「三世帯同居は女性が働きやすい?」

今が日薬局の待ち時間で日経新聞に「三世帯同居で働きやすさ」というタイトルの記事を目に入った。

全国の都道県の女性の労働時間を比較すると福井県が一番長いそう。その説明は上の一節。

しかし、この「三世帯同居」、夫の妻、「嫁」の負担が以上に大きいのが特徴。夫の両親の介護も基本的に「嫁」の仕事となる。

 福井から大学進学に行く娘に「二度と戻って来るな」と母が泣きながら「忠告」したという話もよく聞いた。

この、人類学で言う「直系家族」の特徴の一つで、都市圏ではほぼ消滅した、と言われていた。

直系家族とは兄弟姉妹の内、一人だけ「長男」が相続の権利をもち、同時に長男の両親と同居する、というもの。

日本では14,15世紀から武士の間に広がり始め、江戸時代を通じて上層農民にまで拡大、明治以降武士の家族規範を拡大するかたちで「旧民法」の規定となった。

しかし、憲法と新民法で法的には「家」は消滅、相続は妻と兄弟姉妹に均等となった(戦前の女性は相続権ナシ)。

しかし、2世代くらいは慣習的に直系家族規範による長男相続を頻繁に見られ、また遺産相続係争の案件ともなる。

公的には共産主義者だが、私的には「家」を振りかざして全部ガメようとする例は数知れず。

まさに子どもの頃の私の実家だな。両親共産党員だったのに、私まで含めると4世代同居で、嫁の母親はそのストレスを長女の私に毎日ぶちまけていた。曽祖母(曽祖父は早くに亡くなっていたので私は会った事がない)、祖父には誰も逆らえない家父長制。

言ってることとやってる事が違いすぎた。しかも都内。父親が祖父に口答えしているところはもちろん、口を聞いているところもあまり見た記憶がない。父親は外でサラリーマンと組合活動で毎日午前様。嫁の母親は祖父の店を手伝っていた。

そう言う家族主義と思想が矛盾してるサヨクの家族は少なくなかったと思う。私の精神の混乱の原因のひとつだろうし、今の日本社会もずっとそれで混乱し続けていると私は思う。

fedibird.com/@yoshiomiyake/109 [参照]

「東京物語」では上京した笠智衆と東山千栄子夫妻は息子の家に何故泊まら(れ)ないのか?

実は、小津の「東京物語」は米映画のリメイクだからです。

そして、これは米英型核家族の「規範」の問題でもあります。

19-20世紀初頭の米では、成人したカップルはたとえ親子であっても夜、一つの屋根の下で過ごすことは禁止されていました。

これは、複数のカップルが一つ屋根の下で暮らす、ということが、性規範の侵犯に該当するからです。

ですから、親子の場合は尚更、になります。つまりそれは英米型の核家族規範の下では「近親相姦」を意味するからです。

原作の米映画では、州法によって禁じられている設定になっていました。

ですので、はるばる息子夫婦を訪ねた来た老夫婦は、息子の家に泊まることができません。

小津の「東京物語」ではそれを息子の「多忙さ」として描き直していました。

小津は世界的に評価が高いので、米国の大学の映画研究では教材としても上映されます。

妻を亡くしたあと、笠智衆が一人で育てた原節子が結婚する前に京都に二人で旅行に行く『晩春』。

ここで親子は枕を並べて静かに語り眠る、というところで場面は終わる。

すると米の学生はほぼ全員が「この場面は近親相姦を示唆する」と解釈するのです。

ことほどさように、家族規範と性規範は1960年代まで、あるいは現在まで、私たちの「無意識」を構成している、と言えます。

勿論、英米型核家族でも老いた母一人を引き取る、あるいは現在のように大学を卒業しても、しかるべき所得がない間両親の家に留まる、ということは許容されます。

しかし、息子のカップルともども親と同居、というのは倫理的に許容されません。

また英米型の家族相続は日本の民法規定と異なり、遺言が絶対です。

子供たちが親と対立した場合、財産の一切を他人、または愛犬に遺贈することが可能です。後者の場合、管理人として弁護士を指名し、事細かな事項を書いた契約書を作成します。

ですので、20世紀イギリスの場合、大富豪の子供たちがすべて事業に失敗し、親の遺産のみを当てにしている。その状況で殺人が起こる、犯人は?

というミステリーがリアリティをもっていたのです。大富豪の息子・娘たちにとって労働者になる、という選択はあり得ません。

A.クリスティのミステリーは、一見「怪奇」に見える「完全殺人」がほぼすべて「遺産相続」に関わるものだった、という落ちになっているのはそのためなのです。

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資本家階級ガーとか、アメリカ帝国主義ガーとかも良いけど、まず家の中の民主主義と女性と子どもの人権を何とかして欲しかった。

女で、かつ子どもだった私には絶望しかなかったよ。😿

ないものねだりだったのは分かってますけど。

悪いけど、小津作品の原節子は、女の目から見ると気持ち悪くて、どうしても作品に入り込めないんだよな…あ、少なくとも私は。あのムフッって笑いがキモい。

ふと思った。もしかして、あそこら辺が日本のインセル文化の発祥の地なんじゃないのか。男目線なんだよな、女の描き方が。

なんか見えた気がした。

同じ小津作品でも杉村春子は大好きだけど!😆

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宮崎駿のアニメ観ても、女の子の描き方が「わっ、“The男の願望“!」といつも思うんだけど。トトロとか好きですけどね。好きだけど、さつきを見ても、「ああ、こういうの、好きなのね」って感じちゃう。ナウシカなんかも「まさに」って感じで。

あ、二つ上の「悪いけど」は「宮崎駿が好きな人には悪いけど」と言う意味です。別に私も嫌いなわけではないけれど、女の子の描き方には、いつも宮崎駿の願望を感じてしまって、少し白けてる。

>ことほどさように、家族規範と性規範は1960年代まで、あるいは現在まで、私たちの「無意識」を構成している、と言えます。

いちいち本当にその通りだと思う。そして60年代どころか現在までだと思います。

今は昔の私の実家みたいな家はほとんどないとは思うけど、今も私たちの「無意識」(鉤括弧付き。フロイト的な意味ではない)にはマジで骨の髄まで染み付いてとてもじゃないけど、どんなに頑張っても染み抜き出来ない。心理面接してるとここで縛られて動けなくなってる人、めっちゃ多い。同居してなくても「無意識」に染み付いて離れない。

だから、西洋の政治分析をそのまま持ってきて使おうとしても、私たちはまったく違う問題と格闘しなければならないんだよ。もう文化そのものになってる近親姦みたいなのがあって、それが日本のヘンタイ文化を下支えしているんだって。

…フロイト的に言えば“倒錯“として扱って良い人ばかりというか。それを北山先生みたいに「日本文化なんだよ!良いじゃん!」と開き直るのか、やっぱそれは問題だよね?と思うかというのがある。私はもちろん後者。

fedibird.com/@yoshiomiyake/109 [参照]

アガサ・クリスティ、最近、この歳になって初めて読んだんだけど、面白いですねー。あんなに面白いと思ってなかった。

ある心理の勉強会で「春にして君を離れ」っていう、あんまり推理小説じゃないやつを、たまたまおしゃべりで教えてくれた人がいて、興味が出たから読んだら面白くて、ちょっとハマった。

なるほど。

遺言の意味が日本とはそこまで違うという基本的な知識がないと、アガサ・クリスティは本当には理解できないんですね。私も知らなかった。

そういうの、たくさんあるんだろうな。

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