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右傾化する億万長者たち より良い世界に戻る道は NYTコラムasahi.com/articles/ASSDM2199SD

 “最近では、イーロン・マスク氏をはじめとする一部のテック業界の億万長者たちが急激に右傾化したことが話題になっている。私が思うに、このことについては深く考えすぎるべきではないし、特にこれが「政治的正しさ」を訴えるリベラル派のせいだなどと騒ぐべきではない。基本的には、かつて世間から称賛を浴びていた金持ちたちが、世の中の全ての金をもってしても愛を買うことはできないのだと、今になって気づきつつあるという狭量さに帰結する。”

“心から、心から申し上げたい。閣下、いまあなたには、

 あのかわいそうな遺族たちを
 救助するチャンスが
 いまはまだ

 まだ残っている、という言葉を。そしてこれは最後のチャンスだ。歴史があなたに与える最後のチャンスなのだ。ただの一度も真実が明らかになったことのない国でこの文章を書く。胸が痛む。締めつけられるように痛む。一人の子の父親だから、この地に根を張って生きる人間だから。そして何よりも、私たちは皆、一つの船に乗っているから。”

「目の眩んだ者たちの国家」パク・ミンギュ
『目の眩んだ者たちの国家』
shinsensha.com/books/1043/

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さんがブースト

「箱があると、自分へのプレゼントかなと思っちゃうんですよ」
そう話すのを聞きながら、コンテナを高く積んだ貨物船を眺めている。ひとつの扉が開き、大きな黒いヘビのようなものがすべり出て海に消えた。
「ときどき、自分のために箱が開いたのかなと思うんです」
#いろいろなアドベントカレンダー

さんがブースト

季節によって住むところを変えるものたちが、さまざまな遠方から毎日到着する。こちらは歓迎の準備で大忙しだ。みんなお土産をくれる。ひよこの形をした饅頭、ひよこの形をした饅頭、ひよこの形をした饅頭。ちょっとずつ味が違う。きっと収斂進化なのだと思う。
#いろいろなアドベントカレンダー

さんがブースト

大阪だし仕事だし私自身は参加出来ないけども

【告知】緊急アクション📢
滋賀医大生逆転無罪判決のニュースを受け、大阪の性暴力をめぐる司法に抗議するフラワーデモを行います。
日時:明日12/23(月)
時間:17:00〜18:00
場所:大阪高等裁判所前(添付画像の青い★の場所)
花を持参でご参加ください
#飯島健太郎裁判長に抗議します
#NoMeansNo

https://x.com/flowerdemoosaka/status/1870716348885864553?s=46&t=2cXWu0wlzl_wAQuwvdvWBg

この冬初めてノスリを見た。滑空して横を通りすぎていった。何か見つけたのだろうか。

ポジショナリティの相違を超えた共通の了解や協働はいかに可能なのか?
book.asahi.com/jinbun/article/

 “社会において、ある人がどのような位置(ポジション)にあるのかは、現在の問題で、すでに配置されてしまっている事柄です。その位置については、客観的に認識することが必要です。ポジショナリティは集団的利害という“事実”を基盤とした視点のため、このような現状分析において大きな力を発揮します。

 しかしそれは、未来永劫、私たちが現在のポジショナリティに拘束されることを意味しません。人びとのポジショナリティは属する集団との社会的結合のありようと、集団間の権力関係(権力的な利害関係)によって規定されているに過ぎないのですから、集団間の抑圧関係や不平等が改善・解消されれば、それぞれに属する人びとのポジショナリティもまた変わりうるのです。”

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これを読みたいけど値段が。

『日本社会とポジショナリティ 沖縄と日本との関係、多文化社会化、ジェンダーの領域からみえるもの』
akashi.co.jp/book/b646041.html

内容説明 
集団に起因する不平等や差別。それが個人同士の間で現れる諸相を捉える視点としてのポジショナリティ。沖縄と日本との関係、性差・ジェンダー、多文化社会化など、定量的調査を含む現代日本の具体的な事例から動態を読み解き、状況変革への共通了解と協働条件を提示する一冊。

