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【ほぼ百字小説】(5549) 暗転でもないのに真っ暗になることがあって、それはこの劇場に棲んでいる狸がいたずらをしているらしい。だが、劇場に棲みつくほどの芝居好きの狸だけあって、本番中にそんないたずらはしないから、心配はいらない。
 

【ほぼ百字小説】(5548) 朝から劇場入りして、まず機材の搬入の手伝い。普段は閉じられている搬入口が大きく開くと近くの空港から斜めに上昇していく旅客機が見える。すこしうらやましくなるが、まあ我々も今からここではないところに行く。
 

【ほぼ百字小説】(5547) 明日から劇場入り。これでもう稽古はない。本番よりもはるかに多い回数繰り返したあの奇妙な日々が終わってしまったことは、すこし残念だったりもする。もちろん劇場に入ればそんなことを思っている場合ではないのだろうが。
 

【ほぼ百字小説】(5546) 同じ場所で同じ時間に起こったことを繰り返して、少しずつそこへ近づいていく。到達できるかどうかわからないし、到達してもそれが本当とは限らない。いや、そもそも全部、嘘。こうして集まった我々も全部。これも。
 

【ほぼ百字小説】(5545) バスタオルを干しに出た物干しで、すっかり涼しくなったからもう煮干しも何も食べないくせに、でもなぜかすり寄って来る冬眠準備中の亀と並んで見上げる火星は梅干しのように赤いが、火星ってあんなに赤かったっけ。
 

【ほぼ百字小説】(5544) 近所の坂の途中にたくさんの実をつける柿の木があって、西日の射す時刻にその下に立つと、いくつもに発散した火星を見上げている気分。こんなに大きく火星が見えるここはたぶん、分裂したそんな火星のひとつだろう。
 

【ほぼ百字小説】(5543) 近所の銭湯が廃業して、でもまた営業を再開したのか、と来たが、タイルの絵はなぜか赤茶けた荒野。まあお湯の中から眺めれば、この味気ない風景も別の味わいがある。しかし番台にいるあの蛸みたいな生き物は何だ?
 

【ほぼ百字小説】(5541) 行方不明になった探査機から、今も映像が送られてくる。火星を思わせる荒野に石がころがっていて、これが積み上がっていたり崩されていたり。ではやっぱりあの探査機は死んでいて、親より先に死んだ、ということか。
 

【ほぼ百字小説】(5540) 赤茶けた荒野の地平線あたりにプロペラがいくつも並んでいる。風力発電の風車のように見えるが、そうではなく扇風機。火星名物の砂嵐をあれで発生させている。砂嵐によって扇風機は見えなくなるから問題ないとか。
 

【ほぼ百字小説】(5539) もう火星人はいないが、火星人の墓はある。火星の荒野に見渡す限り並んでいる。無人探査機のカメラに映らなかったものは他にもたくさんあって、だからやはり有人計画は必要だったのだろう。地球人にも、火星人にも。
 

【ほぼ百字小説】(5538) 地球からある距離以上遠ざかることに我々の精神は耐えられない。だから有人火星計画の飛行士たちをリアルな地球の夢で包むのだ。地球で火星に行く夢を見ている。そう信じ込んだまま、彼らは火星へ行って帰ってくる。
 

【ほぼ百字小説】(5537) 無意識を共有することで正気を保っていて、ある距離内にある人数以上がいなければ、それが不可能になる。宇宙飛行士たちが火星への途中で必ず発狂するのはそういう理由で、だから人間が行けるのは月まで、という説。
 

【ほぼ百字小説】(5536) 滅びゆく火星人が、進化の袋小路から脱出しようと掘った抜け穴があるという。火星の地下は、夢の中の迷路のように錯綜した抜け穴だらけで、たまに間抜けな地球人が落ちて、火星人の夢の中で死ぬまで働かされるとか。
 

【ほぼ百字小説】(5534) じつは地球だった、と思ったら火星だった、と思ったら地球だった、の繰り返しで、でもそういう方法で地球と火星とを行き来しているのなら仕方ないか。ならば今回も大袈裟に驚くことにしよう、と思ったらじつは――。
 

【ほぼ百字小説】(5533) この有人火星計画の関係者の中に狸がいて、だから荒野の真ん中でいきなり出てきた美女に酒や料理をすすめられても決して手をつけてはならん、そもそもここは火星ではなく地球だ、と言うこの隊長、果たして本物かな。

【ほぼ百字小説】(5532) あの頃はまだ娘はいなくて、二人でいろんなところへ行ったなあ。いや、連れて行ってもらった。私は大きいほうのリュックを背負って後ろをついて行っただけ。もうあんな重いリュックは背負えないが、また行けるかな。

【ほぼ百字小説】(5531) その海辺の町が終点で、駅前でリュックを背負って宿を探しているところに声をかけられ、その家の離れに十日ほど滞在した。砂浜はあったが波が高くて泳げなかった。ベッドに寝転んで少しずつ火星年代記を読んでいた。

【ほぼ百字小説】(5530) 今夜も火星の欠片を拾いに行こう。会社帰りによくそう思った。火星の欠片が散らばる丘への通路は乗り換え駅の高架下にあった。長い歩道橋と同じ高さのプラットホームに立つ人々は、夕空に浮かんでいるように見えた。

【ほぼ百字小説】(5529) あの坂の町に映画館がたくさんあったのは、映画館にとっていい土地だったからだろうなあ。海岸通りに鉄道の高架に地下街、すぐ後ろに迫る山々。いろんなところにいろんな映画館が根を下ろしていた。もう昔の話だが。

【ほぼ百字小説】(5528) 海岸通りの映画館を出ると、山の頂には火星が見えた。長い坂道は鉄道の高架をくぐってそのまま火星までまっすぐ続いていて、映画を観たあとなら、火星まで歩いていけそうな気がしたものだ。まだ火星があった頃の話。
 

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