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「フェミニズムとマチズム
 兄弟間の非対称性原理は男と女の関係に影響を及ぼし、絶対核家族モデルと平等主義核家族モデルでは関係のタイプが異なることになる。
 核家族はその2つの変種ともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。…逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、『平等主義』家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。
 絶対核家族は反対に、兄弟の平等や男性の連帯を意に介さないのである。それは夫婦の絆をもっとも徹底した——平等主義的な——帰結にまで発展させることで、アングロ・サクソン諸国の人類学システムを地球上に現存するもっとも女性主義的なシステムにしている。
 絶対核家族は、内部に矛盾を孕まない安定した構造である。平等主義核家族は、<夫婦の連帯>の原理と<両性の不平等>の原理との間の矛盾を抱えている。この家族構造は、双系制の核家族システムのなかで男性の優位を肯定するラテン諸国のマチズムに至りつく」178-9頁

「絶対核家族は<先験的に>兄弟の関係を決定していない。家族関係の領域において、平等もしくは不平等の原理には無関心なのである。社会的関係の領域で、対称性あるいは非対称性の原理に対していかなる明確な態度も生み出さない。
 平等主義の文化は民族間の同等性を欲する。不平等主義の文化は、優れているか劣っているかを決めたがるのである」201頁

「内婚制共同体家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
 ——結婚している息子たちと両親の同居。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚が頻繁。」206頁

「徹底した父方内婚制を実践していたアラブ世界によって生み出されたイスラム教は、外婚制規制が弱いか皆無の隣接地域全体に広がった。イスラム教は内婚制システムを生み出したわけではない。ただもっとも極端な近親相姦の形態を禁止するかたちで内婚制を組織立て調整したのである。つまり古代エジプトの兄弟・姉妹間の結婚、ゾロアスター教のイランの兄弟姉妹間の婚姻、古代パレスチナの異父母兄弟・異父母姉妹の婚姻を禁止したのである」208頁

「中核の均質性
 イスラム教は、その中心部である内婚制の地域ではキリスト教に対して有利さをもっている。ただ歴史の偶然によるのではなく、人類学的な土壌が存在することでより大きな適合性があるのである。キリスト教に通底する共通点は、外婚制という規則だけである。…イスラムはもっと精密であり、もっとも限定的である。…外婚制とアノミー家族の周辺部を除くと、イスラムは、人類学的観点からは完璧に均質性を保っている。反対にキリスト教は、平等主義核家族もしくは絶対核家族、権威主義家族そして外婚制共同体家族を含んでいる」213-4頁

「人間関係の水平性…
 水平的で閉じたシステムである内婚制共同体家族は、おそらく人類の歴史において造りだされた環境のなかで個人を統合させる力のもっとも強い環境なのである。…例えばチュニジアとトルコで行なわれた社会心理学的なアンケートは、イスラム家族がもっとも分裂の少ない家族のひとつであり、父は子供たちにとってまったく脅威とは受け取られていないことを明らかにしている」215頁

「内婚制のプロセスは女性の完全な管理を前提にし、結婚のための偶然の出会いや管理されない妊娠の可能性を排除するものなのである。…
 イスラムはいかなる文明よりも、まさにレヴィ=ストロースが優れて不安を掻き立てるメカニズムだと認識した家族間で女性を交換するという至上命題を最小化したのである。イスラムによってもたらされたこの外婚制の問題への解決策は、女性に特殊な地位が定義されており、否定的な理想が前提となっている点で理論的な極限といえるもので、おそらく越えることのできないものなのである」215-6頁

「イブン・ハルドゥーンは血族と国家を区別しない。イブン=ハルドゥーンは政治権力の強さは、一定の時代に4世紀以上は続くことがないある血族の活力に基づいていると考えている。彼にとっては、血縁の概念は衰退という概念を含んでいる。『ひとつの家族の威光は4世代で絶える』、息子は『父に値しない』。ここに政治的なイスラムの歴史を作り出す王朝の繁栄と衰退が由来する。
 国家の弱さはイスラム世界を政治的な分裂へと導く。イスラム世界は、ローマ、中国あるいはロシアのような帝国として存在することができなかった。…兄弟の連帯という観念は、世界の他のどの文化よりも統一への熱望と分裂の能力を併せもっているイスラム文化の根本的な矛盾を理解させてくれる。
…イデオロギーのレベルではなく家族のレベルでは、内婚制的な閉鎖性を生み出し、イスラム社会が個人からなる共同体ではなく、家族が並立することで成り立っているという様相を醸し出す。イスラム教徒共同体(ウンマ umma)の構造がそれであり、家族ではなく個人の集合である国民というヨーロッパ的な観念と対立する」220頁

