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この映画観に行きたい!
「私の想う国」

新自由主義の政府が世界で一番初めに起こったと言われるチリ。
公共を取り戻すための人々の戦いのなかで
女性の言葉に焦点を当て、女性中心の社会運動を取材した映画なんだって!
uplink.co.jp/watashino/

バニラアイスの黒いつぶつぶがバニラビーンズなのは一応知ってたけど(使用したことはない)、あの甘い香りが実は、バニラビーンズの香りなのではなくて、サヤの香りだったとは知らなかった。

shop.sweetsvillage.com/blogs/k

前にパートナーと車で帰省したときに、途中疲れたから寝てから行くわって母に行ったら「ラブホいき、ラブホ」って言われて、う、うん。ってその場は流して、帰省したら、ラブホ泊まった?便利やろ?って言われてちょっとドギマギした。もう30超えてるけど母ちゃんとラブホの話するのは抵抗がある笑

あ、もちろん、障害認定に私は別にまったく否定的ではないのですが(「あんなこと書いたから誤解されるだろうなぁ」と思ったので言い訳しておきます)、

多分、私が言いたいのは、すべてを「こう決まっているから」的なことで推し進めようとすると、省エネで楽ではあるんだけど、

「こうしたい」(または「こうしたくない」)と言った、個々人の気持ちや欲求のやり取り(自我による主張)を省略できる分、ストレスは少なく済むのと同時に、そのストレスって、要は他者との交流から来るストレスなので、

それってつまり、交流せずに「決まりです」とか権威を使って「お医者さんがそうしろと言いました」上から(超自我的に)言える楽さなんだよなぁ〜みたいな気持ちに、わたし的には、なるのかもしれない。

伝わるかしら?

私の仕事は、逆に「超自我ではなく、自我にもっと力を持ってもらおうよ!」的なことがメインみたいなところがあるので…。「ワガママになろう!」みたいな。

U-NEXTで『破墓パミョ』の配信始まったみたいだな…。アマプラももうじきだろう。

わたし的には『密輸1970』の配信が待ち遠しい(こっちもU-NEXTでは始まっているのか)。

やっと最寄り駅まで辿り着いた(「乗り越し→引き返し」✖️2のあと)。

最寄り駅からのバス。

混んでる。最後尾の窓際に座ったので、窓を思いっきり開けてる。笑

信じられないことに、あのあと、もう一回乗り越して、今、さっきの駅まで引き返すところ。ゲンナリ。

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今日、お昼ご飯は、久しぶりでコンビニで買って食べたんだけど(人通りの少ない裏道の駐車場の奥で立ち食い。笑)、

値段見ずに手に取ってレジに並んで買ったBLTサンドみたいなやつ、よく見たら500円弱の値段で、

ぶったまげたけど、時間が無かったので、そのまま買って、追加で買おうと思ってたスパイシーチキンを諦めた。

コンビニ、高杉。

今日は、月に一度参加してるとある勉強会の日で、およそ20人くらいの参加者がいる中で、ここのところ毎回、マスクしてるの私ひとりだったんだけど、今日は7、8人、マスクしてた。

2020年にコロナ始まって、暫くはオンライン参加できてたからそのまま私も参加してたんだけど、オンラインが止めになってからは3年くらい休んでて、去年、いつまでも休んでいる訳にもいかないので、久しぶりで仕方ないのでマスクして参加して以来、こんなにマスク着けている人が多かったのは初めてだわ。

やっと少しこの危機的状況が理解されつつあるのかなぁ。

ずっと私ひとりでN95着けてて、誰も口にはしないけど、何となく冷ややかな、ちょっと嘲笑的(「いつまでもマスク着けてて神経質な人だなぁ」みたいな)とも言えるような視線を浴びながら参加してきたけれど(実際、微笑みながら遠回しに何となく批判的な言葉は受け取っていたし)。

逆に言えば、何なら切実なニーズはあるのに、名前がついてないから福祉などの救済のギャップに落ちてしまっていて、制度的に助けて貰えない状況があるなら、「その状況に名前つけて貰って、制度を作ってもらう」みたいなことをすれば良いわけで。

本来、現代的には「障害」って、そういう概念ですよね。「障害」でも「障碍」でも、私は漢字は何だって良いと思ってるんだけど、大事なのは、当事者のニーズがあるところに「障害」なり「障碍」なりはあるわけで、偉い人に上から「認めて貰う」ものではなくて、要求して「認めさせる」とか「必要なものは利用する」とか、そういうものでしかないと思うんですよね。

共産党の人たちも国会の同調圧力に屈してマスク外してるんじゃねーよ。タムトモさん、小池晃さん、ゾエもマスクしろよ。どの口で命を守るって言ってるんだ。

そうなんですよ。結局、大事なのは本人のニーズだと思うわけで、もちろん福祉や医療のサービスなどで、診断名が付かなければ使えないものはたくさんあるから、そういうのは使えるやつは使い倒せば良いと思うけど、

下手すると、診断名をスティグマみたいに思っちゃう人もいて、「いやいや、そんなものは皆んな当事者のために作られた、あくまで便宜的なものですよ」と言うと、それじゃまるで実態がないのにズルをしていると言われている気がする」みたいにキレられちゃったりもするんだけど。

JR、駅構内に自販機あるのにその横にすらゴミ箱ない駅あるし、マジ殺意。

DSMとか、年中、改訂されてますしね。

もう私は最新のは頭に入ってない(ドクターと違って診断する立場にはいないので、まぁ良いかなぁと)。

呼び方が変わるだけで、目の前の患者さんの実態は何も変わりませんし、人間ってメチャクチャ複雑でひとりとして同じ人はいないのを、「診断」って、とりあえず、ものすごく大きなカテゴリーの箱に、便宜的に分類して分けてるだけですから。

もちろんそれをやることで、大雑把な理解の枠組みが整うのはきっととても大切だし、投薬の指針もおそらく立てやすいのだろうし、国の保険制度的には(お金の使い方など)、それが無くなるとカオスになっちゃうだろうけど。

そんなに「障害認定」されないとダメなもんなのかなぁ。

障害があろうとなかろうと、しんどいものはしんどいし、嫌なものは嫌だし、怖いものは怖いし、やりたいことはやりたいし、好きなものは好きだし、

そんなことにいちいちお墨付き無くても良い気がするのだが…。

どうせお墨付きを与えるセンモンカだって、適当よ?それでも便宜的にはそういう存在は必要だとは思うけど(全否定するつもりはないけど)。

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