「もし全人口に対する各社会集団の比率がほとんど変化しないならば、社会的移動は主として下方に向かうであろう。社会の上層で高い出生率と低い死亡率が一緒になったことが、こうした結果を生むことになるに違いない。…たとえばマルサスは、社会階級別の出生率に関して、逆の仮定をしようとしていたのである。それか彼が、中層と上層の人びとは結婚を考える際に、慎重になりがちであると考えたからである」114頁
「高出生率が幼児の死亡率低下を伴いながら続いたことにより、ヴィクトリア朝の家族をうみ出した。それは伝説によれば大家族であり(もちろんフランスを除く)、事実、何世紀もの間のヨーロッパの家族よりもだいぶ大きかったであろう。しかし増加したのは、人口学的意味における完全家族規模(つまり、ある年齢で結婚した女性がその出産可能期間の終了までに産んだ、死産を含まない子供の数)よりも、むしろ同居家族と呼びうるもの、すなわち1つの家族単位内で両親と同居する子供の数であった。子供があまり死ななくなり、片親の早死によって結婚が中断されることが少なくなり、そしてある地域では出生率もまた増大することによって、子供たちは大勢の兄弟のなかで育っていくようになった。また非常に若いうちに子供たちを奉公に出すという慣習がすたれていったという可能性があり、そういう場合には。同居家族の規模を大きくさせる傾向をもたらすようになっただろう」199-200頁
115頁