医療者の傲慢やパターナリズムを感じることはあって、それらを可能にする仕組みのことを時々考える。仕組みの中で、相手の気持ちや状況を軽々しく扱ってもよい、と思える位置にいるのは医療者だけではないから。

子どもの頃ストーブの前で本を読んでいたらページがしわしわになって仕舞ったことが何度かあった。距離を取ればいいのだけど、とにかく寒くてなるべく近くにいたかった。ストーブの前に着替えを並べて温めたりもしていた。

掃除と洗濯が終わってヒーターを付けたら思い出した。

さんがブースト

 “世の中がもう滅びてしまったと言うことが、何かを信じることがもはやできなくなったと言うことが、どれほど簡単なことか。”

「かろうじて、人間」ファン・ジョンウン
『目の眩んだ者たちの国家』
shinsensha.com/books/1043/

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さんがブースト

 “どれほど簡単なことなのか。
希望がないと言うことは。世の中はもともとそんなものなのだから、これ以上は期待しないと言うことは。すっかりこの世界に対する信頼をなくしてしまったと言うことは。”

“どれほど簡単にそう言っていたのか。遺族たちの日常、毎日襲ってくる苦痛の中で何度も反芻する決心、そして断食、行進、その悲痛な闘いに比べて、世の中がもう滅びてしまったと言うことが、何かを信じることがもはやできなくなったと言うことが、どれほど簡単なことか。しかし、みんな一緒に滅びてしまったのだから質問しても無駄だ、と私が考えてしまったその世の中に向かって、遺族たちは、持てる力を振り絞って質問をしていたのだ。その空間、セウォルという場所に集まった人々を、私がもう信じるのをやめてしまった世界のある片隅を、信じてみようとしていた。ならば今度は、私は何をすべきなのか。彼らの質問に応答しなければならないのではないか。この世が滅びたと思ってしまったように、私まで滅びてしまわないためにも、応答しなければならないのではないか。”

「かろうじて、人間」ファン・ジョンウン
『目の眩んだ者たちの国家』
shinsensha.com/books/1043/

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読み進めてこの一文にたどり着き胸が塞ぐ。

“ただの一度も真実が明らかになったことのない国でこの文章を書く。”

「目の眩んだ者たちの国家」パク・ミンギュ
『目の眩んだ者たちの国家』
shinsensha.com/books/1043/

ニッカボッカみたいな単語が出てこなくて検索した。わかってすっきり。

以前知った本。面白そうなので読んでみたい。

あとがきたちよみ
『男性学基本論文集』
keisobiblio.com/2024/01/24/ato

 “男女間の差異に焦点を当てるアプローチのもうひとつの限界は、これらの研究が、ジェンダーに関する本質主義的な解釈を暗に強化してしまう可能性があるということだ。本質主義的解釈とは、ある特質を、集団やカテゴリーの固定化され本質化された要素として扱うことを意味する[Martin 1994]。そのような特質が生じるのは、生物学的要因あるいは社会的要因のためであるのかもしれないが、その要因が何であるにせよ、そうした特質は、ある集団やカテゴリーに際立った要素として扱われるのである。男性と女性を対比するような研究課題の設定は、男性はよりXであり、女性はよりYであるといった結論を容易に導くことになる。しかし、ここでの問題は、そうした研究の結果それ自体ではない。そうした解釈が、両性の間の権力関係を構築・強化することにより、女性と男性に対するステレオタイプと制約を強化するようなやり方で用いられかねないことが問題なのである。”

私はスマホでの入力が苦手で、パソコンの方がまだやりやすい。引っ掛かりがない平面は難しい。指にかかる感触が欲しい。
鉛筆やペンは強く握りすぎるのでこれも使いやすくはない。

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