低学年の日本語を教えている日本人教師が「デスマスの丁寧語じゃなくてすぐに友だちと使える日本語を教えるべき」と言ったことに、真っ向から反対して彼に嫌われたみたい。
「すぐに使える日本語」ってなんだろう。すみませんじゃなくて、ごめん!と言えること?てにをはの助詞がなくても通じるから、それをヨシとする日本語授業?
最初からそれだったら、結局街で買い物ができる程度のBroken Japaneseの域を出ないのでは?
大人の会話学校(そんなものはオーストラリアにはないけれど)や大人の会話家庭教師ならそういう「すぐに使える日本語」を教えてもいいけれど、最後には受験会話のある本当に日本語と日本文化が好きな生徒にはいい影響を与えないとわたしは思う。
生徒たちには「きちんと正しい日本語を習って違いがわかってからカジュアルに崩しなさい」と言う。
ずっと何年もそうしてきて、そのまま日本に行った子もいるし、日本語を使う弁護士になった子もいる。「センセイ、やっだー、そんなの今の高校生なんか使わないっすよーーー」と言ったのはその元生徒の弁護士(すでに30過ぎ)だ。日本語の使い方が流暢になって、まだわたしのことを覚えていてくれて、センセイはやっぱり嬉しいよ。
#日本語 #日本語教師 #オーストラリア #日本語教育
@gaby その最初が肝心なのですよね。言葉は文化、リスペクトがあってこそ通じるもの。がびさんの仰る通り、適切な表現を学んでから崩し方を覚えればよいのだと思います。
地元の英日国際児の日本語クラスをサポートしてきましたが、みんな丁寧な表現がベースにあるからこそ、先生と話す時とお友達とふざける時の会話の使い分けができる。逆は無理ですよね。
@etta 使いわけがわかり始めるのは受験をはさんだ上級生なのです。だから下級生しか教えていない彼にはその過程が理解できないのかもしれません。
@gaby 禿同過ぎます。悪い言葉とかスラングをやたら使いたがる非ネイティヴスピーカーのその言語レベルが危なっかしいのと似たロジックだと思います。外国語学習する時は「正しいxx語を習って違いがわかってからカジュアルに崩す」が王道だし結局近道だと思うのです
@manchee902 カジュアルだけ教えていたら、結局どの場面でどう使えばよいのかをすっ飛ばしているわけで、結局は日本文化と連動さえもできなくなるんですけど、彼にはそれでも理解できなかったようです。
@gaby ドイツ語やフランス語だって Duzen や tutoyerしかできなかったら誰もまともに扱ってくれなくなると思いますが.ドイツでは,昔は,トルコ人出稼ぎ労働者の第一世代が,この問題で実際に人間扱いされなくてちょっとかわいそうだったことがあったのですが ... この「すぐ友だちと使える」は,むしろなんか Kolonialherr みたいな感じで日本人と接しようとしているというようなイメージなんではないか,という気がしてくるのですが,それは勘ぐりすぎで,むしろ漫画に出てくる日本のようなものを想像しているからなのか?
@sakaefchn 漫画を読みたいから「日本語を習いたい」という初級生徒もいますから。初級日本語より「すぐに漫画が読める日本語」を教えないと、生徒が飽きるとも言っていました。
@gaby 僕の同僚 (ドイツ人なんですが日本では僕は彼の日本語を改良する義務があると思って彼とはドイツ語で話すことはほとんどありません) が,ラノベが趣味というニュージーランド人の留学生を指導していたことがありました.この学生のおかげで,ラノベというものの存在を知りました.僕の指導したブラジル人の博士の学生も,漫画やラノベではないけれどジブリのファンでした.でも漫画だって,ものによってはかなり日本語のレベルが高くて,丁寧表現の段階がきちんとわからないとちゃんと読めないと思うのですが.今,書いている本でコラボしている漫画家の人がいるのですが (イラストをお願いしています) 彼/彼女 (性別を公開していないので) の書く漫画のセリフの日本語はかなり高度な日本語力が必要になるような気がします.
@gaby 先代の勘九郎さんの言葉と言われる「型破りって言うのはなあ、型があるから型破り。型が無ければそいつは単なる形無しなんだよ」を思い出しました。
gabyさんの仰る通り、正しい日本語をまずは学んでこそ、それを崩して使えるようになるのだと思います。
とはいえ、コスパやタイパを気にする世代は、そんなまどろっこしいことはやってられないのかもとも。