で、職業的に私にできることは、その現実に起きていることについて、どっちが悪いとか、あなたは悪くないとか、そういうジャッジをしたり、肩を持ったりすることではないので(そんな資格は私にはない。もしそれをしてしまうと、それは私の価値観の押し付けになってしまう)、その怒りや羨みなどの奥にあるその人の感情を一緒に考えていくことだけ。
現実に起きている不正やら偏見やらと、現実世界で闘うことについては、私はやれともやるなともいう権利はない。基本的には、やりたければやれば良いとしか思わない。
但し、そのことで余計に本人に不利益が生じているように私から見て見える場合や、その人が考えるべき大事なことを考えずにいるための方便に使われてしまっているように見える場合には、一旦行動することを止めて、落ち着いて考えることを勧めたりはする。
例えばどんなに詰っても詮ないようなダメな夫とか親とかと、「このまま放っておくと一生離れずにバトルしてこの人の人生、終わっちゃいそうだけど、それってこの人にとって良いことではないのでは?」みたいな場合に、相手を詰るよりも、自分の中の怒りや悲しみに向き合って、それが何を求めて何が得られないから生じてくるものなのかを自分で考えられるようにするとか。
逆に言うと、仕事ではずっとそうやって、自分の価値観とか世界観は、一応(実際には漏れ出ちゃったりは年中してますけど)抑えている分、職業人としてではない、一市民、一個人としての自分をちゃんと持ってないと、仕事上もヤバいんじゃないか(自分のないお母さんが子どもに悪影響を及ぼすように、自分のない治療者は被治療者に悪影響を及ぼすに違いない)と思うので、
SNSで、こうやって自分の価値観や世界観を確立して、他の人たちなど世界との繋がりを持っていくことは、私にとってはとても大切なことだと思えるんですよね。
一市民としての、または個人としての自分があることと、それを面接の中でクライエントに押し付けないことは、車の両輪みたいなもので、どちらも大事だし、片っ方だけでは成り立たない。
もちろん、そうやって考えて行った結果、「こんなおかしな世の中は変えていきたい。そのために自分の大事な時間を費やすことに悔いはない」みたいに思うのであれば素晴らしいし、何を言っても変わらない、しょうもない相手を恨んで詰って人生を終えるよりも良さそうな気がする。
ただ、あくまで本人の選択なので、それでも不実な相手を一生恨んで生きてやる…みたいなことも、別に否定はしない。