この発見は[イスラーム地域の]『幸運の逆転』を思い起こさせる。…要約すれば、仮説9は、核家族類型が支配する社会が他の社会よりも革新的であるという意味で、我々の発見により支持される。しかしながら、権威主義家族類型が支配する社会はさらに革新的である」pp.114-5.

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<4.4 Family types and post-constitutional outcomes>
「<表7>は、産業化のタイミングに関わる仮説8だけが、データから支持を見出すことを示している。内婚共同体類型に支配される国が、再び注目に値する。それらの政府は最も長く権力に留まり、市民社会が最も弱く、産業化は共同体家族類型でない国よりも遅く生じた。再び、共同体家族類型は発展の有害転帰とリンクしている」p.113.

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<4.3 Family types and constitutional structure>
「法の支配に関しては、我々は前と似たパターンを観察する。すなわち、核家族および権威主義家族類型は対照カテゴリーよりも勝り、共同体家族類型は対照カテゴリーに比してパフォーマンスが低い。興味深いことに、権威主義家族類型は他の全ての家族類型よりもはるかにパフォーマンスが良く、それは仮説4で説明したトッドの予測と矛盾する。ここからは、権威の受容が政府の有効性のみならず、法の支配レベルにとっても望ましいのではないかと類推し得る。
 …彼[トッド]は外婚共同体類型と立憲的選択の間に明示的にはいかなる関連も主張しなかったが、我々はこれらの国で法の支配レベルが低いことを見出す。連邦主義は特定の家族類型と統計的に有意ではなく、それにより仮説5は棄却される」p.112.

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<4.2 Family types and state formation>
「我々は、内婚制が[国家形成の]障害物であるという議論に何の支持も見出さない。核家族ないし権威主義家族類型に支配される国は最も早期の国家形成を示し、それに共同体家族形態が続き、それはアフリカおよびアノミー的家族形態の家族よりも早く国家を形成した。
 過去の国家から現代の国家脆弱性に移ると、我々は、核家族および権威主義家族形態が最も脆弱でなく、内婚共同体家族類型に支配される国家が他よりも脆弱であることを見出す。内婚と外婚共同体家族の違いは統計的に有意でないが、<表3>で描かれたように、外婚共同体類型は2番目に高い内婚を実践していることに留意すべきである。現代の政府有効性に関しては、共同体家族類型が再び最もパフォーマンスが悪い。興味深いことに、権威主義家族類型の国の政府は、飛び抜けて有効な政府を持っている。この発見のあり得る解釈は、もし(国家)権威の受容が規範化されていれば、政府が有効になるのはより容易だというものだ。全体として、経験的証拠は仮説3と一貫している。内婚を実践する社会は国家を形成するのが遅くはないものの、高い正当性ないし有効性を有する強い国家をもたらすことが難しかったのだ」pp.110-2.

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〈4. Testing Todd〉
<4.1 Family types and ideology>
「<表4>は核家族の国で他の国よりも人種差別主義が有意に少ないことを示し、それは我々の第1の仮説と符合する。人種差別主義と共同体家族類型の間には、予想外に強い関連がある。内婚および外婚共同体家族類型の双方は、我々の参照カテゴリーよりも有意に多い人種差別主義を示す。…これ[仮説2]は我々の結果からは支持されず、どの家族類型も、それが個人の人生にどれくらい統制を及ぼすかについての個人の知覚に並外れた影響を行使しはしないことを示している」p.110.

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〈3. Data and estimation approach〉
「権威主義家族類型は、たとえこの家族類型が歴史的に成人した息子が親と暮らすことにより特徴づけられるとしても、驚くべきことに最も弱い家族紐帯と結びついている。少なくとも内婚共同体家族類型は、この特質を共有しつつ、全ての家族類型の中で最も強い家族紐帯を示すことを確証している。…内婚共同体家族類型が他のいかなる家族類型よりもイトコ婚を多く示すのは驚くべきことではないが、しかしそれに外婚共同体類型(そしてアフリカ/アノミー的家族類型)が続いており、そのことは共同体家族間の比較が、内婚の帰結を同定する良い方法ではないことを示唆する」p.108.