「社会主義とは閉じていた家族が拡張され共同体として囲い込まれた姿を再発見したいという欲望なのだ。テンニースであればゲマインシャフトの再発見と表現したことだろう。
 社会主義イデオロギーは、同様に家族構造から派生した他の要素によっても変化する。
 ——共産主義は、平等主義かつ権威主義。
 ——社会民主主義は、不平等主義かつ権威主義。
 ——アラブ社会主義は、平等主義だが自由主義ではなく、ヨーロッパ的な意味で権威主義でもない」223頁

「強力な原理主義運動が盛んな地域は急激な変化を経験しつつある地域であるが、そこでは結婚年齢が上昇していることである。原理主義が支配的な勢力になったイランがその理想的な例である。結婚年齢の上昇が近代化プロセスに不可欠な要素である故に、原理主義はすべてのイスラム諸国をいずれ脅かすことになるだろう。すでに1980ー1982年の期間において、強烈な宗教的現象は結婚年齢の比較的高い地域と地理的に一致しているのである」226頁

こういう予言チックな言い回しが、この人の魅力よね😅

「血縁結婚の内分けの変化…都市化プロセスが親族システムに<母系的な偏向>を引き起こしている。内婚制モデルが維持されながらも、変容が起こり、都市層での妻と母の重要性の増大を示すようになる。イスラムの地においてさえ、近代化のプロセスは、女性の権力の増大を引き起こしているのである。そこからイスラム教徒でありイラン人である男性たちの不安が生まれたのである。彼らがホメイニとともにすすめた闘いは、幾分はシャーに対抗するものであったが、しかし多くはチャドール(女性のスカーフ)のため、つまりはシャーが薦めた女性解放に反対するものであった」227頁

一種のバックラッシュか…今のイラン情勢を見るに含蓄深い分析だなあ

「非対称型共同体家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
 ——結婚している息子たちと両親の同居。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚を禁止、<逆に>異性の兄弟姉妹の子供同士の結婚を奨励。
関連する地域
 インド南部」234頁

「システムの力動的で決定力をもつ要素は家族という目立たないが、より堅固でより濃厚な下部構造に求められねばならない…此岸においても、彼岸におけると同様に、単純なもの(家族)が複雑なもの(イデオロギー)を生み出しているのであり、その逆ではない」235頁

「父方の外婚制と母方の内婚制というこのメカニズムの2つの側面は、両方ともに重要なのである。インドのイデオロギー上の原理、とりわけカースト・システムを生み出しているのは、この2つの規則の組合せである」238頁

「インド南部では、兄弟と姉妹の関係が極めて重要であることから、家族システムが母系制の傾向を帯びている。インド北部で頻繁な女性の幼児殺しが、南部のドラヴィダ地域では姿を消すのである」243-4頁

「この亜大陸における言語、儀式、慣習の驚くべき多様性にもかかわらず、ひとつの人類学的な形式がインド全体に共通している。それは核となる家族構造が共同体家族であり、男性集団を外婚制が貫いていることである。2つのヴァリアントがインドの空間を二分しながら、この外婚制共同体家族という一貫した形式を補っているのである。
 北部では、外婚制は父系、母系の両方に及び、結婚の禁止は母方の家族にも適用される。
 南部では、外婚制は部分的であり、母方の親族とのイトコ婚を奨励するシステムと組み合わされている。この非対称的な内婚制のモデルが断ち切られると、インド南部の家族は単純な外婚制共同体家族に変容することになる。…このようなシステムの解体が共産主義の強力な浸透を極めて順調に推し進めたのだ」245-6頁

