この数年、私は白人の穏健派にひどく失望していることを告白しなければならない。
私は、黒人が自由に向かって歩みを進める上で大きなつまずきとなっているのは白人議員やクークラックスクランナーではなく、正義よりも「秩序」に献身的な白人の穏健派、正義が存在する積極的な平和よりも、緊張のない消極的な平和を好む人、という残念な結論にほぼ到達している。
「私はあなたが求める目標には同意しますが、あなたの直接的な行動の方法には同意できません」と常々言う人。
他人の自由のために自分がスケジュールを設定できるとパターナリズム的に信じている人。
彼は神話的な時間の概念に従って生きており、黒人たちに「より便利な時期」を待つよう常にアドバイスしている。
善意の人からの浅い理解は、悪意のある人からの完全な誤解よりもイライラさせられます。
生ぬるい受け入れは、完全な拒否よりもはるかに当惑させられます。
今、「インフル病みのペトロフ家」というロシア映画を見ている。まだ半分見ただけだけど、閉塞した社会状況の若者をテンポ良く描いていて、ロシア版クストリッツァって感じで今のところおもしろい。
そして、外国だと、文化を作ってる人に「覇気」があるなぁと、しみじみ思ってしまう。言い訳せずに体当たりで作品を作るという当たり前のことを、ふつうに覚悟を持ってやっていると感じる。
だって、ちゃんとした作品って、「広告」に慣れきった私たちの感性が「ダサい」と切り捨ててしまいかねない、作り手の価値観が示されるから絶対に。
私たちは「ダサい」って言われることを恐れすぎだと思う。「ダサい」と言われないこと(だけ)を指向して、結果的に何がしたいのかわからない「スタイリッシュ」な何かが完成、ということが多すぎる。
文化に関わるひとたちが、なにか絶対に譲れない価値とか倫理とかを真ん中に置くことを恐れ、「ダサい」こと=「間違っている」と思い込んで、ひたすら「ダサさ」を避けつづけ、「間違っていない」「言い訳」を無限につめこんだ「それらしい」何かを「繊細に」言おうとする。
そこには、一見「細やか」に見えて、ホームレスのいる公園を潰して商業施設にしてしまうような、華やかなまがまがしさと繋がる暴力が潜んでいると思う。
(Takuroさんのツイート↓)
突然、日本だけコロナが終息したようなデータに‥。他国はデータを出し続けているのに、日本はやめてしまった。データは出しましょうよ。判断材料は必要ですよ。
https://twitter.com/triangle24/status/1662073346673246209?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
(引用されているよっしみ〜さんのツイート↓)
日本だけ珍奇な現象が起きています。
日本の科学に対する信用を失いかねません。
https://twitter.com/yoshimy_s/status/1661909298417651713?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
よく物語だとマイノリティが傷ついて「でも、明日に向かって前を見て歩く」というラストが好まれますよね。あれ、いつも読む/観るひとの勝手な都合に合わせているな、と思います。それは、そうしないと生きていけないからで、ずたずたのまま時間をただ送るしかできないこともあるし、メンタルの健康を損なって伏してしまうこともある。自死を選ぶことも。
「明るい明日へ」というメッセージそのものが、そうできない当事者を責めるように響くことも多いです。
反差別等について終わりなき勉強中。トランス差別に反対します。フォローはしない方針。21年4月から肉・魚やめた。乳・卵も極力避けてる。オタ話もするよ。