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〈2. Theory〉

トッドから導出される仮説1「核家族に支配される社会は他の社会よりも、人種差別主義のレベルが低い」

仮説2「内婚制家族類型に支配される社会のメンバーは、他の社会のメンバーよりも、自分自身の人生へのコントロールが低いと感じている」

仮説3「内婚制家族類型に支配される社会は他の社会よりも、強い国家構造を形成しにくい」

仮説4「権威主義家族類型に支配される社会は、他の社会よりも低い法レベルを示す」

仮説5「権威主義家族類型に支配される社会は他の社会よりも、連邦的に組織されやすい」

仮説6「核家族類型に支配される社会は、権威主義家族類型に支配される社会よりも、より頻繁な政府の転覆(turnover)を経験する」

仮説7「核家族類型に支配される社会は他の社会よりも、より活力ある市民社会を持つ」

仮説8「核家族類型に支配される社会は、他の社会よりも産業化が早い」

仮説9「核家族類型に支配される社会は、他の社会よりも革新的である」

仮説10「権威主義家族形態に支配される社会は、共同体家族ないし核家族形態に支配される社会よりも、所得不平等のレベルの低さによって特徴づけられる」pp.103-7.

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〈1. Introduction〉
「当時ほとんどの経済学者は文化や家族組織に関心がなかったので、トッドの主張は彼らの学説においては概ね無視された。最近になってやっと、経験的経済学者が彼の著作に興味を持つようになった」p.102.

・Duranton et al.(2009)…絶対核家族で特徴づけられる地域はそれ以外の地域と比べて世帯規模がより小さく、教育水準が高く、雇用レベルやソーシャル・キャピタルが高く、サービス部門が大きく、経済がダイナミック
・Dilli (2016)…核家族世帯構造で特徴づけられる国はより民主主義的
・Broms & Kokkonen (2019)…1人の嗣子を選好する継承レジームは、私有財産権や社会的信頼や質の良い制度を発展させやすい。信頼が不平等継承ルールから移転するチャネル
・Schulz (2020)…同族婚が禁じられている国では他の国よりも民主主義スコアや政治参加率や制度の質がかなり高い。p.103.

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〈Abstract〉
「何年も前に、エマニュエル・トッドは家族類型の分類を提案し、ある社会における歴史的に優勢な家族類型は、その経済的・政治的・社会的発展に重要な結果をもたらすと論じた。ここで我々は、トッドの最も重要な予測を経験的に評価する。外生的な共変数を持つ倹約モデルに依拠して、我々は両方の(mixed)結果を見出す。一方で権威主義家族類型は、トッドの予測とは完全に対照的に、法の支配と核心のレベルの増加と結びついている。他方ではトッドの予想の通りに、共同体家族類型は、人種差別主義や低いレベルの法の支配、そして遅い産業化とリンクしている。内婚が頻繁に行われている国もまた、予想通りに高レベルの国家脆弱性と弱い市民社会組織化を示す」p.101.

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Gutmann, Jerg and Stefan Voigt. (2021) “Testing Todd: Family Types and Development,” Journal of Institutional Economics 18(1), pp.101-18.

「日本古代の親族組織は、中国のそれと異なっており、服紀条にはそれが反映されていたといわれているが、第2に、婚姻形態も中国のそれとは相違していた。
 中国の婚姻形態は、妻が花轎(紅色の装飾を施した花嫁用の駕籠)に乗って夫の家に迎えられるという方式に端的に示されているように、妻が婚姻によって夫の宗に入り、これに所属することになる、というものである。すなわち嫁入婚であった。
 これに対して日本古代の婚姻形態については、周知の通りさまざまな議論がなされていて定説を見ないが、多くは妻問にはじまり、やがて夫婦関係に至るものの、必ずしも夫方居住ではなく、妻方居住や独立居住も少なくなかったとするのが、現在における一般的見解かと思われる。
 したがって古代の日本の婚姻形態は、中国のような婚姻によって妻が社会的に夫の宗に帰属する婚姻形態とは異なっていたと考えてよいであろう。日本では、多くの場合、婚姻によって妻が夫方の集団にとり込まれるのではない、ということが、親族組織の相違と相俟って、中国の礼制とは異なる、妻から見て実家中心的な令の服紀令を生み出したといえよう」52頁

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