「アフリカの母系制システムでは、母方のオジは遠くにある理論的な権威にすぎないが、ケララでは伝統的な家族組織は安定したシステムであり、現実に権威が存在している。
 父親否認はケララでかなり広く行なわれる一妻多夫の習慣によって強化されている。『通い夫』〔visiting husband〕は一人ではなく、複数の夫たちが代わる代わる妻の好意に浴する形になっているのだ。このような父親の役割の分散化は、実際の権威を明瞭にオジと母親の側に位置づけることになる。
…地球上でもかなり希少なこの一妻多夫婚は、その他のいくつかの点で異なる数百キロ離れたセイロン島の家族システムにも見られる」249頁

「アノミー家族の特徴
 ——兄弟間の平等は不確定——相続上の平等規則は理論的なもので、実際は柔軟。
 ——結婚している息子たちと両親の同居は理論上拒否されているが、実際上は受け入れられている。
 ——血縁結婚は可能であり、しばしば頻繁に行なわれる。
関連する地域
 ビルマ、<カンボジア>、ラオス、タイ、マレーシア、<インドネシア>、フィリピン、マダガスカル、南アメリカのインディオ文化」256頁

「村落のレベルで行なわれたいくつかの調査によれば、王侯たちの内婚モデルに類似した現象が常に大衆層のなかにも確認できることが示されている。エルマンやランケのようなもっとも信頼できるエジプト学者は、農民と職人からなる古代エジプトでは兄弟と姉妹の結婚はありふれたことであった、と考えている。カンボジアの或る農村で実施された研究では、王侯の家族で許されている異父(母)兄弟と異父(母)姉妹の結婚は、より慎ましい階層である底辺の水稲耕作者たちにも同じく受け入れられていたことが示されている。インカの問題も比較的新しい民族学的な資料に当たれば解決することができる。『南米インディオのハンドブック』によると、現在のアイマラ族(インカ帝国の民族学的構成要素のひとつ)では性の違う双子が頻繁にもしくは一貫して結婚している。この<教科書>の論文の著者は、住民数千人の地区にそのような夫婦を3組確認している」257頁

「ヒーナヤーナ[小乗]仏教に呼応する南のアノミー家族システム…をマハーヤーナ[大乗]仏教圏を形成する北の密度の高い縦型のモデル…から分ける…
…規模が大きく密度の高い家族システムと地理的に一致するマハーヤーナ仏教は、家族の長に解脱の境地に達する可能性を認める。ヒーナヤーナ仏教では、この救済の仏教的な形態が宗教上の達人に限られるものとされている。つまりウェーバーの表現を借りるならば、家族構造から離脱した僧侶に限られるものとされている」259-60頁

「縦型の外婚制で権威主義的共同体家族システムにおける権力は、個人の外部に存在するのではなく人々の頭のなかに存在するのである。ひとびとはその教育システムによって服従に慣らされている。そして外婚制メカニズムが社会全体との接触を強制している。外婚制システムのなかにはひとつの構造化作用が存在している…遠心的な力が個人を家族の外へ押し出し、社会全体が相互に作用することができるメカニズムを生み出しているのである。
 アノミー家族は全く違うものを生み出すことになる。核家族型で一定した規則に拘束されず、教育のやり方が厳格ではないために、構成員たちに規律の原理を習慣づけることがない。したがって社会の裏面で機能するこの構造化作用を生み出すこともない。求心的な派生力に任されたまま外婚的な拘束が働かないために、各個人が出身集団に舞い戻ることになる」262頁

「件の議論[アジア的生産様式論]には背後にある家族構造の分析が欠落していたためにこの権力の2つの類型を区別することができなかったのである。アジア的生産様式の概念は実際には、中国やロシアのように外婚制共同体家族構造に依拠しようが、エジプトやカンボジアのようにアノミー型の人類学モデルに依拠しようが、専制的な様相を呈したすべての権力を一緒くたにしている」263頁

「母系権威の尊重というのはすべての核家族システムに特徴的な傾向であり、アノミー家族はその変調した一形態にすぎない。南アジアの家族システム——ビルマ、タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア——は、相続に関して女性に男性と同じ権利を与えている。人類学の慣例的な用語では、これらのシステムは明瞭に双系制であり、外婚制共同体家族が女性を相続から排除しているベトナムや中国のそれとは反対である。
 南米のインディオ地域や殊にアンデス山脈では、男女の平等的な関係は相続の規則に常に現われてはおらず、しばしば女性を排除していることが確認されている」265頁

