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鎌田さんの超重要な表明。
事実確認がはっきりしないけど、これだけを読み取ると、寺田があたかも党内を分断させるようなデマを流したと。
最低だな。

“立憲法務部門役員3名は、大阪入管酩酊医師について今年2月時点で知っていたとの投稿がありましたが、事実と異なります。
2月時点でも、それ以降も事実関係の確認をしていません。疑いにも至っていません。一昨日、大阪入管に行き、局長からの回答で事実関係の一部を認知しました。”

twitter.com/sayu4018/status/16


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衆院の法務委員会の時からやけど、寺田がFriendly Fireしまくってて無理。
立憲が分断してどないすんねん。
何やってんの?

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寺田が余計なことを。
じゃあ、なんでわかってて衆議院通したん?
立憲何してたん?
把握してた鎌田さんや牧山さんは後悔したりで、必死にやってるで。
あんたは何やってるん?
最低だろ。

“この問いかけがある以上申し上げなければなりませんが、あるきっかけがあり、本件については立憲牧山法務NC、私、鎌田理事の部門役員が、そのような医師が大阪入管にいる疑いを2月末の時点で知っておりました。3人で対応を協議し、今に至ります。”

twitter.com/teratamanabu/statu











『帰ってきたムッソリーニ(字幕版)』、観たい。面白かった。2018年の映画みたいだけど、確かにイタリアと日本の状況は似ているのかも。
watch.amazon.co.jp/detail?gti=

えっと、今、Twitterで寺田学が炎上してるけど、あの人はクロでいいとして、鎌田さんと牧山さんも知ってたってことなのか?…ちょっとTwitterで書くと怒られそうだからこっちに書くけど。それで鎌田さん、騙されてきたとか、自責の念がどうとか、激しく訴えてたのかな。

『loudstanding NAGOYA』名古屋東口ゲートタワー前、参加してきました。

ドラムと音楽、コールに合わせてloudに踊ってきたよ〜〜🎶🥁🎤なになに?と立ち止まってくれる人や遠くから写真を撮る人など、徐々に観客が増えて拍手をくれたり。

自分はひたすら踊っていたので訴求する余裕がなかったけど賑やかしになったかな?

#loudstandingNAGOYA
#改悪入管法の強行採決反対
#入管法改悪反対
#入管法改悪はやったらあかん
#WhyTheyDestroyingHumanRightsinJapan
#NoHumanIsIllegal
#StopKillingRefugeesJapaneseGovernment
#AcceptRefugeesJapaneseGovernment

1週間ぶりに畑行ったら、にんじんの花が咲いてた。にんじんの花初めて見たけど、打ち上げ花火みたいできれい。タネ取りしたいけど、ここからどうタネになるんだろう。にんじんのタネってどんなだっけ。

プロフ見てん? と思ったらなんとミャンマー国軍(実質)支持派だった。確かにこういう人にとってはロヒンギャの人が難民認定されるのは面白くないよな。 t.co/mtljiVmD65

@zpitschi 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、海外の知見を取り込んで感染対策をアップデートさせる訳ではなく、政府が提案する感染症対策にお墨付きを与えるために存在していたような組織だった。

科学的知見より権威主義に重きをおいた点で、まさにニッポソ的だと思う。

ぼくは結構自由に遠慮なく書いてしまってます、、、独語。

BT>

病気や障害に対する事前の情報って大事ですよね。

私は夫が3年前にコロナになった時(未診断)に、本人も私もすぐに「これはコロナかも」という風にすぐに考えられたことでどれだけ救われたか知れないと思っている。

夫も軽症だったし、症状がなかなか取れずに何ヶ月も不調が続いたけれど、それも未知の病気であるということの理解があったから(あの当時はまだ後遺症についての情報は」少なかったけど)、とにかく用心に越したことはないと思えたし、間違っても、気の持ちようとか、大げさとか、怠け病とか、うつ病なんじゃないの?とか、思わず、それでなくてもしんどい状態の中に余計な心理的な負担を上乗せさせずに済んだ。

コロナ後遺症だったときに難病の人たちの会に呼んでもらって体験を話させてもらった。

「それ、私らがいっつも感じてることよ」「病院に行くのさえしんどいのに、誰もわかってくれない」「支援もない」という反応が口々にあって、今まで自分がいかにわかっていなかったか実感した。

twitter.com/lematin/status/166

内心か否かの話だけど、

人間は自分がちゃんと自分の心の中にあるものだという自覚がないと、逆に外にダダ漏れしてしまうという心の仕組みがあるんですよね。

ただ、例えば昨今のインセルなどの場合では、自分の劣等感とかと向き合うことからの逃げで、半ば意図的に自覚的に、それをダダ漏れさせて、開き直るばかりか、それをダメだと嫌だと指摘する相手にこれでもかと晒して、自分の劣等感を相手になすりつけて転嫁するみたいなことを平然とやる。それを私は倒錯的な心の動きと考えています。

人に見せては恥ずかしい自分の心の内容を、恥ずかしいから心の中に押し留めておくのが普通の人間のやることなんだけど、そうすると、本人が苦しくなる。何故なら「俺は異常者なんじゃないか」と思えてくるし、願っていてもそれは満たされない願望になるので欲求不満に耐えられないから。

その苦しさは、例えば本人がカウンセリングを受けたり、自分の中で苦しんで本を読んだりして答えを求めて考えたりするためのモチベーションになるものなんだけど、ダダ漏れで撒き散らして、むしろそこから快楽を得ているうちは、その動機づけも生まれない。

だから、行為面での社会的なルール設定をして、本人が自分の心の中にある、本当は自分でも扱いに困るようなものを心の中に押し留めさせることは大事。

エアリプですが、私にとってカテゴリーというのは、自分を理解する手掛かりだったり自分を表象する記号だったりもするかもしれないけれども、同時にあるいはそれ以上に、自分に対して要請をしてくるものでもある、という感覚なのですよね。
(もちろんカテゴリと無関係にそれ以前に「自分」があるわけではないのですが、それでも感覚としては「自分」に対して「カテゴリ」の要請が来るんですよね)

トランス排除系の女性たちが「私だって女性でいたかったわけではない、女性であることを受け入れているわけではない」というのは、私はその感覚は共有していませんけれども、ただその感覚の出どころの感覚については共有している気がします。性別のカテゴリー(「女性」)は、何よりもまず、暴力的に自分に貼り付き暴力的な要請をしてくるものとして、経験されている。

これがAFABに特有の経験なのかどうかは私はわからないですが(そうでもないだろうとは思うけれど)、少なくとも私にとっては、性別を「引き受ける」ことをはじめとしたカテゴリーとの交渉は、そのようなカテゴリの暴力性への感覚を背景とするものです。

さて。
仕事…というか
仕事じゃないけど、作業に取り掛かるか。

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