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同じ正しいことを言ってるのに、権威や人気のある方ばかりを支持して、もう一人の方を何となく無視したり排除しがちなこの社会にありがちな傾向。結局権威主義なのを見せつけられる。

意味はよく知らないけど、映画館でおにぎり食べるのは、今は(感染症が流行ってるから)危険。笑

映像の中で幼い子が自分が今いる場所や今いる人たちのことを「一緒に暮らしてるだけ、家族じゃない」という場面が出てきて(しかもそれを言うのは1人ではない)、大人になればなるほどそういう言葉が聞こえなくなってきているのを観て、傷の深さを感じるというか。それは「家族」神話的によるものもあるのではないかと思うのよ。
この作品から「何かを学ぼう」とかできる人はいないんで…。みんな本当に頑張ってる。自立してる。
#映画館でおにぎりを

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ここからは映画の内容には関係なく、もう常々考えていることだけれど「家族」が血のつながった「他人」なのに、その言葉がもつ意味とかスティグマとか、逆に神話的な要素が強すぎて関係性が蔑ろになることとかさ。

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映画『大きな家』観てきた。児童保護施設のドキュメンタリーでDVDにも配信にも来ないということで劇場に行ったのだけれど、私たちは「家族」という言葉に囚われすぎていて、それが子供達にどういう影響を与えてるか真剣に向き合った方がいいな…。

「原口一博はそろそろクルド人ヘイトに参入するだろうなとは思ってたが、既に川口云々言ってるのか。」
x.com/japonistan/status/186939

「チャンネル桜での原口一博。
レイシストは願い下げである。」
x.com/Booskachan_Ver2/status/1

【速報】大阪・岸和田市長に市議会が「不信任決議案」20日可決へ 女性との"性的関係"めぐる裁判(2024年12月19日掲載)|YTV NEWS NNN news.ntv.co.jp/n/ytv/category/

【速報】大阪・岸和田市長に市議会が「不信任決議案」20日可決へ 女性との"性的関係"めぐる裁判(2024年12月19日掲載)|YTV NEWS NNN news.ntv.co.jp/n/ytv/category/

因みに私は面接の中では「隠れ身」をとても大切にしている人間なので、クライエントに対して治療者が「自己開示(自分のことを話すこと)」には否定的です。

ですから、SNSでも匿名性を守っての発信をしています。

「治療者は自己開示をもっとすべきだ」ということを言っているのではないです。

繰り返しになるけど、「治療場面での隠れ身と、一個人としての、一市民としてのその人がちゃんと社会にコミットする自分を持っていることは、別々のことであると同時に、車の両輪であり、どちらか一方では成り立たない」と言うことを言っています。

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ジャニーズ元タレント2人が、アメリカで、総額3億ドルの損害賠償を求める裁判を起こしたそうです。

arc timesの尾形さんのツイート↓より。

x.com/toshihikoogata/status/18

精神分析の「隠れ身」は、あくまで面接の中で仕事をする時に、患者さんの内的な世界の邪魔をせずに、守って作業をするためにあるだけで、

現実の世界で、自分がいつも自分の考えを隠して、患者さんを含めて皆を見下ろして評論家のように安全地帯からジャッジする権利を与えられるためにあるわけではないですからね。

そこを勘違いして、現実の世界でも、または面接の中でも自分を「一般人」よりも「一段高いところ」にある安全地帯に置いて、余裕をかまして自分を守るために、「隠れ身」を自他に対して使っている臨床家って少なくない気がするんだよな。

そんな権利は誰にもないのに。

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逆に言うと、仕事ではずっとそうやって、自分の価値観とか世界観は、一応(実際には漏れ出ちゃったりは年中してますけど)抑えている分、職業人としてではない、一市民、一個人としての自分をちゃんと持ってないと、仕事上もヤバいんじゃないか(自分のないお母さんが子どもに悪影響を及ぼすように、自分のない治療者は被治療者に悪影響を及ぼすに違いない)と思うので、

SNSで、こうやって自分の価値観や世界観を確立して、他の人たちなど世界との繋がりを持っていくことは、私にとってはとても大切なことだと思えるんですよね。

一市民としての、または個人としての自分があることと、それを面接の中でクライエントに押し付けないことは、車の両輪みたいなもので、どちらも大事だし、片っ方だけでは成り立たない。

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渡辺恒雄さん死去、98歳 読売グループ本社主筆、政界に影響力:時事ドットコム jiji.com/jc/article?k=20241219 @jijicomより

もちろん、そうやって考えて行った結果、「こんなおかしな世の中は変えていきたい。そのために自分の大事な時間を費やすことに悔いはない」みたいに思うのであれば素晴らしいし、何を言っても変わらない、しょうもない相手を恨んで詰って人生を終えるよりも良さそうな気がする。

ただ、あくまで本人の選択なので、それでも不実な相手を一生恨んで生きてやる…みたいなことも、別に否定はしない。

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で、職業的に私にできることは、その現実に起きていることについて、どっちが悪いとか、あなたは悪くないとか、そういうジャッジをしたり、肩を持ったりすることではないので(そんな資格は私にはない。もしそれをしてしまうと、それは私の価値観の押し付けになってしまう)、その怒りや羨みなどの奥にあるその人の感情を一緒に考えていくことだけ。

現実に起きている不正やら偏見やらと、現実世界で闘うことについては、私はやれともやるなともいう権利はない。基本的には、やりたければやれば良いとしか思わない。

但し、そのことで余計に本人に不利益が生じているように私から見て見える場合や、その人が考えるべき大事なことを考えずにいるための方便に使われてしまっているように見える場合には、一旦行動することを止めて、落ち着いて考えることを勧めたりはする。

例えばどんなに詰っても詮ないようなダメな夫とか親とかと、「このまま放っておくと一生離れずにバトルしてこの人の人生、終わっちゃいそうだけど、それってこの人にとって良いことではないのでは?」みたいな場合に、相手を詰るよりも、自分の中の怒りや悲しみに向き合って、それが何を求めて何が得られないから生じてくるものなのかを自分で考えられるようにするとか。

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