「家族の構造と人格の構造
 それぞれの家族構造には、それぞれ呼応する人格的構造が対応している。人格構造というのは、心理社会学的な意味での<基本的な人格>(様態)であり、個人の人格の意味ではない。権威主義家族には権威主義人格が、外婚制共同体家族には共産主義的人格といえるものが対応する。
 アノミー家族は、殊に興味深く分析が難しい平均的な人格を生み出す。…アノミー・システムでは、その環境を構成する人々を認識するのに、平等主義や不平等主義の観念、対称もしくは非対称の原理に基づかない」271頁

「アノミー家族システムのもっとも特徴的なイデオロギー形態を実現しているのは、イスラム教ではなく仏教なのである。
 ヒナヤナ[小乗]仏教がそれである。なぜなら集団的な救済よりは個人の救済を説き、修道のための放浪の徳を説いているからである。ヒナヤナ仏教は、核家族で個人主義的な構造によく適合している。神聖なものの概念が確実ではないこの仏教は——ひとつの神の存在を断言しておらず、しばしば不可知論または無神論と考えられる——父にわずかな権威しか与えない縦型構想の弱い家族構造の産物であることは非常に明確である」272頁

「アフリカ型諸家族システムの一般的な特徴
 ——家族グループの不安定さ。
 ——複数婚」282頁

そんだけかよ😅

「近親婚の禁止においてキリスト教よりも寛大なイスラム教ですら姻戚婚のタブーにおいては十分厳しいのである。イスラムは妻の妹との複数結婚、そして義理の母との結婚を禁止しているのである。数多くの例外を含みながらも、一般的にアフリカは、近親婚を厳しく禁止しながら、姻戚婚についてはその禁止が弱いという逆のモデルを示しているのである」283頁

「父不在の世界?
 アフリカにおける遺産の相続は、それが物であれ女性であれ、ヨーロッパやアジアの定住共同体において実行されている縦系列の相続の論理を取らない。相続は多くの場合、縦系列よりは横系列にそって行なわれる。遺産は父から息子へ受け継がれるよりもむしろ、兄から弟へと受け継がれるのである。この慣習は、アフリカで最も人口の集中した地域であるギニア湾の沿岸地方と内陸部の西アフリカにおいて殊に頻繁に行なわれている。
 横系列にそった相続の仕組みは、イスラム法においても萌芽的なかたちで存在している。コーランによれば、兄弟たちも相続に預かることができるからである。それが西アフリカにおいては支配的な社会的慣習となっており、家族における重要な関係が父と息子の繋がりよりも、むしろ兄弟同士の関係であることを明確に示している。このような横系列の相続システムでは、親の権威に対する姿勢は曖昧で、その権威は弱い。多妻家族の構造は、それぞれ独立した複数の下部家族からなり——それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおり——親の権威を解体するかたちになっている。父親は遍在する存在だが、これは父親がどこにもいないことでもあるのだ。
 この西アフリカの諸家族システムが奴隷売買によりアメリカに移植された」284頁

「西アフリカ家族は母と子の絆が強く父が不在であるという特徴を持っており、いわば家族の中核が分裂した状態を基盤としているのである。
 地球上の人類学・社会システムの大半では、識字化はまず男性に現われる現象である。…この男女の格差は、イスラム教の国々では圧倒的であり、中国型の外婚制共同体型社会においても非常に大きい。核家族型、権威主義型、そしてアノミー家族システムにおいては、この両性間の隔たりは少なくなるが、消滅することはない。
 アフリカ型家族モデルでは状況が逆転して、文化的発展の過程で女性が男性よりも優位に立つのである」285-6頁

