@zpitschi 診断は常に「暫定」ですからねぇ…
DSMとか、年中、改訂されてますしね。
もう私は最新のは頭に入ってない(ドクターと違って診断する立場にはいないので、まぁ良いかなぁと)。
呼び方が変わるだけで、目の前の患者さんの実態は何も変わりませんし、人間ってメチャクチャ複雑でひとりとして同じ人はいないのを、「診断」って、とりあえず、ものすごく大きなカテゴリーの箱に、便宜的に分類して分けてるだけですから。
もちろんそれをやることで、大雑把な理解の枠組みが整うのはきっととても大切だし、投薬の指針もおそらく立てやすいのだろうし、国の保険制度的には(お金の使い方など)、それが無くなるとカオスになっちゃうだろうけど。
@zpitschi そうそう、その通りです。それらしくて、それで困ってて支援が必要そうなら診断書書くし、なんかモヤモヤしててとりあえず診断つけたいだけならそれで終わるし、ニーズによりますね。
逆に言えば、何なら切実なニーズはあるのに、名前がついてないから福祉などの救済のギャップに落ちてしまっていて、制度的に助けて貰えない状況があるなら、「その状況に名前つけて貰って、制度を作ってもらう」みたいなことをすれば良いわけで。
本来、現代的には「障害」って、そういう概念ですよね。「障害」でも「障碍」でも、私は漢字は何だって良いと思ってるんだけど、大事なのは、当事者のニーズがあるところに「障害」なり「障碍」なりはあるわけで、偉い人に上から「認めて貰う」ものではなくて、要求して「認めさせる」とか「必要なものは利用する」とか、そういうものでしかないと思うんですよね。