「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである。しかし多様な形態を見ることができる家族それ自体は、いかなる必然性、論理、合理性によっても決定されてはいない。家族はひたすら多様なかたちで存在するのであり、数世紀あるいは数千年にわたって存続するのである。生物学的、社会的な再生産の単位である家族は、その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は歴史を通して、同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで、人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは、DNAーRNAの遺伝子サイクルのように、意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で、非理性的なメカニズムてあり、まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり、揺るぎないメカニズムなのである。しかもこのメカニズムは、それを取り巻く経済環境、エコロジー状況から全く独立しているのである。家族システムのほとんどの類型が、地形、気候、地質、経済の全く異なるいくつもの地域に同時に存在している」290-1頁

「イデオロギー的にイスラムに対応する内婚制共同体家族だけが、唯一おおよそ気候的にひとつの地域に存在しており、大西洋からアフリカと中近東を経て中央アジアへと広がる乾燥地帯にまたがって確認される。しかしながら、すべての乾燥地帯が内婚制共同体家族と呼応するわけではない」291頁

「いかなる規則、いかなる論理とも関係なく地球上に散らばっているように見える諸家族構造の配置が示す地理的な一貫性の欠如は、それ自体ひとつの重要な結論なのである。この一貫性の欠如は、社会科学によって疑わしいものとして捉えられているが、遺伝学によって次第に認められてきたあるひとつの概念を想起させるものである。つまり偶然という概念を。家族システムとは、情緒的なものであり、理性の産物ではない。それはいくつもの小さな共同体のなかでなされた個人的な選択を経て何世紀も前に偶然に生まれ、次いで部族や民族の人口の増加とともに広がり、単純な慣性力によって維持されたものである。誕生した家族システムのすべてが生き延びるわけではなく、その多くが消滅したのである。…確定できない過去からやって来たこれらの人類学形態の集合は、20世紀に入って近代という理想にいたずらをしたのである。この人類学形態が、近代という理想を捉え、変形させ、各地域の潜在的な価値体系にそって畳み込んだのである」292頁

「遺伝学」や「選択」を吉川浩満的に誤解していると思ふ。また、種は「慣性力」により「維持」されるものではないし😅

「20世紀の歴史を決定したイデオロギー分布の源には、家族の存在があったのである。しかし地球におけるイデオロギーの歴史とは、人類学的な条件を基底にしながらも、偶然が介入することによって生まれた目的を持たない運動なのである」292頁

「<1970-1980年頃の女性の結婚年齢と識字率の相関係数は非常に高く、プラス0.82である。世界で人々が読み書きができる地域というのは、女性があまり早く結婚しない地域であり、成長期間が長い地域である>」311頁

「<女性の結婚年齢と識字率>の相関係数(プラス0.83[0.82?])は、事実、男性の結婚年齢と識字率のそれよりもはるかに高い。一般的な結婚年齢よりも女性の結婚年齢の方が鍵となる変数なのである。
 とりわけ顕著に見られることは、女性の結婚年齢と男性の識字率の相関係数(プラス0.79)は、男性の結婚年齢と男性の識字率の相関係数(プラス0.65)よりはるかに高いことである」312頁

「文化的水準の高いところは女性が晩婚のところであり、女性が子供として遇されることもなければ、物として扱われることもないところである。…夫婦の年齢差が小さいところでは、識字率は高いのである(相関係数はプラス0.55)。文化的テイクオフとは、女性が子供として遇されることがなくなり、妻が子供として処されることがなくなることでもあるのだ」313頁

「仮説——<家族システムの教育的な効率性は、母親の権威の力によるであろう>。この母親の権威は、人類学的な2つの異なる要素に依存している。一般的な親の権威の水準、そして家族システム内での女性の相対的地位がそれである。
 親の権威そのものが強く主張され、さらに女性の立場が高ければ高いほど、子供たちに対する母親の権威は強力なものになるのである。
 この2つの人類学的変数——親の権威と女性の地位——の組み合わせによって、さまざまな家族システムの教育的な潜在力を<先験的に>定義し得る類型を想定することができる」314頁

「組み合わせと類型
 親の権威を現す変数——縦型か非縦型——と女性の地位というもうひとつの変数——父系制・双系制・母系制——の組み合わせは、6つのケース、成長についての適性が異なる6つの家族タイプを生み出すことになる」316-7頁

フォロー

「大衆の識字率と社会的な変容の間に論理的で経験的な関連性を見出すことは容易である。政治的な諸革命は、一般的にいって近代的なイデオロギーにおいて不可欠な要素である読み書きの能力を<男性たち>が獲得した直後に起こっている。人口学的な革命については、とりわけ<女性たち>が識字化されることによって条件づけられているように思われる。これらは当然のずれである。なぜならすべての社会において、私的な文脈であれ、公的な文脈であれ、男性たちは暴力を独占しており、女性たちは子供の出産の実際の管理を行なっているからだ。一般的に、男たちが女たちよりも早く読み書きを習得することによって——アフリカの一夫多妻制の社会における母系的な偏向のケースを除いて——政治革命がわずかながら人口学的な革命、とりわけ出生率の低下に先行することになるというのも当然のことである」444・446頁

「経済革命は、実際に近代性へ到達するプロセスの総体とつながってはいるが、そのプロセスの最後に出現する<従属的>な変数にすぎないのだ。経済革命は、論理的に、そて歴史的に先立つ政治革命と人口動向上の革命の後に出現する第3段階に過ぎないのである。
 2つの図式が、この著作で提案されている成長についての人類学的で文化的なモデルと経済学的な説明とが鮮明に対立することを示している」445-6頁

「ローレンス・ストーンは、イギリス、フランス、ロシアでの3つの革命の極めて重要な共通点を発見した。それはこれらの政治的、イデオロギー的な騒乱の直前に、男性の識字率が50%に達したところであったということである。これは根本的な発見であり、このことによって革命という現象と近代化の達成とを厳密に関係づけることができるとともに、同時にまだ実証されていない労働者階級の役割についての古い仮説を回避することができ、これら3つの革命の場合にそれぞれイデオロギー的内容が異なるという問題を避けることができるのである。これらの例では、大衆の識字化は争乱への道を開き、それぞれの場所での固有の内容を盛り込んだ大衆のイデオロギー的な活性化を可能にしたのだった」449頁

↑ L. Stone (1969) “Literacy and Education in England, 1640-1900,” Past and Present.

「無意識な価値体系の意識的な形式化である諸イデオロギーに共通するのは、つまりところ伝播の様式だけである。…私は『第三惑星』で、近代化の文脈のなかでは、ある特定の国における特殊なイデオロギーの強力な出現が、対象となる地域の支配的な家族構造との間に密接な呼応関係をもつことを明らかにした。イデオロギーは、家族生活を構造づけている価値体系にそって無意識的に構築されていて、それらの価値体系の文節化された表現を提供しているに過ぎない。家族構造の3つの要素が、イデオロギーの内容についてのこの人類学的な分析で浮上してくる。両親と子供たちの関係、兄弟間の関係、そして近親相姦の禁止の強度の3つである」459頁

「家族構造とイデオロギー・システムとの間の空間的な一致は、家族構造と文化的な発展水準との間の一致よりもより明確に確認できる。イデオロギー的な価値は、伝播を拒む閉じた集合を定義する。人間の普遍的な潜在能力である識字化は、反対に家族システムを越えて伝播する領域を生み出す。しかし、この2つの決定作用を家族構造によって組み合わせることで理論的な一般モデルを作成することができ、人類学システムがイデオロギーの発達に及ぼす二重の作用を浮上させることができる」462頁

「ひとつだけは確かである。ヨーロッパに誕生した大思想システムのイデオロギーとしての拡大は、ほとんど終了したということだ。自由主義、共産主義、古典的な社会民主主義は、それらに相応しい人類学的な地域をほとんど埋め尽くした。つまり特定の家族類型によって規定され、若い男性の識字率が70%を越えたいくつかの地域をである。本当のところを言うならば、1960ー1983年の間の大衆の暴力現象の大部分は——ベトナム戦争の終結を除けば——、すでに人類学的な基底がヨーロッパとは異質な諸地域に関係したものであった。つまりはイデオロギー的に求めるものが異質な地域であった」466頁

「この本で紹介する人類学的なモデルは…出産の諸指標の推移について人類学的な構造がもつ二重の作用を描き出すものである。第1の作用は、家族構造と識字化との関係、さらには識字化と出生率の低下との関係をつかさどる作用であるが、これは間接的であると同時に支配的な作用なのである。第2の作用は、家族システムと出生率を媒介なしに結ぶものであるが、これは直接的ではあるが二義的な作用である。
 家族構造は、識字化を促進させたり、遅らせたりする。しかし、より直接的に人口動態的な変容にさまざまなかたちで影響を及ぼすのである。それも互いに自立的ではあるが、しばしば相矛盾するかたちで作用するのである」476-7頁

「1980年頃のアジアの出生率分布地図は、おそらく人類の歴史のもっとも古い民族学的な断絶のひとつを再現している。インド・アーリア、もしくはイスラムである中東の文化とドラヴィダのインドからインドネシアにわたって広がる纏まりとを対立させるものである。つまり麦の世界と稲の世界を対立させるものである」480頁

ここでは通説とは逆に、「麦の世界」の方が出生率が高い

「情報交換が容易となり成長のサイクルに入った世界では、<権威主義家族>→<識字化>→<死亡率の低下、次いで出生率の低下が起こり、ついには生活水準の上昇>へと至る一連の展開を経験する。だがそれにはかなりの時間を要する。このプロセス全体に当たるプロテスタントの宗教改革から20世紀の中葉までは少なくとも400年が経過している」490頁

「成長の人類学的な分析は、ふたつの現象を明らかにする。ひとつは論理的に最初に現われる現象であり、もう一方は次に現われる現象である。
 最初に現われる現象とは、ある種の家族類型の存在と内発的な文化的発展のプロセスの間に構造的な一致が存在することである。
 次いでの現象は、内発的なテイクオフが起こった中心から文化的な発展が伝播する運動のことである。この伝播はそこにある人類学的な素地が文化的な成長を受け入れやすいものであるところでは、より迅速に展開する。
 構造的な一致と伝播という運動の両者は、ともに人類学的な領域に属する現象である。両方ともが、その解釈のよりどころとして基本的な人間関係の重要性、個と個、親と子、隣人と隣人との繋がりの重要性を前提としている。このモデルによって、一般的に個人を超越し、人間を越えた抽象的で集団的な社会的主体を想定した伝統的な社会科学の一連の重い概念装置から実際上逃れることができる。…人類学的なモデルは、脱人称化と擬人化を同時に施されたこれらの主体の存在や意志を引き合いに出すことなく成長を説明することができるのである。とりわけ無用なのは、文化と同様に経済の成長において重要な動作主として一般的に考えられている国家という概念である」498頁→

(承前)「しかしここで問題となる個人とは、経済分析で扱われる個人のことではない。合理性によって定義されるのではなく、人間間の関係をつかさどる地方システム、地域システムによって定義されるものであり、その中核には家族組織がある。
 各家族システムは、本質的にふたつの変数からなる一定の文化的潜在力を生み出す。親の権威の力と女性の地位の2つがそれである。事実を検証すれば、権威主義的で女性の地位が比較的高い家族システムが、識字率の地図の上で内発的な成長の中心としての姿を現わしていることが分かる。…
 成長への適性が強、中、弱とある家族システムの人口を分析してみると、それに伴なう文化的な活性力の3つの水準が地球上で同等に分布しているわけではまったくないことが分かる。…この大陸[ヨーロッパ]の早いテイクオフは一般的な優越性からきたのではなく、人類学的な構成要素の有利な配分によるのである。…
…遅くとも16世紀以降、世界の成長の原動力であった双系制で縦型の家族システムは、人口規模では、世界人口の8%に過ぎないのである」498-500頁

「国家による自立的な作用は存在しないわけではないが、多くの場合、幻想である。大幅に始まっていた文化的なテイクオフの文脈のなかで国家による作用が行なわれたとき——1917年から1969年にかけてのロシアのケースがそうである——、それは抗しがたいものとして目に映るが、じつはそれは市民社会の固有の活性力を捉え、ある特定の方向へ導くことに甘んじただけなのである。反対に、文化的な停滞の状況下では、国家による作用は不明瞭で様々な形の失敗に終わり、中央政府によって行なわれた投資的な努力は溶解され消滅していくのである。そこでは市民社会は反応せず、先進世界から輸入された機械に手を付けようとも、導入しようともしない。1960ー1980年の第三世界の典型的な光景である」502頁

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